叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

珈琲


最近、喫茶店でコーヒーを飲む。

それもブラックだ。

とある喫茶店で浅煎りだの深煎りだのスペシャルティコーヒーだのを知ってから、いろいろなお店で飲むことが面白くなってきて、ふと見つけた喫茶店にふらりと入ってみたりする。

私は料理もお酒も具体的な好みを言語化することができない人間で、コーヒーについてもそれは同じなのだが、苦味や酸味がお店やブレンドによって違うことだけは分かるようになってきた。

以前はブラックコーヒーなどとても美味しい飲み物とは思えず、暇つぶしに喫茶店に入ることがあってもカフェオレばかり飲んでいたし、最近は喫茶店やカフェがインスタバエの道具に使われているような気がして近づくことすら避けていたのだから、それを考えれば大変な変わりようである。

生粋のコーヒー好きからすればにわかもにわかで、カフェ巡りが趣味ですと言える段階にはまだないのだが、新しい趣味のひとつとして数えられるようにしたいという程度には思っているのだ。

居酒屋巡りに比べれば相当安上がりだし、何より女性ウケが良いでしょうという打算は、ないね。


京都点描


3月頭に行った京都の写真。

友人と一緒に火鍋を食べた時の写真である。

たった4枚のために日記を書くまでもないのかもしれないが、せっかく京都で撮ったのだからまとめておく。


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錦市場の出口あたり。

神社の鳥居を抜けて、ちょうどスポットライトが当たってるようなところを外国人男性がのしのしと歩いていた。

参道の真ん中を歩いてはいけませんよ。


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これは京都駅。

黒で統一された京都駅に差し込む光、その中をとてもよい色の着物を着た女性が歩いていた。

厳密に見なくてもピントはずれているが、トータルの雰囲気がたまらなく好きだ。


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鴨川から眺める京都タワー

鹿児島における桜島みたいなもので、これを見ると京都にやってきたという実感を強くする。


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鴨川べりの遊歩道から、橋をゆく人を撮った。

なんということもない写真だが、光の具合が良いのでとても気に入っている。


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わざわざ混雑した観光地に行かなくても、通りを歩けばそれらしい写真が撮れるのが京都の良いところである。

こんな街を、私は他に知らない。

桜の季節


自覚はあったけれど、ここまで桜を撮るのが下手くそだと流石に落ち込んでしまう。

撮っている時はこの上なく愉快だし、なかなか良い絵が撮れたと確信しているのに、現像から上がってきたものを確認するとあまり芳しくない。

あれだけ愉快だった京都での撮影でさえそうなのだから、全く情けないというかなんというか。

撮影の愉快さと写真の出来は比例せぬものらしい。


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桜を、桜だからといってやたらと撮ることは戒めなければならないと思う、今日この頃である。

悪循環


私自身他人との約束にはこだわらない質で、相手にそれを反故にされてもなんとも思わないかわりに、こちらから反故にすることも特に罪悪感を感じない。

約束した時点ではどんなに愉しみにしていたとしてもその日になって気分が乗らないこともあるだろうから、連絡だけはしっかり取ってお互いに行き違いがなければ、それで良いのではないかと思っているのだ。

ただ、こういう考え方をしているせいか私は昔から友達が少なく、その少ない友人とするたまの約束が逆に重要性を帯びて息苦しくなってしまい、それならばもう約束なんぞしなければ良いという思考になってぃう。

そもそも約束をしっかり守るようにすれば良いのではないかという御説もごもっともで、その点実に申し訳なく思ってはいるけれど、未来の自分の行動を拘束されることがどうにも息苦しいのだ。

こうなってくると、私が友人だと思っている人たちは一体私にとってどのような関係性の人間なのかという疑問すら湧いてきて、どんどん負のスパイラルに陥っている。

大変情けない話で、三十をとうに超えた人間の悩みとは思えないのだが、最近は比較的真面目に考えている。

友達との付き合い方を教えてくれる友達が欲しい。

反射と思考


写真を撮る愉しさというのは、反射と思考の融合にあると考えている。

これは、私が好きなアニメのセリフからインスピレーションを得た考え方だが、先ずはそのセリフを紹介する。

脳量子波で得た超反射能力、だがてめぇはその速度域に思考が追いついてねんだよ!
動物みてぇに本能で動いてるだけだ!
だから動きも読まれる。
反射と思考の融合…それこそが超兵のあるべき姿だ!


そして、これを私流に改変するとこうなる。


最新機種で得た超高性能、だがてめぇはその速度域に思考が追いついてねんだよ!
動物みてぇに本能で撮ってるだけだ!
だからカメラに撮らされる。
反射と思考の融合…それこそが撮影のあるべき姿だ!


今の時代、撮りたいと思ったものにカメラを向けてシャッターを切ればそれなりの写真が誰にでも撮れるわけだが、それ故に撮影そのものが反射的に行われ過ぎているような気がする。

オートフォーカスは早くて正確だし、露出の調整もカメラがやってくれるし、人間があえて思考してカメラを操作しなくてもまともな写真が撮れるようになっているのだ。

ただ、それが面白くないという私のような人間が一定数いるのもまた事実で、そういう人たちはカメラに頼り切って撮影することを潔しとしないし、撮影結果だけが写真の愉しさだとも思っていない。

例えば私が使っているライカのII型などは、周囲の明るさを見て絞りとシャッタースピードを適正な数値に調整しなければならないし、フォーカスもマニュアルで合わせなければまともな写真は撮れない。

つまり、シャッターを切る前に色々と考え事をしなければならないわけで、わざわざ面倒なことをしていると思う人もいるかもしれないが、このひと手間をかければこそカメラを操って写真を撮ったという満足感を得られるのであり、それが写真を撮る愉しさのひとつにもなっている。

だから、よい光、よい造形、よい人物などの被写体に反射的に反応すること、それをまともに写すために思考しカメラを操作することは、私の中ではどちらも写真を愉快だと思うための欠かせない要素であり、このふたつのどちらかが欠ければ写真を愉しいとは思えなくな

撮影者とはとことん難儀な人間なのである。

疲労


今日はさっさと帰ってきた。

出発が早朝だったからみどりの窓口が開いておらず、遠距離の切符を買うことができなかったので、平塚から熱海、静岡、浜松と切符を細切れに買った。

この作業が実に面倒だったし、その度に財布からお金がなくなってゆくのは実に淋しく、今更ながら青春18きっぷの有り難みを知る思いだった。

やはり、青春18きっぷのない時期に無理をして旅に出るのはよろしくない。

まさかそのせいでもあるまいが、今回の旅はどうにも中途半端で、愉快だったのかそうではなかったのか、自分の中でも結論を得られずにいる。
 
旅というものは、万端の準備をして肩透かしを食らうこともあれば、不意に出掛けた先で思いがけぬ充実を得ることもあるものだが、今回はそのどちらでもないのだ。

湘南の海を歩いたときもいまいち心が晴れなかったし、何か愉快な出会いがあったわけでもなく、特筆すべきことのない、とにかくぼんやりとした旅になってしまった。

こんな思いをするぐらいなら、近場で暴飲暴食をした方がよほどマシだったかもしれない。

明日からは職場に行かなければならないが、どうせ水曜日まではラインは動かないのだから、もういっそのこと、このままゴールデンウィークに突入してくれないかしら。

放浪


せっかく湘南まで来たのに、午前中はずっとホテルでうだうだしていた。

1日中歩き回っても疲れるだけだし、どうせ夕方にならねば撮る気も起きないのだから、これはこれで良いのだ。

それに、せっかく同じホテルで2泊分取ったのだから、最大限利用しなければ勿体ない。

じっくりうだうだした後は江ノ島まで移動して、写真を撮りながら鎌倉までだらだら歩いた。

少しもかわりばえのしないいつも通りのコースではあるのだが、そこに集まってくる人は当然いつも通りというわけにはいかないから、これはこれで愉しいのだ。

今日はフィルムを1本使い切って、2本目を装填したあたりで日暮れを迎えた。

正直、前回来た時とおんなじような写真を撮ってばかりいたような気がするが、私としてはこの放浪癖を抑えつけるためにはここにくる他なかったのだ。

全く、妙なところで休みを入れてくれたおかげで、変な癖が頭をもたげてくるし、そのせいでさらに余計なお金を使わなければならないし、あまり良いことはなかった。

こんなことになるのなら、何もすることがなくても仕事に出れば良かったと今は珍しく後悔している。