日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第五回

ほぼ一ヶ月ぶりに、一人乗務反対闘争の記事をアップさせていただきます。

今回も、動労の資料、動力車乗務員史をベースに、当局側の視点、鉄労の視点などを絡めながらお話を進めさせていただきます。

今回引き続き、動労三〇年史から引用を行いながら、お話を進めたいと思います。

当時の合理化闘争、特にEL・DL機関助士廃止反対闘争に関しては、動労は絶対反対の立場、国労は条件闘争の為のきっかけ程度であり、その温度差は大きなものがあり、特に機関助士廃止反対闘争は、どちらかというと動労単独の闘争と言っても良く、この闘争では大幅に組合員を減少させることとなり、その失敗が国鉄分割民営化時の露骨とも言える掌返しに繋がるのでした。

EL・DL安全調査委員会の発足

安全調査委員会については、当局並びに動労は下記の二名を推薦した。

動労側が推薦した、鶴田教授は「国鉄事故国書 動力車乗務員の労働の実態」を執筆したことが縁で推薦に至ったようです。

最終的には、下記五名の委員が決定しました。

昭和43(1968)年10月18日に発足し、正式な委員会の名称は、「EL・DLの乗務員数と安全の関係についての調査委員会」 (略称EL・DL委員会)と決定し。

調査事項としては以下の内容を調査するとされました。

  • 労働科学・人間工学の面からみたEL・DLの1人乗務と 2人乗務の作業などを条件別に比較検討
  • それらの場合の安全性およびその確保についての必要条件

を審議するもので、同年12月6日から20日までは広島~岡山の間で実態調査が行われたとされています。

その辺を弊サイト「国鉄があった時代 昭和43年後半から引用したいと思います。」

国有鉄道 1969年2月号 EL・DL委員会 岡山~広島間で現地調査

EL・DL委員会 岡山~広島間で現地調査

 

EL・DL調査委員会実地調査開始 12/6~20 

「EL・DLの乗務員数と安全についての調査委員会」は国鉄の労使双方の依頼により、1人乗務と2人乗務についての生理負担などのデータをとるため第1回の調査が、12月6日、岡山機関区で始まった調査用計器類が積込まれ、1人乗務用に改造した電気機関車には、六島委員長ほか委員3人、松本岡鉄局長、松藤国労副委員長、竹森動労交渉部長が乗込み、岡山・糸崎間を折り返し運転したなお、この日は、計器類のテストで、本調査が7日から、山陽本線岡山~広島間で20日迄の日程比較テストが開始された

と有ります、動労はこの委員かに関しては非常な関心を持っていたようで、動労内部にも。「EL/DL対策委員会」を設けて万全の措置を取ったとしており、動労にとって有利な結論が出ることを期待していたようですが、実際には現状では一人乗務の条件は出来上がっていると言う委員全員一致の意見として、昭和44(1969)年4月9日には調査報告書を労使双方に提出、動労の思惑は図らずも外れることとなりました。

識者の見解は「EL・DLの一人乗務は妥当」との判断

委員会の出した結論は、既に十分時期は熟したというもので、実際に国鉄では一人乗務に際してEB装置を入換用機関車DD13に設置して試験まで行っていました。更に、ここに来て識者の一致した見解として一人乗務は可能と言うことが示されたことから、昭和44(1969)年7月からの操車場での入換作業の一人乗務化以降、一部の長距離列車などを除き、一人乗務が行われることとなりました。

当時の記録を弊サイト「国鉄があった時代・昭和44年前半」から再び引用してみたいと思います。

EL・DL委員会調査報告書答申 1969年4月9日

貨物列車 DL牽引

EL・DL委員会調査報告書を答申 4/9

    EL・DL委員会調査報告書を答申機関助士廃止にともなう列車運転の安全性をめぐり、労使間での懸案事項となっていた国鉄に対し、EL・DL委員会(大島正光委員長)は「1人乗務にする客観的条件は熟している」旨の報告書を労使双方に提示した
    1年以上にわたる1人乗務の安全論争に終止符がうたれたことになり、同委員会は9日付で解散した
    調査報告の要旨は次のとおりである。

            1人乗務の客観的条件は然している
            1人乗務の生理的負担はその生理的限界をこえるものではない
            1人乗務を進める上で安全についての基本的危惧はない
            機械化等の補償的な対策により、安全へのてこ入れは一層増進される
            2人乗務を1人乗務にきりかえつつそれを前提とした種々の施策を実施してゆくことを国鉄の基本方針にすべき時期にきている

    この報告書にもとづき労使協力して国鉄の近代化を進めることを期待する

この答申を提出したことで、EL・DL委員会は解散しますが、これに対し動労は非常に不満であったようで、委員会の委員と、国鉄労働研究所(現在は鉄道総研に統合)と連携が全く取れていなかったとして、委員会の報告自体が無効であるとして再度委員会の設置要求を行ったとされていますが、実際にはこうしたことは行われず。

本社が押し切る形となりました。その辺を、動労30年史、「機関助士廃止反対闘争」の項目から引用したいと思います。

引用開始

動労は、この報告が突如出された経緯とその内容について、「本報告書は安全性を解明する上では無意味である」とする抗議声明を発表した。また、EL・DL委員会の立会人であった明治大学清水義汎教授は、「岡山調査いらい委員会と立会人の意見交換は全く行われず、報告書の作成についても全く連絡はなかった・・・中略・・・国鉄労研所長のの"個人的見解の発表は許さぬ"という業務命令を振り切って4月15日「科学者として、報告書には重大な疑義があり。委員会に公開質問を行う」という立場で記者会見を行った。・・・中略・・・③一人乗務でも生理的疲労の低下がないと結論づけるのは尚早である。④安全性の低下を防止できる必要な条件を明示していない、等であった。

引用終わり

として、動労は再度の委員会設置を求めますが、当局は再度の委員会設置はしないとしてこれを拒否することとなりました。

 

こうして、EL・DL一人乗務に関しては動労にとっては極めて厳しい内容であったことは間違いないわけですが。

動労の中でも、徐々に主流であった機関車同志会に代えて政研派グループが力を持つようになり、動労の運動は後の鬼の動労と言われるようにより過激な方向に進んでいくのですが、この辺は次回にでもアップさせていただきます。


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