あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか(ルカ2:15~21)

(今回は、実際にイエスの誕生を見にいくひつじかいたち、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の15~21節より

『御使たちが(=キリストの誕生にあたって神を賛美していたみつかいたちが)彼らを(=ひつじかいたちを)離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ(=キリストが生まれた町へ)行って、主が(=神が)お知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ(=イエスの母と父)、また飼葉おけ(かいばおけ=家畜のえさをいれるおけ)に寝かしてある幼な子(イエス)を捜(さが)しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を(=このイエスイスラエルの民の救い主となるということを)、人々に伝えた(=言い広めた)。人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った(=おどろいた)。しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。羊飼たちは、見聞きしたことが(=イエスが布にくるまって飼葉おけに寝ていると聞いたこと、そして実際に目撃したことが)何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。八日が過ぎ、割礼(かつれい=ユダヤ人は、神とアブラハムが交わした契約のとおりに、男子にかぎり、かつ赤子のときに、性器の包皮の一部を切除する必要があります)をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が(=マリヤに)告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた(=こうしてユダヤ人としてお生まれになったイエスは、律法(=神からの指針(レビ12:3))のとおりに割礼をうけました)』

 

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(ひつじかいたちは、みつかいが言ったとおりかどうなのかをすぐに行動にでて、そしてイエスが寝かされているかいばおけをみつけました。イスラエルの、そして世界中の人たちの救い主となるイエスは、たしかにそこで寝かされていたのです。どうか一人でも多くの方が、わたしたちの救い主キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである(ルカ2:8~14)

(今回は、みつかいが羊飼たちにキリストの誕生をつたえるシーン、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の8~14節より

『さて、この地方で(=ベツレヘムのあたりで)羊飼(ひつじかい)たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主(=神)の御使(みつかい)が現れ、主の栄光が(=ここでは神のご存在が目で見えるものとしてあらわされた光のようなものが)彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に(=イスラエルのすべての人々に)与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデ(=かつてのイスラエルの王)の町(=ベツレヘム)に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリスト(=救い主イエスキリスト)である。あなたがたは、幼な子(イザヤ9:6)が布にくるまって飼葉おけ(かいばおけ=家畜のえさをいれるおけ)の中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。するとたちまち、おびただしい天の軍勢(=軍をなした大勢のみつかい)が現れ、御使と一緒になって神を(=こうしてイエスが生まれ、地上に救い主をおあたえになった神を)さんびして言った、「いと高きところでは(=天では)、神に栄光があるように(=神に栄光が帰するように)、地の上では(=この地上では)、み心にかなう人々に(=神を信じ、イエスを救い主だとうけいれる人々に)平和があるように」』

 

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(みつかいたちが、天では神に栄光が帰するように、また地では信者に平和があるように、と賛美していますが、これらもキリストによって実現していきます。キリストが地上で神のみわざをおこない、神の栄光をあらわし、これによって天の神を信じ、その栄光をたたえる人々がおこされていきます。またキリストがなしとげてくださる罪のあがないを信じる者には、罪の赦(ゆる)しと永遠の命があたえられ、いかなるときも神がともにおられる平安があたえられます。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた(ルカ2:1~7)

(今回は、家畜用のおけに寝かされるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の1~7節より

『そのころ(=キリストの先駆者となるヨハネが生まれたころ)、全世界の(=ローマ帝国内の)人口調査をせよ(=税を集めるための調査をせよ)との勅令(ちょくれい)が、皇帝アウグストから出た(=アウグストとは称号のことで、実際の名はオクタヴィアヌスです)。これは、クレニオがシリヤの総督(=ローマによって立てられたそうとく)であった時に行われた最初の人口調査であった(=皇帝からの命令をうけたクレニオのもとで調査がはじめられました)。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ(=自分の戸籍のある町へ)帰って行った。ヨセフも(=イエスの父となるヨセフも、要はマリヤの夫も)ダビデ(=かつてのイスラエルの王)の家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤベツレヘム(=エルサレムより南にある)というダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていた(=イエス聖霊によってみごもっていた)いいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子(ういご=長男となるイエス)を産み、布にくるんで、飼葉おけ(かいばおけ=家畜のえさをいれるおけ)の中に寝かせた。客間(=宿屋)には彼らのいる余地(=場所)がなかったからである』

 

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(もし人口調査の命令がなければ、イエスはヨセフとマリヤが住んでいたナザレで生まれるところでした。しかしこのタイミングでちょうどベツレヘムに滞在していたのです。そして神の預言どおりに、このベツレヘムにてキリストはお生まれになりました(ミカ5:2)。どうか一人でも多くの方が、神の預言の正確さにふれられますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから(ルカ1:76~80)

(今回は、ヨハネによるキリストのための準備に関する預言、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・1章の76~80節より(以下はザカリヤの預言です)

『「幼な子よ(=生まれてまもないザカリヤの息子、ヨハネよ)、あなたは、いと高き者の預言者(=神から遣わされた預言者)と呼ばれるであろう。主の(=キリストの)みまえに先立って行き、その道を備え(=キリストによる宣教を人々にとどきやすくし(イザヤ40:3、マラキ3:1))、罪のゆるしによる救を(=罪をあがなうことでもたらされるキリストによる救いを)その民に知らせるのであるから。これはわたしたちの神のあわれみ深い(=一方的な恵みである)みこころによる。また、そのあわれみによって、日の光(=これは曙(あけぼの)の光で、救いをもたらすイエスキリストを指しています)が上から(=天から)わたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を(=悪魔の支配下にあって、罪がもたらす死に支配されていた者を)照し(イザヤ9:2)、わたしたちの足を平和の道へ(=神がともにいてくださる信仰の道へ)導くであろう」。幼な子は成長し、その霊も強くなり(=神がともにあって霊的に強くされて)、そしてイスラエルに(=神の民であるイスラエルに)現れる日まで、荒野(あらの=ユダヤ地方の死海周辺の荒れた土地)にいた』

 

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(神の預言で成就しないものはありません。救い主であるキリストの到来も旧約聖書のいたるところに書かれていますが、キリストの先駆者となるヨハネについても預言がされていました。そしていまヨハネが生まれ、いよいよ神のご計画が大きく動こうとしているのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

神はその民を顧みてこれをあがない、わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった(ルカ1:67~75)

(今回は、イエスキリストによる救いの実現を預言するザカリヤ、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・1章の67~75節より

『父(=ヨハネの父となった)ザカリヤ聖霊(=神の霊)に満たされ、預言して言った、「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな(=神は全人類を救う計画をお持ちですが、まずその第一歩としてアブラハムを選ばれました。彼の出身はウル(現在のイラクの南部)であり、この彼がカナン(現在のイスラエルのあたり)に入りました。そして子孫があたえられていくわけですが、この彼からイサク、ヤコブを経て、神の民となるイスラエルユダヤ人)が誕生しました。ザカリヤユダヤ人なので、こうして神をほめたたえています)。神はその民を顧(かえり)みてこれを(=この民の罪を)あがない、わたしたちのために救の角(つの)を(=救いをもたらすイエスキリストを(詩篇18:2))僕(しもべ)ダビデの家にお立てになった(=ダビデ王もユダヤ人であり、その子孫のヨセフ(イエスの父)もマリヤ(イエスの母)もユダヤ人ですから、イエスはまさしくダビデの家に立てられました(エレミヤ23:5~6))。古くから、聖なる預言者(=神からの使者)たちの口によってお語りになったように(=旧約聖書につづられてきたとおりに)、わたしたちを敵から(=敵とは、武力的なこと以上に霊的な意味と考えられるので、ここでは神から離れさせ、罪にしむける悪魔(サタン)から)、またすべてわたしたちを憎む者の(=悪魔に属しているすべての者の)手から、救い出すためである。こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ(=愛と恵みを示し)、その聖なる契約、すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓い(=神は、アブラハムの子孫から救い主を誕生させ(創世記12:3)、イスラエルを繁栄させるとともに、カナンの地を永遠にあたえると約束なさいました(創世記13:14~16))をおぼえて、わたしたちを敵の手から救い出し、生きている限り、きよく正しく(=敬虔(けいけん)さと義をもって)、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである」』

 

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(キリストがわたしたちにもたらしてくださるのは罪からの救いであり、その贖(あがな)いです。ですから “敵” とは、神から離れさせ、罪にしむけてくるサタンととらえるのがいいと思います。こうした悪霊をふくめた霊的なものに対する戦いこそが、聖書のテーマでもあるのです(エペソ6:11~12)。どうか一人でも多くの方が、罪の存在に目をむけていけますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った(ルカ1:57~66)

(今回は、神のみこころどおりに、子にヨハネと名づける、ということについてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・1章の57~66節より

『さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。近所の人々や親族は、主が(=神が)大きなあわれみを彼女に(=不妊の彼女に)おかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。八日目になったので、幼な子に割礼(かつれい=ユダヤ人は、神とアブラハムが交わした契約のとおりに、男子にかぎり、かつ赤子のときに、性器の包皮の一部を切除する必要があります)をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名(=みつかいのガブリエルが言ったとおりの名)にしなくてはいけません」と言った。人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません(=ユダヤ人の慣例では親族の名をうけつぎます)」と彼女に言った。そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた(=ザカリヤは一時的にことばをしゃべれなくさせられていました。“合図” とあるので耳もきこえなかったと考えられます)。ザカリヤは書板(かきいた=文字を書く板)を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った(=おどろいた)。すると、立ちどころにザカリヤの口が開(ひら)けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。近所の人々はみな(=じかに神のみわざを目撃して)恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼(=キリストの先駆者となるヨハネ)と共にあった』

 

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ザカリヤ夫婦は、ユダヤ人の慣例よりも神からのことばを優先して、ヨハネという名を子に名づけました。このヨハネがキリストの先駆者として、キリストの宣教が浸透するように道をととのえていくのです。どうか一人でも多くの方が、神のご計画にふれていくことができますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます(ルカ1:46~56)

(今回は、マリヤの賛歌、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・1章の46~56節より

『すると(=エリサベツからの、あなたは神に祝福されているとのことばをきいて)マリヤは(=イエスをみごもったマリヤは)言った、「わたしの魂は主(=神)をあがめ、わたしの霊は救主なる神を(=救い主である神の御子(みこ)を、すなわちイエスキリストを)たたえます。この卑(いや)しい(=みすぼらしく、とるに足りない)女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は(=今後のすべての世代の人々は)、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力あるかたが(=神が)、わたしに大きな事をしてくださったからです(=イエスをみごもらせ、神の人類救済のご計画にたずさわらせてくださったからです)。そのみ名は(=神のみな、神のご性質は)きよく、そのあわれみは(=罪人にも愛と恵みをもって接してくださることは)、代々限りなく主をかしこみ恐れる者に(=恐れつつしむ者に)及びます。主はみ腕をもって力をふるい(=みわざをおこない)、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ(=満ち足らせ)、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます(=これらはまさにこれからお生まれになるキリストが、成就してくださることです)。主は、あわれみをお忘れにならず、その僕(しもべ)イスラエルを(=神の民としてくださったイスラエルに、こうして救い主(キリスト)をおあたえになって)助けてくださいました、わたしたちの父祖アブラハム(=イスラエル民族の租(そ))とその子孫とをとこしえに(=永遠に)あわれむと約束なさったとおりに(=神はアブラハムの子孫から救い主を誕生させ(創世記12:3)、イスラエルを繁栄させるとともに、カナンの地(=現在のイスラエルのあたり)を永遠にあたえると約束なさっていました(創世記13:14~16))」。マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った』

 

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(神は旧約聖書の中で、アブラハムの子孫から救い主を誕生させて、イスラエルを永遠に繁栄させると約束されていました。そしてこうしてマリヤがみごもり、その約束がうごきだしました。さらにはこのキリストが救いの恵みを、全世界に広げてくださったわけですが(エペソ2:14~16)、この救いがまさにいまももたらされつづけているのです。どうか一人でも多くの方が、この進行中の救いにあずかりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)