そして、しばらくしてK学院に電話をしてK先生に代わってもらおうとしたら、電話に出て来た人は明るい声で「K院長ですね」と言った。

電話に出てきたK寮長はもう寮長の仕事をしなくてよい院長になってしまった!私は驚いて。え!院長??????耳を疑った。

 

 

 

K院長となった先生と、始めて電話で話したら、本人は嬉しさあまりで、大笑いしながら私と電話で話したのである。

思わずK院長は「俺は沢山の生徒たちを殴って暴力を振るってしまったが本当だったら、訴えられても不思議じゃない!」と。このあとは、恐らくK院長の言いたいことは、ーおまえの大学卒業証書が手に入ったから、そうはさせないさ!ーと言わんばかりに。

 

 

K学院で、K寮長と言えば、虐待魔で他の先生方たちから嫌煙されていたはずである。しかも、大学は寮の生徒たちにも話せない大学卒らしい。国立どころではなく、六大学卒でもないK先生は間違っても絶対に院長にはなれなかったはずなのである。当時は、人格の良さと何処の大学卒業であるかは、どの企業でも優先されていたことである。

 

 

 

そして、近いうちに栃木県の教員委員会に私のことを話すことに決まったのである。K院長は、私に「K学院にK先生と1寮で、どんな想い出があるか?等を書いて、郵送することになった。

 

 

 

私が書いた文章はこうである。「私はK学院では、何の良い想い出はありませんでした。辛い想い出ばかりだったのでよく覚えておりません。私は、成人してから多くの素晴らしい方々との出会いがあり、その方々たちの応援もあってここまで来れたのです」と書いて送ったはずである。これは、事実でもあるのだ。

 

 

栃木県の教育委員会に私は出席できず、私の書いた文章を発表することになっていたらしいが、恐らく、K院長の好きなように書き直したに違いない!  まったく、酷いヤツである。

 

ところが、K院長の野望は、まだ続くのである。

 

続きをお楽しみに!