(今回は、キリストによる病のいやし、についてふれたいと思います)
『さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。この病人はイエスに答えた、「主よ(=ご主人さま(回復訳参考))、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです(=人々は、この池の水がうごいた際に、いちばんにはいった者だけがいやされると信じていました)」。イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床(とこ=横になるために敷(し)いていたもの)を取りあげ、そして歩きなさい」。すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った(=このようにキリストは池の水とは関係なしに、神のめぐみによって彼をいやされました)』
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(なおこの話はまだつづきます。じつはこのいやしをあたえられた日が安息日だったのです(=あんそくにちとは、仕事をやすんで神に礼拝をおこなう日のことで、7日ごとにおとずれます。これを神は律法のなかでお定めになっていました。ですが当時のユダヤ人はこれを歪曲(わいきょく)して、人助けも労働とみなし、律法に違反していると解釈していたのです)。このキリストのふるまいが、このあとユダヤ人指導者に知れわたり、問題が発生することになります。どうか一人でも多くの方が、聖書に興味をもって、手にすることとなりますように。イエス・キリストのお名前をとおしてお祈りいたします)