【Hashemite Kingdom of Jordan episode13】いざ、ヨルダン北東部の不毛地帯へ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

レバノン→シリア→ヨルダンと、またヨルダンまで戻ってきました。
「アラビア半島北上後」のルートは当初から悩みの種でした。アフリカ・ヨーロッパ・中央アジア その全てのジャンクションである中東からは、どこへでも行けます。

少なくとも無数にある航路の煩雑性を除外すれば、

✔アフリカ(エジプト)へはイスラエルを通過しなければならない
✔ヨーロッパは時期的に入るタイミングではない

というシンプルな理由から、ここからはひたすら東へと舵をきることにして ヨルダンからイラクを目指します。

Mafraq の街で両替屋さがし

朝はなかなか冷え込む。一晩バイクを停めさせてもらって、裏にテントまで張らせてもらった “Cofee One Minute”.
みんな寒くないの?と心配してくれるんだけど、ヒルバーグテント内はまじで全然寒くないのだ。

シリアとレバノンを行ったり来たりした事で、シリア・ポンドにレバノン・ポンド、ヨルダン・ディナールと各国の紙幣が入り乱れ状態だったので、イラクへの国境手前で一番大きそうな町 Mafraq で両替屋を探す。

無事、レバノンとシリアの紙幣をイラク・ディナールに交換できた。
ヨルダンのキャッシュは国境での出国料用にとっておかなきゃならない。というか前回の出国料がかかるとすると、ちょっと足りないなぁ・・・・

Mafraq の街はなかなかの賑わいだった。まだ昼にもなってないのに人通りも多い。途中、うろうろしていたらミント売りのおっちゃんがチャイを2杯ご馳走してくれた。もうすでに受けた恩はカウント不可能になってきてる。
このトラックに積まれた葉っぱがミント的なやつで Meramia; メラーミア と言うらしい。

Mafraq の街を抜けて、ここからはひたすらに1本しかない国境道路へと向かう。

イラク国境への道 信じがたい親切を受けて

Mafraq の街を出ると、なんだかこの風景久々だなぁ という感じのひたすらになにも無い荒涼地帯を貫く道がまっていた。

舗装状態もよく、走りやすい。

Iraq の表示がでてきた。

ダイハツの荷台に積まれるラクダ。

そして国境手前最後の街 Ruwaished に到着した。ここでメシを食いがてら 出国手数料で足りなそうなヨルダン・ディナールを引き出そうと考えていたのだけど・・・・
予想以上のド田舎だったようで、ATMも銀行もなにもないよ と言われる。Mafraq でヨルダンのキャッシュも確保しておくべきだったか・・・

まじかぁーどうすっかー と困っていると、車から降りてきた2人のヨルダン人男性が 10 JOD 紙幣3枚を渡してきた。

え・・・・?

と、状況をつかめないまま呆然としている管理人に ”Khalas” とだけ言ってニコっと笑い、去っていってしまった。

こんな「渡し逃げ」に遭ったのは初めてだ。30 JOD といったら日本円で5,500円にもなる。
それを、よく分からんアジア人のバイカーに何も言わずにただくれた つまりそういう状況だ と理解するのに数秒かかった。

名前を聞くことも、写真を一緒に撮ることもできなかった。ただただ胸いっぱいの感謝と30JODを握りしめて更に東へ走るのだった。

長く旅をした人がみんな言う
「自分が受けた恩をどうやって返せばいいだろうか」
みたいな話は、ともすれば陳腐な旅の沸き立て小話に聞こえてしまうかもしれないけど、実際自分が数えきれない親切に支えられると、しみじみとこの事について考えてしまう節はある。

綿菓子のような雲と、その雲間から虹がみえた。あの雲がこっちに来たらけっこう降りそうね。

さて、ヨルダン→イラク間国境は、海外のオーバーランダー掲示板などでもそんなに情報が多くはない。ごく最近の情報だと、Roland Koster氏によってOverlandin the Middle East に共有された2021年8月の情報が最新だと思う。
これによると、国境越えは朝早くからすること が推奨されていたので、この日は国境直前の荒野で野営することにした。

なにを思い立ったか、スクリーンに貼り忘れていたメタボンさんのZIGZAGステッカー(旧バージョン)と、自分のステッカーを貼った。

夜になっても月と満点の星が出ていたのに、深夜ごろから強風が吹き始め、あまつさえ雨も降ってきた。雨脚はだんだんと強くなる。
朝には晴れるといいんだけど。

つづく

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