John note~ヨハネのひとりごと

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宣教について考える

2022-01-07 21:49:32 | ロザリオの黙想
最近、ある疑問について考える。

頭が少々混乱ぎみなんで、
変な事を書くかもしれませんが、あしからず。

カトリックとして、神や聖母を宣教する者の
悪魔的ビジュアル、あるいはファッション
もっというとロックをきくのはありか?
という問題がある。

自分的にいうと、自分は大のハードロック好きで
よく、ハードロックを聞く。
エレキギターも弾くし、アコースティックギターも弾く。
ハードロックが好きではあるが、ポップスもクラッシックもきく。

でも、ひとつの線引きはしている。
悪魔的な衣装、メイクをしているアーティスト、悪魔的な歌詞を歌って
いるアーティスト、悪魔を宣伝しているアーティストは聴かない。

日本にも外国にもそれらしきアーティストはいる。

それらを全面に出して宣教することはありなのか?

たとえば、ハードロックを聴かない人からすれば、
ハードロックは悪魔的なものと見えるのかもしれない。

言いたいことがまとまらないが、悪魔的なメイクを横において
宣教している人に戸惑う。

あるYouTuberのことを言っている。

凄くカトリックを的確に宣教している方で
それ自体は、凄く良いもので、尊敬しているし、感謝もしている。
カトリックの宣教動画は希少価値があるし、やる人はめったに見かけないからだ。

なぜ、この画像?
戸惑う。
敬虔な信仰、素晴らしい動画による宣教。

でもそのメイクの意味は
地獄からきた悪魔。

本人は、そのアーティストの大ファンで、意味も知っていて
取り外す気はないという。

私はこう思う。

ブログなりTwitterなり、そのトップは自分の今、一番大切にしているものを
フロントに貼るものだと。

私の、ブログの画像はマリア様であり、Twitterの画像は、イエズス様に抱かれた自分
であり、聖テレーズなのだ。
私の一番は、イエズス様であり、マリア様なのだ。

心の中の一番は何気ない日常の一部に出る。

私達の一番はイエズス様であり、マリア様でなければならない。
それにとって変わるものを置いてはならないと思っている。

特に宣教している者にとっては必須条件ではないのかと思っている。
だから、今回の件に戸惑っていると言っている。

神を愛するものは、悪魔を自分の方から寄せ付けてはならない。
そう思っている。

悪魔的な衣装、悪魔的な音楽、
ハロウィーンは悪魔を呼び寄せる祭りなのだ。

人間側がそうは思っていなくても、
悪魔はそうは思っていない。
悪魔はそういう人間を好み、そういう人間をターゲットにするのだ。

なかなか理解に苦しむ問題で、どう判断していいのか?
わからない。

今回の画像の疑問点は、神やマリア様、カトリック教会を愛しながら
悪魔を否定しない点にある。

私は、悪魔を宣伝するようなことがそのアーティストに認められたなら、
そのアーティストを聴かないようにする。
すでにそのバンド名が反キリストを表しているバンドは一切聞いていない。

自分が罪により、悪魔に負けることがあったとしても
自分から悪魔を宣伝するような行為、メイク、呼び寄せるようなことは
しないと決めている。

悪魔は、もともと天使であるから
人間を騙すことなど、いともたやすくしてしまうのである。
だからこそ、神に頼って絶えず自分を警戒して見ている必要があるのだ。

言わんとしていることがわかっていただけたかな?


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