真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

第八章 天道の修道法(三)外功の修法ーその3

2022-01-13 22:45:59 | 天道の淵源

(三)外功の修法ーその3

弓長祖は万国教主の大命を承けて万霊を救われるため、在世中から御多忙事には分身として代表師(点伝師)を任命され、宣道布法に当たらせていました。

今は肉身をお隠しになっていますが、御霊は三界を駆け巡られ、万ハ百年間、道盤を統掌されておられます。

その間にも御分霊をされて各仏堂に至り、適時に御指示なり、点伝師の御任命などをされて各地の縁者上岸の便を容易にならしめておられます。

辺疆窮村(へんきょうきゅうそん)でも山間僻地(さんかんへきち)でも皆師命を帯びて勇んで知音・縁人を求め、恩師の御慈悲を一人でも多くに及ぼそうと努力しています。

点伝師は自発的に命を奉(たつまつ)って衆生済度にあたり、寝食・寒暑を忘れて点伝を続けています。自分の費用を使い、自分の時間をさき、艱難辛苦を辞せず、誹謗と中傷を怨まず、犠牲と献身を喜び、忠実に師命に遵い、伝道に勤めています。

点伝師の任命は壇主、或いは熱心な道親の中で平素から衆生の模範に足る人格者、祖徳と平生の品格が秀(すぐ)れ、大道に対する貢献度が慎重に検討され、厳選の結果、始めて任命されます。

もちろん恩師が沙盤を通じて大命を降下されるのですが、その前に前人・前賢の推薦・保挙を受けて、その中から採用されています。

聖凡を兼ねて道を行ずる点伝師の苦労は出家修行の比ではありません。

孟子様は、「天の将(まさ)に大任を其の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、其の体膚(たいふ)を餓(う)やし、其の身を空乏にし、行い其の為す所に払乱す。心を動かし性を忍びて、その能わざる所を曽益(そうえき:ふやす、加える)する所以(ゆえん)なり。」と言われたのはそっくり点伝師の使命と心構えを表現しています。

天がその人に世衆を救度して欲しい大任務を授けようとする時は必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労しめ、その体を餓え、その膚を瘠(や)せしめ、その身を貧困の窮境に陥(おとしい)れ、その行なおうとすることは心に思うことと常に喰い違わせるのです。

それも天はその人の理義の心を動かし興起(こうき:感動して奮い起きる)させ、気稟食色(きひんしょくしき)の性を堅く忍ばせ、誘惑に打ち勝たせ、種々の困苦に当面して才力識見を広め、そのまだよく知らず行うことのできない所を完成するように増益させようという思召しであります。

仏堂を開設すれば一隻の船を建造したのと同じく、一人を紹介・保証して心法を得させたら、一つの霊を苦海から、老〇様のお側(そば)へ救い上げたことになります。

仏堂を開設して縁を結ぶ功徳は無量で、丁度天橋を架設したような素晴らしい業績に相当します。

それは、原人が理天に帰るのに必ず由らなければならない路順だからです。

仏堂は家庭内に簡素に設置され、広く近隣・親類知人の善縁者を救っていますが、縁の深い土地と家と人でなければ許されません。

開壇者は壇主と称し、その仏堂で得道した人はその恩恵を受けられます。

仏堂には常に天命を報じた仙仏の御降臨があるので、礼拝・整頓・献香や得道者往来の送迎から接待に至るまでの壇主の負担や気苦労は筆舌で尽くされません。

それだけに、その仏堂で上岸した原子霊は、後日功成り徳遂げ成道した暁には、済度の便に供した苦労の報いがあります。

外功三施(げこうさんせ)の働きの中の仕事は数多く、自分に与えられた財産を自分の伝道に費やす財施、自分に与えられた限りの智能を尽くして語り説く法施、道務推進の一方の旗手を担って円滑を計るべく聖事に携(たずさ)わる無為施、自分の置かれた立場と環境を大事にし、基盤として化導(けどう)に尽くす道事は数々あります。

さらに点伝師と壇主を補佐し、新得道者の理解を深めるためにおいては常に模範的な情操豊かな人であり、家庭に居ては身を修め家を斎(ととの)え、会う人に頭を低くし、縁ある人に逢えば道を説き続けます。

引師・保師の役割も極めて重要で智慧深き人には古法深く広理を語り、知識広き人には社会・人類の要諦・本義を説き、一般人には解り易く、その縁の深浅に応じて徐々に深遠霊妙へ導いて円熟の加速を促しています。

得道儀式に欠かすことのできない上執礼「かみつりー」・下執礼(しもつりー)の司式から表文奏呈の天文を記録される壇内の弁事人員の挙動は常に荘厳を極め、仙仏のはたすべき役柄に身心を潔浄して仕え奉っています。

人の生命を扱う帳儀の記載に全精神を傾けて整理される各位の神聖さは、幾十年の荒行に勝る大証果が得られます。

人霊救拯(じんれいきゅうじょう)の諸手続きに参画させて頂ける人の身は光栄です。

さらに神人連絡の直接機関を担当される三才の功積も抜群です。

天才の存在は数々の道書に紹介がある通り、白陽万八百年に残されるべき聖訓の機守を務めています。

若い層から抜擢されていますが、祖徳・前縁の深い人でないと大役を果たせられません。

天霊の神示を誦読される人才、天啓の聖句を正確に記録速写される地才の霊気も高度に修められている人でなければ服務できないものであります。

常に動じては人を救い、静にしては己を悟る努力を続けるべきで、内的にも外的にも車輪の回転に速度が加わるごとく、あらゆる行事に心から任じて手伝うべきです。

済世とは世を救うこと、時の弊害を正しくし、民の難儀を救うと解されますが、今の時が一番済世を必要とすべきではないでしょうか。

真の指導者は衆の使用人です。高徳の人は常に群衆の中に在らねばなりません。

修行者に位の順序は決められません。

理天に帰って、老〇様の果証があるまでは、人間で人間の功罪を定めることはできません。

己の非凡性を過剰に考えるべきではなく、特権意識にかられると優越感に煽(青)られる如きは劣等意識の最も強い人で徳に執する愚者です。

清静経(せいじょうきょう)に、「上徳は徳とせず、下徳は徳に執す。執着の者は道・徳に明らかならず。」とあり、道徳経にも、「上徳は徳とせず。是を以て徳あり。下徳は徳を失わず。是を以て徳なし。」と行者に戒めています。

すなわち最上の徳は、徳を実行しても自分自身はそれを意識しません。

それが真の徳です。

それに反して、下級の徳は、僅(わずか)な徳でも、それを実行すると、いつまでも忘れることがないから真の徳がないのであります。

一挙一動ともに良い模範を示し、お互いに誠実を持って敬愛し、何事も謙虚・礼譲にし、心を低くし濫(みだ)りに貪らず、悪い癖性を発して人の印象を壊してはなりません。

顔色を柔らかくし、詞(ことば)に条理を尽くして循々として善く誘(いざな)い、迷信的言詞を避け、怪力乱神を語らず、恩師の諭された、

(一)天機を修める勿(なか)れ。

(二)顕化(けんげ:奇蹟)を修める勿れ。

(三)人情(情実)を修める勿れ。

三箇条を尊守し、大真理の権限を犯すような態度を示すべきではありません。

師の御命ならば水火も辞せず、仁を行うにあたっては先生・先輩に遠慮する必要はありません。

理天の地位は大徳ある人のために残されています。

真の原人なら一度得道すれば躊躇わずに衆生を救います。

功徳を積まない人は、たとえ仙仏の転生であっても小さな霊的位しか与えられません。

「上天に親(しん)なく惟(ただ)徳ある者を輔(たす)く」

老〇様は不偏不倚(ふへんふい)、中にして道を行ずる人に味方されます。

御聖訓・神示を結集印刷して広く世を警(いまし)めたり、道書を註疏(ちゅうそ)して後学に伝えるごときは、天人の福縁を結ぶ役目で極めて重要です。

古書に、「一生、世を勧めるには口で以てし、万世、世を勧めるには書で以てす。」とあります通り、善書が世に及ぼす影響は大きく、一本万利に増えて後人から讃仰(さんぎょう)を受け、世の続く限り消えることがありません。

善財は施しにくく、良いと思って施しても悪い結果になる恐れもありますから、よく考えて万古不易の真理に通ずる道であれば力を惜しむべきではありません。

得道した人は皆道親(どうしん)と呼ばれます。

道を親しむ、道の親類と解されますが、相協力し、師の教訓や前人の高説には謹聴して、それを霊気の中に記憶して人々に語り明かすべきであります。

さらに功徳を積めば過去の罪も消され、親の霊を超抜することもできます。

しかし、功中に罪あることも深く認識し、行動の軽卒を十分反省し、傲慢不遜(ごうまんふそん)になり、秩序を乱し、仏規を犯し、聖地を攪乱(かくらん)する如きことをすれば、高い仕事をしているだけに衆目に映って罪がつけ加えられます。

衷心(ちゅうしん)から慎むべきであります。

以上が外功の詳説であります。

天道の修道法を記しましたが、諸賢の修行に益すれば幸いです。

どうぞよく修道して頂き、自分の行道の中に取り入れて、大道普伝に役立つことを念願して本章を終えます。

続く

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