姫松館
別名:無し。
城地種類: 山城。
築城年代:不詳。
築城者:不詳。
主な関連施設:無し。
文化財史跡区分: 市指定史跡。
中館北側の横堀
宮城県栗原市に、「土の防御施設が芸術レベルの山城がある」というので行ってきました。2022.10.8.登城。
姫松館概要:
築城年代は不明で、奥州藤原氏の重臣、井ノ山雅楽之丞の居城であったと云われています。雅楽之丞は源頼朝によって藤原氏が滅ぼされたあと、その残党たちが起こした「大河兼任の乱」に味方し、この城に籠って戦いましたが、鎌倉方の千葉氏、足利氏、などに攻められ落城しました。
西舘北側の登城口
こちらの西舘北側に専用駐車場(2~3台)があります。県道17号線の(38.750546,140.953931)ここから東へと入っていき、墓地横の道をどん詰まりまで行くと専用駐車場に着きます。
西舘
駐車場脇から曲輪内へと入ります。ここ姫松館で3番目位に広い曲輪となっており、南西に細長い造りになっています。
こんな感じで南西方向に細長い曲輪になっています。まるでゴルフ場みたい…。
この西舘北側に横堀があったので見てみます↓
普通の山城なら、これだけでも見に行く価値がありますが、ここ姫松館ではこんなのは普通レベルで、この後まさに圧巻ともいえる土の遺構を目の当たりにすることになります。
中館・虎口付近
こちらは中館の西虎口となります。向かって左側が北で、虎口から横堀が城塁に沿って東側へと続いて行きます。
中館の西虎口がこちら↑。この辺りまで来ると否が応でもテンションが上がってきます。早速北側に配置されている二重の横堀を見に行きます↓
二重横堀
フレームに収まりませんが、写真の左方向にもう一つ横堀があり、二重(若干高低差があるにで二段の横堀と表現したほうが良いかも)の横堀として機能しています。
この横堀土塁の " うねり " が、たまらない!良いですねぇ~、土の城の醍醐味ですね。
もう少し進んでみましょう↓
もはや言葉になりません…。美しすぎて…。因みにこの中館北側の横堀は虎口の土橋部分から中に入れるので、土塁に一切触れず内部を見学できます。ここで一旦中館の曲輪内へと向かいます↓
中館の囲み土塁
ここ中館の北側面と西側面にはご覧の通り、高さ2m以上の土塁が曲輪を取り囲むように設置されています。それでは反対側の東面を見てみましょう↓
東側には囲み土塁はありません。まあ、この曲輪の城塁はかなりの急傾斜地なので問題は無いと思われます。次に東へと進み堀切に挟まれた曲輪へと進みます↓
中館の東虎口から土橋で繋がる、堀切に挟まれた小さな曲輪がこちら↑場所的に馬出曲輪的な感じでしょうか。
中館を主郭(Ⅰ)とした場合、その東にある小さな曲輪をⅡ郭、更にその東側をⅢ郭、Ⅳ郭、Ⅴ郭、と仮定して今後説明していきます。
Ⅱ郭北側から
先程の小さな曲輪(馬出曲輪的なやつ)の北端から撮影したのがこちら↑ 草刈り作業終了前日の登城なので、まあ見やすい事見やすい事。せっかくなので、この一段下の横堀も見てみます↓
この写真では分かりにくいですが、少し浅めの横堀となります。ただ、上段の横堀土塁がご覧の通りの高さと角度なので、この方面(北)への備えとしては十分だと思われます。ここで先程の小さな曲輪へと戻ります↓
再びⅡ郭から
この土の壁と、土塁のうねりがもう凄すぎてたまりませんっ!。しばし呆然とこの場に立ち尽くした事は今でも覚えています、まさに「土の芸術品」。
Ⅱ郭から見るⅢ郭
やや不明瞭ではありますが、堀切土橋からのⅢ郭となります。と、いうのもここ姫松館は整備、修繕の関係上、ちいさな重機等が東西を移動します。その作業路が各曲輪を土橋も含めてほぼ一直線に敷設されているので、虎口や土橋部分が改変されている可能性があり注意が必要です。
Ⅲ郭北側の横堀
どうでもいいが、草刈りが丁寧すぎて美しすぎます!本当にいい時にきました。ここから更に東へと進みⅣ郭を目指します↓
Ⅲ郭~Ⅳ郭間の二重堀切
Ⅲ郭とⅣ郭間にある二重堀切となります。土橋がやや怪しい感じはしますが、この広大な城域を整備するために作業路は必須なので、これで良しとしましょう…。
二重堀切をサイドから見てみました↑。ん、?、何か堀切っぽくないな?。
Ⅳ郭からⅤ郭をみる
埋まりかけてはいますが、Ⅳ郭東端とⅤ郭間には堀切があります。では早速、作業路(土橋)を通ってⅤ郭へと進みます↓
Ⅴ郭
この辺りは東館と呼ばれている城域で、このⅤ郭は結構広い曲輪となっています。
Ⅴ郭~Ⅵ郭間の二重堀切
先程のⅤ郭とⅥ郭とを隔てる二重堀切となります。もうここまで来ると、この作業路が逆に愛おしく感じるようになっていました。この「遺構のど真ん中を躊躇なく突っ切っていますが、何か問題でも?」と、言わんばかりの作業路の敷設が、凄腕ワンマン社長の強引な経営方針みたいで面白い…。注(悪口や否定的な意見ではありません)
Ⅶ郭
こちらのⅦ郭は未整備でご覧の通りの藪状態。本来、何もしなければ今まで見てきた曲輪もこのような藪になってしまうので、城跡の整備や修繕をされておられる方々には深く感謝いたします。
Ⅶ郭南側の大竪堀
Ⅶ郭の南側にこちらの巨大な竪堀らしき溝があります。資料には竪堀と書いてありましたが、それにしてもでかい竪堀だな!
Ⅵ郭北側の横堀
Ⅴ郭~Ⅵ郭~Ⅶ郭の北側はこのような横堀が巡らされており、北側への備えとして機能していたと考えられます。これで姫松館の散策は終了!下城して次の城へと向かいました。尚、南側斜面の畝状竪堀群については藪と急斜面と疲労のため断念しました。気になる方は見に行って下さい。
姫松館ログ
時間:1時間24分とありますが、畝状竪堀群まで見たら2時間以上かかります。
距離:2.5km、基本的に城域は尾根上にあるので、そんなに歩きません。
標高・比高:標高は92m、比高は26m(麓駐車場からの比高)。
広域
一迫川の北岸に位置し、東西に伸びる尾根上に造られた山城で、その要害性がうかがえます。
姫松館
見所ポイント:各曲輪群、土塁、二重空堀、空堀、畝状竪堀群、二重堀切、段郭、等。
駐車場:県道17号線の(38.750546,140.953931)ここから入り、墓地横の道を山へ向かってどん詰まりまで進むと専用駐車場あり。
総評:現在の宮城県栗原市に位置し、一迫川の北岸にある細長い丘陵の尾根上に築かれた山城。西舘、中館、東館、と大きな曲輪を中心に土の遺構が良好な状態で遺っています。城跡に遺る畝状竪堀群、横堀、土塁、堀切、等を見るかぎり戦国期に改変されている可能性大で、大崎氏や伊達氏の関与が指摘されています。こんな見事な土の城にして、土の芸術 品、” 姫松館 ” に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。