言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

追悼 葛西敬之先生

2022年05月28日 20時39分14秒 | 日記

 

 

 元JR東海社長の葛西敬之氏が、81歳で亡くなられた。

 私が勤めてゐる学校の理事長をこの3月まで勤めていらしたが、最後の卒業式はお越しにならなかつた。肺の病気と闘つていらしたので、コロナ禍での移動を危惧されてゐたのだと思ふ。2016年から3期6年理事長を務められて、その任期を満了されて次の理事長にバトンタッチされたばかりだつた。

 個人的にお話をしたことは残念ながらなかつた。ただ、私信を一度頂戴したことがある。私の手紙への感想と学校への思ひを綴られたもので、ここで引用するやうなものはない、と思つてゐた。だが、今読み返してみると福田恆存への共感を記してあつた。現代の青年への思ひが書かれてゐた。ご本人の許可もいただくこともできないので、ここでは引用は差し控へる。ただ、その思ひを私も引き継いでいかうと思ふ。

 国鉄からJRへの変化についてや、新幹線技術の海外輸出、そして原子力政策などについては、私の書くことではない。一経済人を越えた視野の広い社会的使命の自覚と時代を超えた国家の役割の提言とは、どなたかがきちんと評論をしていただければと願つてゐる。

 私の、言はば上長としての理事長への追悼を記すばかりである。とは言へ、具体的なことはここでは書けない。ただ、感謝と申し訳なさとである。新しい学校を作るといふことは並大抵のことではない。そのことに押しつぶされさうになつてゐる。一教員としての私でさへさう感じるのであれば、理事長としては想像を絶する重荷を感じていらしたであらう。

 華々しく社会に宣言して創立した学校である。その理想を抱きつつ、生身の人間が集ふ現実を乗り越えていくには、信念と協働とが頼りとなる。もちろん、時にはそこに亀裂が入ることもある。しかし、それでも前に進むには、尋常ではないエネルギーが必要とならう。

 その意味で、リニアの建設がぶつかつてゐる現状は、人間の行動の典型を見るやうな気がしてゐる。葛西理事長は、その二つの地平を同時に歩いていらしたやうに思へた。

 お疲れ様でした。そしてありがたうございました。

 

 

 

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