その喫茶店ではウイルスの感染対策として、客は入口で体温を測らなければならず、37度5分以上あると入店できなかった。
午後一時、店で事件が起こった。
店内の椅子のいくつかに犬の糞が置かれていたのだ。運悪くその上に座ってしまった客によって事件は発覚した。
すぐに有力容疑者が挙がった。
ウェイトレスの一人、鈴木英子に付きまとっていた柳圭吾という男だ。
午後三時、私と神津刑事は、柳のアパートで柳本人から事情を聞いていた。
「だから俺じゃないって。見てみろよ。この通り風邪を引いてる。無理だ」
柳の言うとおり、熱で顔は赤くなり、鼻づまりがひどいのか鼻声だ。
「いくら変装したってあの店には入れないよ。仮病じゃないぞ。午前中に医者に行って熱を測ってるからな」
私は例の喫茶店から借りてきた体温計で柳の体温を測ることにした。額に近づけてからボタンを押すと、すぐに結果が出た。
38度。
間違いなく風邪だ。
「店で使ってるのと同じ体温計に細工をして、それで計ってみせたのかもしれない」
神津刑事は珍しく頭を働かせて推理した。
「生憎だな。あの店の体温計には店のものだって示すシールが貼ってある。そのシールはオリジナルだ。ほら」
柳は私がテーブル上に置いた体温計を指さした。確かに持ち手のところにウェイトレスの顔写真が貼られていた。趣味がいいかどうかはともかく、オリジナルなのは間違いない。「詳しいじゃないか。ますます怪しいぞ」
「怪しいってだけで捕まえるのかよ? 証拠はないだろ。さっさと帰ってくれ。寝たいんだ。早く治さないと仕事にも支障があるからな」
「シールはプリンターとパソコンを使えばいくらでも自作できるだろ」
「うちにはパソコンもプリンタもないよ」
「もっと簡単な方法がある」
私は神津刑事と柳の会話に割って入った。
「店の体温計を使うけど、計るのは店員じゃなくて自分自身なのよね?」
「……そうだ。あまり近づかない方がいいってことだろ。まあ、でも店員の目の前で計ってるからあまり意味があるようには思えないけどな」
私は店から借りてきた体温計を再び手に取った。
それから神津刑事に言った。
「神津刑事。窓の外からスナイパーがこちらを狙ってる」
左側の窓を向いた神津刑事の首筋に体温計を当てた。
「スナイパーなんていないじゃないか」
神津刑事がこちらを向いたとき、柳は呼吸を止めていた。再び呼吸を再開したときは息が荒くなっていた。
体温計のデジタル表示は36度8分。これが神津刑事の標準体温だとすると、免疫力が高そうな数字だ。
「床に何かが落ちてるって店員に言って、店員が下を向いたとき首筋に体温計を当てた。店に出てるぐらいだからその店員は平熱。あなたはその人の体温を自分の体温と偽って、その表示を見せたから入店を認められ、店内で工作することができた」
私は立ち上がった。
「自首するのは風邪を治してからでいいよ。警察の人も移されたら迷惑だろうしね」
名探偵コナツ 第21話
江戸川乱歩類名探偵別トリック集成(21)
【第一】犯人(又は被害者)の人間に関するトリック
(B)一人二役の他の意外な犯人トリック
(6)不具者、病人が犯人