ポーランドのポズナンを訪れて

旅と境界と
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ポズナンはポーランドで1番古い街

イギリスでは旅行に関するコロナ規制はなくなり、ニュースでは海外旅行がブームになって、私も早速ポーランドで友人に会いに飛行機を予約した。

ポーランドはイギリスからわずか2時間以内だった。

ポズナンと言う彼女の生まれた街は、観光地としては有名でないけれど、ポーランドで1番古い街で、とてもきれいな街だと彼女から聞いていた。

 

ポズナンは美食の街

空港からホテルに着いたらちゃんと彼女がホテルに待っててくれて、一緒にすぐに夕飯に出かけることができた。

彼女は帰省中の家に同居する甥と一緒で、ポーランド料理を私がリクエストして近くのレストランに3人で行きとてもおいしかった。

その後も何回か一緒に出かけたけれど、ポズナンのレストランはその後行ったどこの街よりおいしく、美食の街として知られているとは、後で知った。

 

日本より安全なポーランドの中でも、さらに安全なポズナン

ポズナンの観光地はカラフルな広場や宮殿など、なぜかこの時に限って道路が掘り返されて工事中だった。

そのせいでか、観光客らしい人には街中では一度もお目にかからなかった。

また友達によると夜中まで街を歩いて安全とのことで、実際に暗くなって1人で歩いて怪しい人に会うこともなかった。

さらに他の国では見たことないような、ATMの小さな機械が街中、建物に固定もされずに置かれて盗まれもしないと聞いて驚いた。

その後ネットで確かめて、ポーランドは日本より安全で、中でもポズナンは安全だと証明する統計データを見た。

 

ドイツやソ連の侵攻の歴史

ある日ポズナンの街を歩いていた時、古い城壁などがある丘の下あたりで彼女が立ち止まった。

「子供の頃このプールによく泳ぎに来ていた」

建物は三角形の屋根でそんなに大きくはなくスイミングプールと言う感じではなかった。何かどこかで見かけたような懐かしい感じだった。

廃墟としてしばらく放置されたままのようだった。

 

「近くに野菜マーケットもあるよ」

という彼女の言葉を思い出し、私のホテルからは少し遠かったけど、マーケットで果物を買ってみようと思って翌朝、一人でそのあたりに来た。

でもマーケットの人は、観光客は全然相手にしていなくて、ポーランド語しか通じないし、結局何も買えずに終わってしまった。

 

ユダヤ人迫害の現場だった

偶然この建物の前を通ると、黒い石碑に下記のように書かれていた。

To the memory of the Poznan Jews murdered in the years 1939 to 1945 by the German occupiers.

This building housed a synagogue which was desecrated and turned into a swimming pool by the Germans during world war 2.

(1939 年から 1945 年にかけてドイツの占領者によってポズナンで殺害されたユダヤ人の記憶に寄せて。

 

このユダヤ教の神聖な教会であるシナゴーグだった建物は、第二次世界大戦中にドイツによりスイミングプールに改築されました。)

その後ポーランドのどこに行っても出会うことになった、ドイツやソ連の侵攻の歴史を垣間見たのは、この時が最初だった。

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