「随所に主なれば、至る所真なり」という言葉が禅語にはある。
言い換えると自分が主人公であり、自分で自分の未来を切り開く「自由」があるのだ。
自由とは自らを持って由となす。
ところが、五感を通じて外の世界の情報は入ってくるが、自分については全く分からないのは現実だ。
解るとしたら、自らの行為が行き過ぎたときに体に痛みを感じ肉体の適応範囲がわかり、心がさみしく孤独になり不安になることで精神力の強弱がわかる。
半面、肉体の鍛え方や自然環境や社会環境による精神力の鍛え方も体験を通じて錬磨されることを知る。
でも自分つくりを意識しないとなかなか成就しない。
最も大事なのは資本主義社会という仕組みの中で、まずは寝食を確保し「生きこと」を実現させることだ。
「競争と信用」をベースの社会では人間に対して基本的には「嘘をつかない、他人を傷つけない、盗まない」
こんな性質を持っていないと他人は信用してくれない。対個人だけでなく社会的には法律によって罰が与えられる。
もう一方は競争だ。自分が意識するしないにかかわらず、競い合ってより良いものを創造して生産し、より豊かな社会を目指し自らの能力や、広い世界観を形成し未来を切り開く思いで学ばなければ敗者になって、仕事を失うか自ら社会に必要なものを創造し自立して商うか自給自足で生きていくかを迫られる仕組みだ。
「生きる力」と共に「学ぶ力」がいる。
まずは、自然から生まれた人間は「自然」を学ぶ、共同生活して分業することで効率よく生産を増やす社会の掟を学び、一番大事なのは「人間」そのものの機能や能力を知り、育てる「学ぶ力」がいる。
昔のことわざに「焚くには古い薪、飲むには古酒、信ずるには古い友、読むには古典」というのがある。
江戸時代には「四書五経」が武士の必須学び、教える儒学者が多くいた。庶民も寺子屋で下級武士から習っていた。
明治維新が諸外国のように政変もなく江戸城の無血開城したのは歴史的事実で諸外国の革命や内部の権力闘争でないことが証明。
戦後、人間力を高めるような学びを一切排してしまったのは、アメリカのGHQの占領政策だったことも事実だ。
勤勉で実直な日本人気質は現代も世界一トイレが奇麗で清潔な国として評価されている。
もう一つ「学ぶ力」を強化し、今は世界の中の日本を感じる学びが必要不可欠な時代だ。
「生きる力と学ぶ力」実業界で実現した代表に京セラの稲盛和夫さんやユニクロの柳井正さん日本電産の永守重信さんがいる。
「新しい資本主義」という方針を政府が出しているが世界平和のために、「古い人間力を学ぶ日本」という方針出してほしいと思うのは私だけだろうか。
皆さんは今の日本の「生きる力と学ぶ力」いかが思いますか?

「生きる力と学ぶ力」を歴史に学ぶ
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