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ソ連ハイジャック事件

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30年以上前、オベチキン一家が飛行機をハイジャックした。彼らは普通の農村の子沢山家族で、母親のニーネリは11人を育て、イルクーツクで知られる存在だった。

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息子たちはジャズアンサンブル「7人のシメオン」を結成。ニーネリは10人以上の子供を育てた母親に送られる称号「母親英雄」を受賞。日本公演を終えた頃から、息子らは亡命を夢見るようになった。

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1988年3月8日彼らはレニングラード行きの飛行機に乗る。楽器ケースに銃と3つの手製爆弾を隠した。ハイジャック計画は三男オレグ(21歳)が考え、母親(51歳)が指揮を取る。次女オリガ(1988年当時28歳)は計画に反対し家を出て、作戦決行日を知らなかった。機内で、長男(26歳)から五男イーゴリ(17歳)まで男5人が武装し、イギリスへ向かうよう要求。飛行機は軍事空港へ着陸し銃撃戦になる。息子の一人が激怒して客室乗務員を銃殺。

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用意した100発の銃弾を使い果たし、母は息子に年上の兄弟と彼女と自分自身を撃つように指示。長男は幼い兄弟を別の場所に連れ出しておいて、母の命令を遂行、自身と家族を撃った。母親と4人の兄弟が死亡。銃撃の間、乗客3人が死亡、19人が怪我を負った。

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9歳から14歳までの4人は病院に運ばれ、精神面の考慮から母親と兄弟の死をしばらく知らされなかった。拘束されたのはオリガ、イーゴリの二人のみ、それぞれ6年と8年の実刑が言い渡された。長女(32歳)は既婚者で計画について全く知らず、お咎めなし。

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オリガは刑務所で出産し、その後市場で働いた。酒の席の諍いで同棲していた男に殺される(享年44歳)。イーゴリは刑務所でオーケストラを指揮し、出所後も音楽活動を続けたが、悪い連中とつるむようになり、麻薬で捕まり、28歳の時拘束施設で死亡。

参考wikipedia

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※3月15日から12月24日までのモスクワ市の1日の感染者数グラフ。ここ1日のモスクワ市の新規感染者8,203人増、累積感染者数764,789人。

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