今日は香港返還記念日でして、当時香港に住んでいたワタクシは1997年の今日なにをしていたのか?について書くつもりだったんですが、


昨日中国の全人代が国家保安法を強行採決したとのニュースを聞き、昔の事を懐かしむ気持ちが一気に吹っ飛んでしまいました。


そして色んな思いが去来しまして、言いたい事、吐き出したい事が沢山あるんですが、最初に心を過ぎったのはもちろん香港人の旧友たちのことです。


と言っても彼らにかける適切な言葉は見つからないでいまして、薄々分かってはいても斯様な日が現実にやってきた事に虚しさを感じます。


しばらく日記休みます。

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作家で若い頃刑務所に入っていた見沢知廉の本に「世の中いろんな占いがあるが、最も当たるのは姓名判断だ」という記述があります。


見沢知廉がお勤めしてたのは千葉刑務所でして、ここは金属バットで両親殺した一柳展也など初犯ながらも長期刑(つまり殺人犯)ばかり)集まっていたそうですが、


ある時「オレたちゃ何でこんなにツイてないんだ?」という話になったので、みんなで血液型から天中殺などいろんな占いを試したところ、


驚いたことに姓名判断やったところ、その場にいた全員が例外なく凶画数の持ち主だった事が判明し、それで誰もが笑い出してしまったんだそうです。

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それを聞いたワタクシは姓名判断は当たりるものだ!と確信しまして、ネットにあるサイトに古今東西色んな人物の姓名を当てはめては見てるんですが、


良く当たる!と評判のサイトで今回アジアの超大国の偉大なリーダー、中華民族の太陽を自負する習近平閣下を占って見たら興味深い結果が出たんですね。


14億人のトップに立つくらいですから「大吉」のオンパレードに違いない!と思ったんですが、意外にもそうではありませんで、


特にトータルの運勢を表す総位が「凶」で強情非難運ってのが実に的を得ているので笑っちゃったんですが、

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運命のバックボーンである人位が「凶」で薄弱魅力運ってのが目につきまして、実はワタクシは習近平の本当の姿ってコレだと思ってたんですよ。


子供時分の習近平はドンくさい少年で、近所一帯のガキ大将だった薄熙来(終身刑収監中)の子分として使い走りをさせられてたそうでして、


たださんざん虐められた分だれにすり寄ればオコボレに預かれるかは十分学んだおかげで今や中国のトップに上り詰めたんでしょうけど


人間半世紀過ぎたってそうそう変わるもんじゃ無いですから、本質的には習近平は周りに良い様に使われちゃうだけの気弱な人間だと思うんですね。

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他の政治家なら喜んでアピールに使うはずのクマのプーさん!ってアダ名に過剰に反応してしまうのも習近平の虐められっ子気質をよく表してまして、


当然ですが習近平の子分たちは親分の本当の姿を見見抜いてますから、現在は周囲を取り巻きいてはいても本音では小馬鹿にしてますから、


共風向きが変わればいつでも見捨てるはずでして、気がついたら周囲には誰もいなくなっていて絞首台の前に立たされていた・・とい将来も有りかなと思います。


まあ当たるも八卦当たらぬも八卦なんでしょうけど、習近平の将来を表す天位は孤独失敗運で「凶」。見沢知廉の言う通り姓名判断って当たるんじゃないですかね。

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(前日からの続き)例えば長時間一人で腹ばいになって作業しなければならなくなっとしますが、これが東京人だと当人の口から出る言葉って「かったるいなー」くらいですが、


関西人だと「わしゃワニか!」みたいなボケかましますよね。まあそういった笑える独り言を言うことでマイナス感情を払拭するんでしょうが、


ワタクシが関西人ってユニークだなと思うのは、誰かが自分の腹ばいの様を見たら「ワニがいるで!」って笑うだろうな・・って第三者視点でみる癖のことでして、


これワタクシが長らく住んだ香港の人たちも同じ癖を持ってまして、これ偉い学者さんの分析だと多様な人種の棲み分けのエッセンスから来るものなんだそうです。

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ご存知の通り狭苦しい香港ではイギリス人や大富豪家の隣に子沢山の貧乏人から占い師や大道芸人に泥棒なんて怪しいのまでもが住んでるのが普通でして、


毎日お隣さんと顔を合わせれば嫌でも自分の立ち位置を知りますから、その時に生じた劣等感を払拭するため自分から先に自分自身を笑うんだそうですね。


で、話を山上たつひこに戻しますけど、彼が育った大阪も天下人から商人、坊主に芝居小屋の役者など雑多な人種が棲み分けてきたマルチカルチャーゾーンでして、


一方移り住んだ東京都〇〇区は長年百姓だけが住んでいて、ここ10年ほどは他所からサラリーマンが移り住んできたモノカルチャーですから、

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おそらく山上たつひこも周囲から相当浮いているであろう自分を第三者の目でみて、自分はここでは珍獣みたいなものだ・・と思ったに違いなく、


だったらそれを投影させたキャラを主人公にしたギャグ漫画を描いてやろうじゃないか!という発想から生まれたのが「がきデカ」だったのではないでしょうか?


そう考えるあの「これでもか!」ってくらいのナンセンスギャグ、それとボケとツッコミは当時の東京人の脳内にあった大阪人そのものなんですが、


「がきデカ」は面白みのない無骨な東京人に大阪コテコテカルチャーを受け入れる素地を作った先駆者だった様にも思えます。

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さて作者の山上たつひこは結局最後の最後まで東京とは気が合わなかったらしく、ずいぶん前に北陸の金沢市に引っ越してしまったそうですが、


確かにがきデカ終了の10年後には東京のどの家庭でもダウンタウンのギャグに笑い転げるようになったのですから、彼は立派に役目を果たしたと言えるでしょう。


しかしその大阪の笑いを最初に受け入れたには小学校時代に誰かが買って来た少年チャンピオンを回し読みし、死刑!ってポーズを決めていたワタクシらです。


連載当時は正直好きになれなかったけど、無骨なワタクシの笑いの幅を広げてくれた山上たつひこ氏の「がきデカ」・・今ごろになって読みたくなりました。

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