今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

ジャパンブルーはサムライブルーか

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2021年に発売されたサッカー日本代表 100周年アニバーサリーユニフォーム

 大河ドラマ「青天を衝け」で藍染めが出てくることから、ジャパンブルーの歴史を探ってみた。

読売新聞オンラインのコラム本文

武士の「勝ち色」由来説には異説も

 サッカー日本代表の青のユニホームは、日本がオリンピックのサッカー競技に初参加した昭和11年(1936年)ベルリン大会で採用された。採用された理由について、江戸時代に武士(侍)が好んだ『勝ち色』にあやかったという説がある」と書いたところ、「東京帝国大学のユニフォームが青だったからではないか」という指摘を複数いただいた。昭和5年(1930年)にサッカーの第9回極東選手権に出場した初の選抜チームのユニホームが、12人の選手を送り込んだ東京帝大のユニホームにならったという説だ。

 確かにこの大会では日本が優勝し、それ以降、日本代表のユニホームは青が基本となったといわれている。だが、東京帝大が由来という見方については日本サッカー協会は「わからない」としており、むしろ協会のホームページは、ユニホームの藍色は「サムライブルー」とも呼ばれてうぃることを紹介していることから、コラムでは「勝ち色」説を紹介した。発祥は東京帝大のユニフォームの色だったとしても、「ベルリンの奇跡」があったから、ユニフォームの色が青に定着したというのは正しいと思う。

 偶然とはいえ、ジャパンブルーを支えた「ベロ藍」と、サムライブルー発祥の「ベルリンの奇跡」がともにドイツだったところに因縁を感じるのだ。