John note~ヨハネのひとりごと

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姦通の女と私達

2021-08-28 22:27:07 | のほほん雑記
https://youtu.be/-sIeuh8aqa8
モニカさんの動画参照
聖書に出てくる姦通の女のエピソードを読んで、
カトリック信者はどう思うだろうか?

姦通とは言わないまでも、現代は性に対してはオープンな時代であり、
なかなか難しい時代になってしまった。

同性愛に対して寛容になり、新たな見方であるジェンダーなるものが出てきたり、
どう捉えたらいいのか、困惑したりもしている。

神は、はっきりと同性愛は認めていない。
しかしながら、だからと言って否定や排斥はできない。
それは、産まれながらにしての遺伝子の異常や、病気によるものがある
からだ。

現代は簡単にネットでアダルトムービーを見れる時代であり、
子供でも、スマホを持って入れば見ることが出来る。

神は聖書の中で異性をいやらしい目で見るなら、それは心の中で姦淫の罪を
犯したのと同じである、とおっしゃっている。

現代は、情報、画像、映像が望まなくとも外部から多く入ってくる時代なので、
自分の欲望をコントロールするのが難しい時代なのです。

カトリック修道院ですら、貞潔の誓願を守れず、世俗に戻る人もいるようですし、
また、信者も婚前交渉を普通にする時代となりました。

姦通の女のエピソードはイエズス様をファリサイ派が試したエピソードですが、
イエズスは、現代に生きる人にも指針を与えてくれているような気がします。

私達の弱さを理解してくださり、また、神の憐れみと赦しを示して下さって
下さいました。

私達には、いろいろな欲望があります。

それに、負けたとしても、決して失望せずに、自分の生活を見直して生きるように。
また、他人が罪を犯したのを見たとしても、決して非難してはいけないと。

私達は全員罪人ですから。


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