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朝の光(聖書の言葉)

苦難のしもべ (イザヤ53:3)

苦難のしもべ



(イザヤ53:3)


「彼はさげすまれ,

人々からのけ者にされ,

悲しみの人で病を知っていた。」




これは,紀元前8世紀の

預言者イザヤの言葉です。


イエスが十字架で苦しんだ姿を

描いています。


イエスが,

わたしたちに代わって罪を

負ってくださっています。


それは,神の恐ろしい怒りです。

しかし,このことによって,

わたしたちの罪は赦され,

神の子とされます。

 

 


 

 パウロは,次のように書いています。


(ローマ4:25)


「主イエスは,

私たちの罪のために死に渡され,

私たちが義と認められるために,

よみがえられたからです。」




イエス・キリストは,

わたしたちがさげすまれ,

のけ者にされ,

病気の苦しみを知っていました。


罪は別として,

人として来られた神だからです。

その問題のすべてを,

御自身が十字架にかかり,

復活することによって,

解決を与えてくださいました。






☆彡



主の僕の苦難と死


(イザヤ53:1-8)

「私たちの聞いたことを,

だれが信じたか。

主の御腕は,

だれに現われたのか。

彼は主の前に若枝のように芽生え,

砂漠の地から出る根のように育った。

彼には,

私たちが見とれるような姿もなく,

輝きもなく,

私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ,

人々からのけ者にされ,

悲しみの人で病を知っていた。

人が顔をそむけるほどさげすまれ,

私たちも彼を尊ばなかった。

まことに,彼は私たちの病を負い,

私たちの痛みをになった。

だが,私たちは思った。

彼は罰せられ,神に打たれ,

苦しめられたのだと。

しかし,彼は,

私たちのそむきの罪のために

刺し通され,

私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが

私たちに平安をもたらし,

彼の打ち傷によって,

私たちはいやされた。

私たちはみな,

羊のようにさまよい,

おのおの,

自分かってな道に向かって行った。

しかし,主は,

私たちのすべての咎を彼に負わせた。

彼は痛めつけられた。

彼は苦しんだが,口を開かない。

ほふり場に引かれて行く小羊のように,

毛を刈る者の前で

黙っている雌羊のように,

彼は口を開かない。

しいたげと,さばきによって,

彼は取り去られた。

彼の時代の者で,

だれが思ったことだろう。

彼がわたしの民の

そむきの罪のために

打たれ,

生ける者の地から絶たれたことを。」










聖書のこの箇所には,

次の讃美歌があります。


「我が為イエス君」

(新聖歌103,聖歌437)  


1.

我が為 イェス君 

傷をば負い給いぬ
 
かくて我は癒(い)えたり 

罪は我を去りたり


2.

我が為 イェス君 

十字架に死に給いぬ

かくて我は解(と)けたり 

強き罪の罠(わな)より


3.

我が為 イェス君 

御(み)墓に入り給いぬ

かくて我は生きたり 

陰府(よみ)の門(かど)も何かは


4.

我が為 イェス君 

死に打ち勝ち給いぬ

かくて我も勝つを得ん 

罪に陰府(よみ)に悪魔に





2016-01-07

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