言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

白石一文『我が産声を聞きに』を読む

2024年03月10日 21時21分55秒 | 評論・評伝
 
 昨年の5月にコロナ禍は終息し、さまざまな規制は解除された。2020年4月7日だつただらうか、緊急事態宣言が出て以来、丸3年の間のあの閉ざされた空気を小説家はどう書いたのか、白石のこの小説で初めてそれを読むことができた。
 主人公の名香子は結婚を目前にして唐突に全く唐突に婚約者に破談を告げられる。その裏切りとも思へる試練を経て、名香子は上京して別の男性と結婚した。女の子が生まれその子供も成人していよいよ2人の生活が始まるといふ段になつて、夫から突然離婚を切り出される。言葉だけではない。その話をしたまま、夫は別の女性の元に行つてしまふ。
 傷心に暮れる名香子は故郷の明石に帰る。その途中、婚約者であつた男性と会つて、ある重大な事実を知らされる。そして、再び東京に戻つて来る。
 現実は、何も変はらない。

 巻末に寄せられた作家角田光代はかう書いてゐる。
「いくつもの仮定を蹴散らすようにして、現実はただひとつを選びながら進む。(中略)いっけん関係のないことがらが、予想だにしないところで関係して化学反応を起こしていく。おそろしいのは、そのただひとつを選ぶのは、私ではなく現実である、ということだ。」

 思ひ通りにする。思ひ通りになる。――私たちはそれを理想とし、それが実現することを幸福と感じる。確かにその通りである。しかし、果たしてその「思ひ」が現実を作り出したのだらうか。カーネギーよろしく「思考は実現する」といふのは本当だらうか。
 さうとも言へるし、さうではないとも言へる。一編の小説で結論を出すことでもないが、「我が産声を聞きに」過去に戻れない以上、同じ出来事を体験して確かめることはできない。それだけは確実だ。

 心に残つた言葉を一つ挙げておく。
「愛猫や愛犬というのは難病を患った子と似ていると思う。自分より先に死ぬだろうことを運命づけられた存在であるがゆえに彼らに対する愛情は最初から最後まで貫徹させることができる。」
 名香子は、愛猫ミーコを飼つてゐたのだが、夫のミスで逃がしてしまふことになつた。愛情を貫徹させることが出来なかつたことの悔しさが、二人の間に影を差してゐるやうに思へた。
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