久しぶりの青空の中 だいぶ紅葉も進んでまいりました

 

今日は主人が旅立ちました日ーー丸3年経ってしまいました

---あの日はあたたかな素晴らしい快晴の青空でした

 

三年前

主人を見送り 外に出ました時 今でも忘れられない事がありました 

主人のいとこたちの車を見送っておりましたら どこからか白い大きな鳥が一羽 車を見送るようにしばらく車の上を飛び その後に私たちのすぐ頭の上 手が届きそうな真上で私たちの頭の上を何回か旋回し ゆっくりと遠方の山の方へ飛んでいきました

 

  若い女性の方が主人の旅装束の支度をしてくださったのですが その白い着物の地模様と白い鳥の羽が同じような模様に見え 

その鳥の姿が 今までの病室のベッドからやっと開放され 自由になれたから みんな 心配しないでねーーと言っている主人の姿の様に思え 悲しみが少し和らいだような気になれました

 

娘たちも 今の鳥はきっとぱぱね!パパだったような気がするわ! と言いながら みんなでいつまでもいつまでも見えなくなるまで見送りましたーー

 鶴かしら?と思いましたが一羽で鶴がいるはずもありませんので 白鷺だったのかもしれませんが あの時以来一度もお目にかかっておりません

青空の中の白い鳥の姿は今でも 目に焼き付いておりますが忘れられない一瞬の出来事でした

 

☆沢山のお花を頂きました☆

   今年は秋になりましてもお天気も不順で 雨も多く寒い日が続いております

一日ー朝からメールや電話 カードやプレゼントを頂き 毎年のお友達のやさしさに感激してしまいます

 

  過ぎ去る歳月は早く 毎年 脳もなく 役に立ちそうなことも何もできず ダラダラと年だけを重ねてきてしまっておりますが 主人が倒れましてからはいつも変わって上げられたらと思ったものでした

 

同い年で学生時代からですから 友達感覚がぬけきれない夫婦

でしたが 一人の人間として尊敬できる素晴らしい人でした

 

人が生きていくという事はどういうことなのかという問いを自分に問いかけながら 人生を楽しみ 仕事、人との交流が大好きでした

スキー テニス ゴルフ バトミントンとスポーツは万能でしたが

ただスポーツを楽しむというだけでなく データーをとり 人一倍研究熱心な人でした

 

☆毎年仕事でヨーロッパ、アメリカ カナダへと☆

 

  毎年忙しく飛び回っておりましたが 行く先々から 絵葉書を

1日 2枚以上は送ってくれました  

誰にというのではなく 家族にもその国へ行っている気持になってほしいと細かなことまで書いてくれました

紀行文の様に楽しい文ですので 今読みましても当時のその国の

様子 街のたたずまいがわかり 楽しく これからまたゆっくりと読み直してみたいと思っております

 

宛名は家族全員の名前で送られてきて 愛犬 2 匹の名前も必ず入っていました

 

☆七七 はナナちゃん 六九はムック 当時飼って居りました犬のなまえです☆

  お洒落で自分のものは自分で買いたい人で買い物が大好きでしたから 私達へのお土産も楽しみながら バッグ 靴 洋服などいつもセンスの良い物を買ってきてくれました

 主人の外国用の手帳がまだ残っておりますが 娘たちに頼まれました化粧品や香水のメモなどがきちんと貼ってあり 主人の几帳面さを思い出します

 

  まだマニキュアといいますと 赤 ピンクが主流で黒やブルーなどまだない時代に シャネルの紫 ブルー グリーンなどを買ってきてくれましたが 私達の方がびっくりしたことも懐かしい思い出です

 

   

   スポーツに仕事にととても元気でしたから 皆様にも一番長生きしそうーーと言われておりましたので まさか63才で倒れるとはおもってもおりませんでした

5年たち また 2度目 3度目と脳梗塞を起こし 最後の5年間くらいは 喉の麻痺になり可哀想でしたが 一度も文句も愚痴も言わず リハビリに励んでいました

 

最後の年は 結婚 50周年の年で 末娘が病室を綺麗に飾り 娘の知る50年来の友人夫妻を2組 私にも内緒で招いてくれていて結婚50周年を祝うことが出来ました

 

  会社に自分の部屋があり 会社関係の物は勿論の事 私物も沢山置いてありました

病気で倒れましてから 6年ぐらい経ちましてから 段ボール 30箱くらいがドンと送られてきました

 

その中に主人のファイル 書き留めました物など沢山入っておりました

私も知らないファイルやメモ類 書き留めていました文章が沢山入っておりましたが なかなか整理する時間がなく 今になっております

 

この度 半分くらいこちらに持ってまいりまして少しずつ整理しようと思っております

 

ファイルにはーー

 

☆汲めども尽きぬ話の泉はNO4 までだったのでしょうか

主人がつけましたこのタイトルのファイルには 日経などの新聞などから自分の興味がありました 記事の切り抜きなどが入っております☆

    アメリカの保険会社からの注意喚起の手紙でしょうか?

パクリ屋の手口 などのt紙が入っていておかしくなりました

 

 

 ” パパから娘たちへ”のファイルの中の文は 主人が最初に 心房細動という病気が見つかった時に書いたようです

 

  ”これから僕は君達に伝えておきたいことを書いてゆこうと思う

今僕は43才だ  もう若くはない

ーーーーーーーーーー君たちの掛けがえのない人生を悔いのないように生きて欲しいとおもうのだーーー” とながながと娘たちへ書いています  

     主人がこれを書きましたのは 43才の時だったのだわ

と知り 私はその時に娘たちに残せるようなことが書けたかしら?

勿論 NO です

  娘たちはこの文章があることも知りませんから それぞれにコピーして これから整理していくつもりの主人の書き残しました物と一緒にファイルして残してあげようと思います

 

☆主人の書き留めました文章の一部☆

   

   化学を専攻するか 文学にするか 悩んだそうですが 結局は化学者になりましたが 本は勿論の事 文章を書くのも好きでしてから 本当に沢山残っております

  

 パラパラと見ましただけでも 脳について 脳の仕組み 心の進

化諭 詩と思想 記憶の正体の解明 ファジー理論の将来像 等々 難しい物から 植物はクラッシックが好きか  子供はなぜ駄菓子がすきなのか 山田監督と寅さん などの雑学までいろいろありそうですので ゆっくり整理しながらv主人の文を読んでみたいと思います

 

博学でしたが何事にま真摯に一生減額に立ち向かう人でした

いつも 良い加減といいながら いい加減な私ですから 主人から学ぶことばかりでした

 

  私が生きていますより 主人が生きて居ましたらどれだけ会社のため 娘達のため 主人自身のためにも どんなによかったでしょう 

したいことが山の様にあり 計画も沢山ありましたから どんなに か人生を楽しめたことでしょう

 

 世の中はなkなか思うようにいかないものです

 

  今回の手仕事は主人の残してくれましたものを整理する手仕事でした

 

☆ ヨーグルト クリームチーズの簡単ケーキ☆

  少しずつ残っておりましたヨーグルトとクリームチーズで簡単いい加減なケーキを作りましたので ちょっと目が疲れましたので

一人で紅茶で一休みです 

 

 冬に向かってしたいことが沢山ありますから 大好きな」冬にむかうのも楽しみです