壽 初春大歌舞伎「一條大蔵譚」@歌舞伎座 | 明日もシアター日和

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観たもの読んだものについて、心に感じたことや考えたことなど、感想を綴ってみます。

勘九郎/歌女之丞/獅童/京蔵/國久/山左衛門

 

 18日に観ましたが、新型コロナウィルス絡みで、常盤御前が扇雀歌女之丞お京が七之助京蔵鳴瀬が歌女之丞國久という配役に。特に、扇雀や七之助のお役を門閥外の役者さんが代わって立つというのは、かなり異例なのではないかな。そしてそれが、予想以上に素晴らしかったです👏

 

 勘九郎の大蔵卿は3度目だそうだけど、前回が2012年の平成中村座だから10年ぶりなんですね。全体の感想としては、素に戻って本心を見せるところがキッパリしていてカッコ良かったのと、作り阿呆は、十八代目勘三郎がやりすぎ感があった(本当の愚鈍な男に見えて違和感があった←個人の感想です🙇‍♀️)のに比べると(一応パパとの比較です)、勘九郎の阿呆の方が好感もてたということでした。

 確かに愛嬌や柔らかさや品性などは不足とも言えるけど、このあと5年、10年、20年と演るうちに、それらは次第に付いていくはず。仁左さまや白鸚さんや吉右衛門さんのような味のある大蔵卿になるための、いまはその布石段階。あるいは、勘九郎(その頃は十九代目勘三郎ですね)独自の大蔵卿になっているかも😊

 

 檜垣では、阿呆の見せ方に良い意味で誇張がなく、床几の端に座ってギッコンバッタンして遊んだり😆お京の舞の最中にうっかり居眠りしちゃったり😅するところに、童子のような無垢さを感じました。観客を笑わせようという意図が見えない分、リアルな平安貴族の姿にも思える。そういうのもあって、勘九郎の大蔵卿には時々陰りが見えたな。源氏への思いを隠し阿呆を装って生きなければならない、上層部に翻弄された自分の人生を憂える、何か悲哀のようなものが感じられた。花道に出たところで、扇で顔を隠すんだけど、あそこはどんな表情になっていたのかなー、見えなかった。

 奥殿では、勘解由を斬りつけて現れた姿がとっても凛々しく精悍。本心を語るところも気持ちが入っていて説得力があり、鬼次郎に思いを託すときは清々しかったです。阿呆を作るところと本心を現すところとを交互に見せる部分は、阿呆の造形にチャーミングな要素が足りないぶん、その変わり目の鮮やかさは感じられなかったのは確かですけどね。

 

 獅童の鬼次郎は普通に良かったけど、大蔵卿から源氏再興を願って友切丸を手渡されたところから、俄然と力が入り勇猛に熱血ぶりを見せていた。そして山左衛門の勘解由が全く浮くことがなく手堅くて良かったなー。

 そして代役の方たち、ホント凄いですね。京蔵のお京はセリフ回しに重さと品があり、間の取り方にちゃんと意味をつけていて、鬼次郎とのやりとりも夫婦そのもの、見事でした。舞についてはよくわからないけど、良かったのだと思うよ😅  花道を最後に一人で引っ込むところも、観客の視線を一身に浴びながら堂々としたもので、京蔵の心情を思うとちょっと泣けた✨ 歌女之丞の常盤御前も貫禄と毅然とした強さがあって立派だったし、國久の鳴瀬も落ち着いていた。皆さんきっちり勤めて上げていて、いや〜、歌舞伎役者の底力に感服しました🎊

 

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