みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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下総・本佐倉城登城!続日本100名城 41城目 千葉氏当主、9代の居城~

本佐倉城

別名:将門山城。

所在地:〒285-0926 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉字城ノ内  。

城地種類平山城

築城年代: 文明年間(1469~1487)頃。

築城者:千葉 輔胤(ちば すねたね)。

主な関連施設:駐車場内にある本佐倉城案内所(スタンプ、パンフレット、等)。

文化財史跡区分国指定史跡

東山北側の切岸

2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました、千葉県からは 大多喜城 そしてここ” 本佐倉城 ”が選ばれました。スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の ” 本佐倉城 ”をもって続日本100名城、登城41城目とします。

2022.3.21.登城。

本佐倉城概要:

場所は現在の千葉県印旛郡酒々井町になります。印旛裏の南岸に位置し、東西700m、南北約 800m、約 35ha にも及ぶ巨大な城郭でした。城を中心に町が広がり、「佐倉」「酒々井」「鹿島」「浜宿」などの4つの城下町があり、千葉氏が9代(約100年)にわたり居城としてきました。1590年(天正18年)秀吉による小田原成敗で、千葉氏は北条方につき敗北。本佐倉城も開城となりその後廃城となりました。

本佐倉城案内図

パンフレットにあったこちら↑の案内図をもとにして、本佐倉城をレポートしていきたいと思います。

国史本佐倉城跡案内所

訪れたのは2022.3.21.ですが、この時点でご覧の通り、広い駐車場に立派なガイダンス施設が出来ていました。(スタンプ、御城印、パンフレット)全てこちらで入手できるので助かります。住所:〒285-0926 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉825。開館時間:09:00~16:00。毎週月曜は休館日となります。

 

城山(主郭)北側

案内所の南側に城山(主郭)があり、駐車場からすぐにこちら↑の景色が目に飛び込んできます。まずⅣの郭手前まで行き、そこから東山~東山虎口へと進んで行きたいと思います↓

 

Ⅳの郭手前

こちらの盾があるⅣの郭を右(北)へと進み、東虎口方面へ進みます。

 

 

東山虎口

案内図の2が東山虎口の入口となります、こちらは東山虎口の南側(城内)になります。折れを伴い城内が簡単に見渡せない造りとなっています。説明看板があったので見てみます↓

 

 

さすがは国指定史跡、説明看板等が充実しています。ここで北東に進路をとり、東山の遺構(土塁、堀切、郭)を見にいきます。

 

虎口土塁

場所は案内図の3となります。この場所までは階段があるので登ってこられます、この場所は遥か遠く筑波山まで見通せる場所で、往時見張り台があった可能性があると思われます。

 

 

先程の場所から北東へ進むと、東山と呼ばれる尾根状の細長い郭があります。そこは主に北側を意識して土塁が築かれています。

 

東山北端の郭

場所は案内図の①となります。東山から堀切が2条、間に挟まる構造になっています。北側にある出丸として、見張りや北東側の防御の役割を担っていたと考えられます。

ここで再び東山虎口へと戻ります↓

 

東山虎口説明看板

このように東山虎口はとても厳重に守られた虎口であった事が分かります。ここから南西へと向かい、セッテイ郭と倉跡郭との間にある空堀を見に行きます↓

 

南奥虎口説明看板

この虎口部分はあまり厳重な感じを受けませんでした。ここから空堀を見に行きます↓

 

セッテイ・倉跡間の空堀

場所は案内図の19となります。こちらはセッテイ郭と倉跡郭とを隔てる空堀となります。空堀は先が見通せないように、曲がりくねった造りとなっており、空堀の高低差(深さ)は10mにも及びます。

 

 

空堀の西側、ちょうどセッテイ郭と倉跡との距離が一番短い部分の空堀となります。
このセッテイ郭は東西をこのような深い空堀で囲まれ、その南北は土塁や傾斜のキツイ切岸で囲まれており、城山(主郭)と同等かそれ以上の厳重な造りとなっています。

 

 

こちらの場所は案内図の②となります。この辺りはまだ整備途中なので、ご覧の通りの感じです。このセッテイ郭の名前の由来ですが、一説には「接待」からきているのではないかと云われています。他勢力の使者や人質などを招き入れた際、暗殺や逃亡などを防ぐ為にこの郭を厳重に監視、管理していたのでこのような厳重な造りになっているという説もあります。

 

セッテイ虎口

場所は案内図の17となります。まだ発掘調査はしていない様子ですが、今後の発掘調査に期待しましょう。ここから南西へと進み、水の手を経由して中池方面へと向かいます。

 

こちらはセッテイ虎口の西側にある空堀となります。この17の位置からセッテイ郭の南西まで深い空堀が続いています。

 

中池中央から奥ノ山へ

こちらの全体図を見ると往時、西側以外は全て湿地帯だったのかな?

 

 

現在の本佐倉城の航空写真となります↑。やはりこうして見ると往時、西側以外は全て湿地帯に囲まれた要害な城であった事がうかがえます。この場所から北へと進み奥ノ山郭へと入り、城山郭へと進みます。

 

奥ノ山西側土塁

倉跡から虎口を入ると、両サイドがこのような土塁で囲まれいます。この奥ノ山郭は内郭群で一番大きい郭となり、千葉氏の守護神妙見宮の基壇と思われる一辺15mの方形壇が発掘されています。

 

 

ここ奥ノ山郭では、廃棄された状態の「かわらけ」が一塊の状態で出土しています。かわらけは、特別な時に当主が儀式や儀礼、宴会等を行う際に大量に使用される素焼きの土器の事で、それらの行事を執り行う当主などの存在を示すものとなります。ここから城山(主郭)方面へと進んで行きます↓

 

奥ノ山・城山間の大堀切

場所は案内図の5となります。こちらの大堀切は奥ノ山と城山とを隔てる堀切で、その高低差は約6mとなります。また、坂を登りきった所には門跡も見つかっています。

 

城山(主郭)の切岸

場所は案内図の4の手前となります。このように城山(主郭)の城塁は傾斜のある切岸によって360度守られています。

 

城山南虎口

城山(主郭)への入口がこちら↑。折坂虎口となっています。ここに虎口に関する説明看板があったので見てみます↓

 

 

虎口の先は二方向に分かれて、土塁と門で厳重に守られていたんですね。どうでもいいが、このマスコットキャラクター、もう少し何とかならんかったのか……。

 

城山(主郭)

ここ城山郭は城主のための空間とされています。主殿で来客を迎えたり、宴会を催したりしていたと思われます。実際にここ城山では大量の " かわらけ " が出土しており、出土遺物の実に97%がかわらけで占められていました。

 

城山の囲み土塁

ここ城山郭は南側の一部を除いて、ほぼ全方位をこのような土塁で囲まれています。切岸の高さに土塁の高さ、さらに板塀が加わり、それは堅固な郭であった事でしょう。

 

スタンプ押印

スタンプ設置場所国史本佐倉城跡案内所。

スタンプの状態: " " 屋内管理でいたずら押しがないので状態は良い。

スタンプの印影:上空からの本佐倉城?。

 

御城印

御城印販売場所国史本佐倉城跡案内所、京成佐倉駅前観光案内所など。

御城印のサイズ:通常サイズ。

御城印の値段¥:一枚300円。

本佐倉城ログ

時間:1時間18分、今回は内郭群だけなのでこの時間、外郭群も見れば半日は必要。

距離:2.3km、内郭群だけでこれなので、外郭群も見れば5kmオーバーは確実。

標高・比高:標高は41m、比高は測定できませんでした。

 

広域

京成酒々井駅から徒歩圏内の物件となります。今回は内郭群のみの散策でしたが、外郭群も散策するとなれば半日以上かかるので、時間に余裕がある方はチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

本佐倉城

見所ポイント内郭群外郭群横堀土塁虎口堀切切岸、櫓跡、等。

駐車場国史本佐倉城跡案内所(約30台)。

総評:現在の千葉県印旛郡酒々井町に位置し、印旛沼の南側、街道の結節点として水上、陸上交通の要衝に築かれた平山城。湿地帯に半島状に突き出た山を削平して郭にし、深い空堀や土塁などを巧みに配置して造られたここ本佐倉城は、現在においてもその状態の良い遺構を現存させていて、とても見応えがあります。こんな素晴らしい遺構が遺る平山城、” 本佐倉城 ” に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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