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―加谷君、テーマと中身が違いすぎだ!―
仕事が繁忙期の上にFacebookやgettrでの活動にかかり切りでブログ執筆が遅れに遅れてしまいました。実に情けないです・・・。では今回の御題はこちら。
筆者は加谷珪一(かや けいいち)。昨年5月24日付けの記事以来約10ヶ月ぶりの登場です。財政破綻教の敬虔な信者にしてかなりの世間知らずの加谷君がどれほど成長したのか、早速拝見するとしますか。
「日本は便利で治安が良く、長生きできる国だというのは多くの人が認識していると思います。筆者は時々、仕事や観光などで外国に行くことがありますが、日本に帰ってくるたびにそれを実感します。」
「一方で、便利な社会ではあるものの、生活が息苦しいという感覚も多くの人が共有しているのではないでしょうか。常に他人の目を恐れ、自由に行動ができなかったり、会社の人間関係がとても憂鬱であったり、あるいは強い立場の人だけが利益を得て、弱い立場の人が泣き寝入りを強いられたりしています。」
「こうした社会の息苦しさをもたらす要因のひとつとして考えられるのが、近年、急速に進んできた日本の国際的な地位低下です。日本は過去30年間、ほぼゼロ成長という状況が 続く一方、諸外国は経済規模を1.5倍から2倍に拡大させました。相対的に日本は貧しくなっており、徐々に私たちの生活を圧迫しつつあります。」
(第1・第2・第3段落 *冒頭のリード文は段落としてカウントせず)
フム、特に異存はありません。真っ当な認識です。ではこの息苦しく、すっかり貧乏になってしまった令和日本を正す加谷君の処方箋とは?
「日本ではこの30年間、実質賃金がまったくといってよいほど上がっていませんし、貧困に陥る人も増えてきました。経済的に苦しくなれば、精神的にも余裕がなくなるのは当然の結果といってよいかもしれません。しかしながら、日本の衰退が進んでいるとはいえ、現時点ではそれなりの経済規模がありますから、経済的な問題だけが理由とは思えません。」(第4段落)
「しかしながら、日本の衰退が進んでいるとはいえ、現時点ではそれなりの経済規模がありますから、経済的な問題だけが理由とは思えません。」、早速雲行きが怪しくなってきましたな。加谷君、この君の論考のテーマは「日本の給料が30年間上がらない本当のワケ」だろう? 経済問題に決まっているじゃないか! 加谷君はその後ネット空間での「誹謗中傷」を長々と嘆いてみせます。「日本は暴力的だ! 日本は不寛容だ! 日本は息苦しい!」と。だから、それと給料が上がらないのと何の関係が・・・。
加谷君、どうしても君は経済的な要因に触れるのが嫌みたいだな。だがね、先進国で唯一賃金が上がらんのはGDP(経済規模)が拡大していないせいなのは明々白々だ。君も流石にGDPの三面等価の原則くらいは知っているだろう? GDPは生産・分配・支出いずれの面から見ても同じになる。それゆえ生産と支出が伸びなければ分配面のGDPも伸びない、すなわち給与も上がらないのだよ。
―給料上がればみんな大らか、みんなハッピー!―
「世界を見渡せば貧困に苦しむ国がたくさんあり、貧しい国の社会は総じて不寛容です。」(第11段落)
まあ、否定はせんよ。だがね、途上国にも寛容な面は探せば一杯あるがそれはどうなのか? 何より当の我が国も昔はお世辞にも豊かとは云えなかった。然るに世界でもトップレベルの高いモラルや大らかさが存在していたのは国内外の資料・文献から明らか。
加谷君には上↑の書籍を一読されるのを強く勧める。途上国であるか否かを問わず「貧しい国の社会は総じて不寛容です。」←このような偏見ムキ出しの姿勢は止めなさいね。君のような奴が要らざる混乱や軋轢を生むのだよ。
その後加谷君は「しかしながら、英国や米国がそうであったように、豊かな先進国というのは、たとえ製造業がダメになっても、国内の消費市場を原動力に成長を持続することができます。」(第16段落)と先進国でも個人消費の伸びで立派に成長出来る事は取りあえずは認めるもいざ日本について語る段になると・・・、
「日本は製造業の弱体化によって個人消費で成長する経済構造にシフトしましたが、個人消費というのは前向きなマインドがないと拡大しません。つまり日本社会の不寛容で抑圧的な風潮が個人消費を抑制している可能性が否定できないわけです。」(第19段落)
と、経済的な要因を頑として認めず日本社会そのものがおかしい。社会そのものをぶっ壊せと云わんばかり。加谷君。君は昭和30・40年代辺りにヘルメットを被りゲバ棒を振り回して“毛沢東思想万歳”“革命万歳”を叫んで暴れ回っていたハタ迷惑な大学生か?
「好調な輸出に支えられ、昭和の時代までは表面化していなかった日本人の特性が、輸出競争力の低下で顕在化したと考えれば分かりやすいでしょう。」(第20段落)
アタシは昭和54(1979)年生まれなので昭和時代は末期の数年間しか記憶に無い。だが確かに昭和末期(1980年代後半)は加谷君の宣う通り今とは比べものにならないほど大らかで、明るさに満ちていた。ではこの大らかさと明るさを支えていた原動力とは?
最早説明するまでもあるまい。収入が爆発的に増えて生活が配給で細々と暮らしていた終戦直後がウソみたいに豊かになったからだ。昭和52(1977)年頃まで給料は2桁(10%)以上伸び、その後は緩やかになったものの右肩上がりで伸び続け、平成2(1990)年には450万円! 10万円程度だった昭和25(1950)年の45倍だ! これで社会が暗くなる訳が無かろう? 懐が温かくなれば人は気が大きくなり、心が安らかになる。要するにみ~んなハッピーになる! お分かりかな? 加谷君、
もっと同胞に優しくしてやれよ。気前良くしてやれよ。それが答えだ!
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「WILL」(4月号)↑の中嶋聡氏と刑部芳則氏の対談[失われたセーラー服の誇り・ブルマーの神聖]は重要! 一部抜粋。
刑部 最近では、文科省や教育委員会がスラックスを推奨しています
中嶋 エッ、文科省がですか。
刑部 ええ。太平洋戦争の最中には「スカートをはいていたら戦時体制ではない」と、すべての学校がスカートを禁止するようになりました。上はセーラー服、下はズボン(モンペ)という姿です。
中嶋 いまのジェンダー平等社会が目指している姿じゃないですか。
刑部 そうなんですよ。だから文科省は、現代の女子生徒たちに戦時中と同じ格好をさせようとしているのです。「戦前に反省」「平和」と言いますが、生徒の意向よりも制度化を推奨していくことは、近衛文麿内閣の「国民精神総動員運動」と同じような危険性があります。戦時中の女子生徒たちは、だれもズボンをはきたいと思っていませんでした。歴史を学んでいないんですよ。
中嶋 ブルマーが消えた論理と同じく、今後はスラックスを導入しない学校は「時代遅れ」と冷たい目で見られてしまいます。
刑部 戦時中にスカートをはいている生徒が「非国民」と言われることと同じです。いつの時代も多数派の意見が尊重され、少数派の意見は非常識扱いです。(170~171頁)
↑エリートと多数派の逆が真実であろうと心得るべし! 特に我が国日本においては。
風邪は最高のデトックス
— 清水みちこ@食と心で健康な毎日へ (@michiko_no8) March 2, 2022
風邪は体内の溜まったゴミをお掃除してくれる最高の機会。上手に風邪をひけると体は軽くなり、歪みが取れる。
せっかくの機会なのに、解熱剤で早く熱を下げようとしたり、痛み止めで早く動こうとすると「上手く風邪を完了できない」。
薬を飲まずひたすらに体を休めること。
↑風邪と熱は断食と並ぶ最高最強の特効薬!
↓愛国心は祖国が精一杯国民に良くしてくれればこそ
愛国心を求めるのであれば、国民に対して、この国でなければ豊かな生活はできないと思わせるくらいの相互依存関係を作るべきではないですかね。コロナ禍でも自己責任を突き付けられ、助けてくれない国には愛想も尽きます。#Yahooニュース https://t.co/sdgCh5rSYE
— 田島つよし (@t_tajima_reiwa) March 4, 2022
↑民をぞんざいに扱う国になど従う義理など無い! 抵抗あるのみ!
↑まだまだ寒い日が続きます。こんな時は温かい味噌汁が一番!