T O E F Lの点数が足りなかったのに大学院入学しちゃった話 #3
全ての書類を提出してからはあまり合否のことを考えず、何とかなるだろうと思い英語学校の課題、T O E F Lの勉強も一応続けながら過ごしていました。相変わらずサリーとはほぼ毎日の様にあい雑談したり、彼女の日本語のクラスの宿題を手伝ったり、添削したりして普通に過ごしていました。
1週間ほど経った頃でしょうか、家に帰るとポストの中に一通の封書が入っていました。大学院からの手紙だとすぐわかりました。家に入り、一番にしたことはサリーに電話を入れました。
「サリー、今家に帰ってきたら大学院から手紙が着いてた!」
「何て書いてあった?」とサリー。
「まだ開けてない。怖いもん」と私。
「何で?今、電話しながら開けて読んで」とサリー。
「分かった。」とビリビリと封筒を開けて中の手紙を取り出しました。
手紙は「おめでとう」と始まっていました。その瞬間、T O E F Lの点数が足らなくても大学院への入学が認められたことが瞬時に分かりました。正式には条件付き入学でしたが、とりあえずドアは開かれました。
「条件付き入学を認めますって、書いてある。大丈夫かな。」
「入ったもん勝ちだから、大丈夫!条件のところも声に出して読んで」
「最初の9単位で成績B平均取らないとダメって。」
「それ、普通。大学院の普通の条件だし、大丈夫!おめでとう!私が言った通りに入学できたでしょう?」
「うん。サリー、何から何まで、ありがとう。これからももっとお世話になると思いますが、よろしくお願いします、師匠!」
「師匠?良いねー。これから師匠と呼んで、冗談です。」
この「ダメもとで、とりあえず聞いてみる」というのは本当にアメリカで生きていく上では大切なことだと今となっては思います。本当に全てが「交渉次第」なのです、この国では。ある意味、交渉次第で給料や労働条件、入学条件、ケーブルテレビの料金から車の修理に至るまであるとあらゆる所で値段が変わってくるのです。この国で生きていくのに必要なのは「交渉力」とその交渉を楽しんでしまう様な「忍耐力」なのではないかと思います。大抵の場合、交渉するには時間がかかるので、そこで短気を起こしてしまわない様に、着々と自分に有利な状況に持っていける様に我慢強く交渉。
サリーの一言から始まった無茶としか思えなかった交渉、、、。サリーに学んだ一番初めのアメリカ流の処世術。感謝、感謝。