今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

近代最初と最後の詔が示す戦前の神話国家

 終戦から78年が経過した。一般的な日本の時代区分では、明治維新から終戦の日までは「近代」、その後は「現代」に分けられる。3年8か月の「戦中」を加えた「戦前」は77年だから、今年で「戦後=現代」は「戦前=近代」より長くなった。

 

『戦前の正体』の帯には東征でナガスネヒコと戦う神武天皇

 近現代史研究者の辻田真佐憲さんは、近著『「戦前」の正体』で、その大枠を示そうと試みている。戦前には、「日本はこうあるべきだ」という大きな枠組み、つまり「物語」があった。破局と悲劇に終わったこの物語は失敗だったが、戦前の失敗した物語を批判的に整理し、それに代わる新たな物語を創出して上書きする作業は十分に行われていない。

 辻田さんは、戦前の物語を上書きする物語が出てこないことが、「戦前の物語がいつまでたってもきわめて中途半端なかたちで立ちあらわれてくる」(『戦前の正体』)一因となっているという。では、その辻田さんは「戦前の物語」とはどんなものだったと考えているのか。

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玉音放送から消えた「国体」の要

 辻田さんは前掲書の中で、大日本帝国を「神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家」と位置づけている。つまり、「戦前の物語」は、神武天皇による日本創業(神武創業)を中心とする日本神話だったというのだ。その痕跡は、近代の初めと終わりに出された2つのみことのりを巡る逸話に残っている。

 近代の終わりを告げたのは、昭和天皇(1901~89)が78年前、玉音放送で読み上げた「終戦の詔」だが、神話国家の痕跡はその草案に残っていた。詔の草案には、有名な「え難きを堪え、忍び難きを忍び……」のくだりのすぐ後に、「神器を奉じてなんじ臣民と共に在り」という文言があったのだ。

 「神器」とは 八咫鏡やたのかがみ草薙剣くさなぎのつるぎ八尺瓊勾玉やさかにのまがたま三種の神器のことだ。天孫降臨の際にアマテラス(天照大神あまてらすおおみかみ )がニニギ(瓊瓊杵尊ににぎのみこと)に授けて以来、歴代天皇が引き継ぎ、天皇が神の子孫であり、万世一系であることを示す。日本という国のかたち、すなわち「国体」のかなめだった。

 実際に読み上げられた詔からは「神器を奉じて」は消されている。文書の起案にあたった内閣書記官長の迫水久常(1902~77)の回想によると、当時の閣僚から「こんなことを書くと、連合国が天皇の神秘的な力の源泉が神器にあると考え、神器に関心を持ってしまうのではないか」という声が出たためだという。

  戦争終結二関スル詔書案(国立公文書館蔵)。草案には「神器ヲ奉ジ」とある

 「神器を奉じて」が削除されたのは、「敗戦で国体が崩壊すれば、神器を守る意味がなくなるから」ではなかった。むしろその逆、敗戦後も国体を維持するために、神器の存在を連合軍から隠そうとしたわけだ。

王政復古の大号令案に加えられた「神武創業」

 もうひとつの詔は、江戸幕府の廃止と明治新政府の樹立を宣言した近代初の詔である、慶応3年(1868年)の王政復古の大号令だ。この詔には、当初案にはなかった「神武創業」という文言が最終案で加わっている。

 「明治天皇(1852~1912)は、諸事、神武創業の時代にもとづき、出自や階級に関係なく、適切な議論を尽くして国民と苦楽をともにするお覚悟だ。みなもこれまでのおごった怠惰で汚れた風習を洗い流し、天皇と国家のため努めなさい」

 大号令は、大政奉還以降も政治の中心に居座ろうとした徳川慶喜(1837~1913)の排除を狙って出された。だから武家中心の政治体制を「 旧来驕惰きゅうらいきょうだの汚習」と厳しく批判し、天皇が統治するかつての日本に戻ると宣言したわけだが、武家社会を否定するだけなら、神武創業の昔にまで遡る必要はない。事実、詔を起草した岩倉具視(1825~83)は、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇(1288~1339)の建武の新政に遡ることを想定していた。

    

王政復古の詔。「神武創業」の言葉は岩倉具視の原案にはなかった(国立公文書館蔵)

 それをさらに遡って「神武創業に戻る」よう助言したのは、岩倉の知恵袋といわれた国学者玉松たままつみさお(1810~72)だった。辻田さんは、「神武天皇は神話上の人物で、実像はだれも知らない。知らないからこそ使い勝手がよかった」という。神武天皇は現実とかけ離れた神話上の存在で、実在していたのかも含めて誰も何も知らない。だからこそ、近代化、西洋化を目指す政策も「神武創業に戻る。原点回帰だ」といえば反論は難しい。玉松は「神武創業」は近代化政策の万能のキーワードになり得ると考えた。

万世一系」「八紘一宇」へと飛躍

 神武天皇の存在が大きくなると、日本はアマテラスの直系である神武天皇の子孫によって、ずっと統治されている「万世一系」の国なのだ、という思想も広がっていく。それはさらに「日本は成り立ちからし神の国なのだ」という「日本すごい論」につながり、神武天皇が唱えたとされる「八紘一宇」が日本による世界征服の合言葉にうなっていく。こうなるともはや誇大妄想以外の何物でもないが、これが戦前は国体を支える柱になっていたのだ。

今も身近にある日本神話

 史実とは思えない神話(ネタ)はなぜベタになったのか、同書の中で辻田さんは史実も交えて説明するが、なぜありもしない神話が国民に受け入れられたのか、理解できない人もいるだろう。だが、記紀神話は今でもわれわれにごく近いところにある。

 例えば、2022年に公開された新海誠監督の映画『すずめの戸締まり』は、明らかに日本神話の「天の岩戸開き」がもとになっている。主人公の岩戸鈴芽すずめが宮崎県であろう場所から船に乗って、神武天皇の東征さながらにあちこち立ち寄りつつ東に進む。

「すずめの戸締まり」ポスター

 大人気の『鬼滅の刃』の主人公「竈門炭治郎」の「かまど」は、『古事記』に登場する火の神、火を使う台所(竈)の神でもあるカグツチからついたと思われる。カグツチは『古事記』では「火之迦具土神ヒノカグツチノカミ」などの名で登場するが、『鬼滅の刃』は当初、作品タイトル候補に『鬼狩りカグツチ』『炭のカグツチ』があがっていたという。

 多くの人が知らない間に神話に接している今の状況は、戦前の神話国家の名残りかもしれない。だとすれば戦前の正体を知り、神話から派生して戦前の日本でベタになった「日本すごい論」の虚構を確認する意味は十分にあることになる。

われわれも虚構を受け入れている

 考えてみれば、新型コロナ対策ひとつとっても、多くの国民は本当に効果があるのかどうかよくわからないまま、「マスクをせよ」「店は午後8時に閉めよ」という指示に従ってきた。疑問があっても、大義名分になっているものに反論しにくい。むしろ、どうしたらいいのか、国に新型コロナ対策を具体的に示すよう求めたのは、国民の方ではなかったか。その点では、神武創業への回帰も同じ。虚構が交じることを踏まえても、人は物語を必要としているのだ。

 

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