真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

義なる者はたとえ七度倒れても,必ず立ち上がる~聖書、そして達摩の「七転び八起き」「十牛図」

2022-06-22 16:41:08 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

トランプ大統領の近況について(動画:戒厳令発動? - YouTube)聖なる世界の再生が聖書にもとづいて順調に運ばれているという動画を拝見しました。動画では禅宗開祖の達摩大師の「7転び8起き」は聖書の「格言・箴言 24:16~20」からきているという説明でしたが、宗教はその時代やその地域にそって語られているので、それぞれを吟味して真実を探し当てるのは自分自身の問題になり、同時にそれは今世界の一番重要な問題になっています。

この課題は非常に重要なのでシェアしたいと思います。これによってトランプ大統領が神によってどのように導かれてゆくかがわかります。そしてその物語が日本にあることが鮮明になってきます。

根源創造主が主宰する新しい世界に於いて「道すなわち真理」を得て、めでたく霊の故郷に還る物語です。

聖書も、義なる者の立ち上がりはこのようでなければならいことが教えていますが、今は救いの時、復活の時です。なぜ七度倒れ、八度目が立ち上がる時なのか、それがなぜ今なのか、以下の「十牛図」によって、天の采配は普遍的な玄妙な真理として古代から伝承されていることをご覧いただきたいと思います。

今の時期、世界中でアセンションを続けている方々は「空虚」を味わっています。以下の「十牛図」では、第八図:空白となる「人牛俱忘」の図になります。じっくり考察して見てください。

日本は神道でも仏教でも「空」を伝承してきています。

参照:伝承されてきた「空」の秘密、それは道すなわち真理の轍(わだち) - Mutual Aid Japan (goo.ne.jp)

闇世界の話ですが、「十牛図」に関して有名な寺院は信州の”牛にひかれて善光寺参りの善光寺です。米国で「金を探し当てるには牛小屋に・・・」という伝説があるほどで、善光寺の秘密をめぐって住職のセクハラ問題がおきました。

何かの秘密を探り当てようとする陰謀で、この寺院で世界の金融に関する秘密会議も行われました。皆さんが気にしているマイクロソフトのビルゲイツが軽井沢に別荘を建設したのも、この黄金伝説にまつわる彼ら次元の画策です。

今の闇の意識はこのように物質的な欲望の世界、科学にもとづいた思考しか機能しません。

皆さんが神々によって守られ、悟りという高次元の境地に導かれることは、彼らには決してわからないし、興味もないのです。

「空」それは「七転び八起き」の「八起き」の段階です。黄金伝説はあなた自身の今の物語です。般若心経でもその時が来たら、空の中で般若(智慧:真理)を得る時が来たら急いで駆け付け、道を得て、悟りの彼岸に到達して、安心の境涯を得よう、と締めくられています。

聖書(格言・箴言 24:16~20)

義なる者はたとえ七度倒れても,必ず立ち上がるからである。しかし,邪悪な者たちは災いによってつまずく。あなたの敵が倒れるとき,歓んではならない。彼がつまずくとき,あなたの心が喜ぶことのないように。悪を行なう者たちに対して激こうしてはならない。邪悪な者たちをうらやんではならない。神がご覧になって,それが聖なる目に悪いものとなり,怒りによって引き戻されることのないためである。悪に未来はなく邪悪な者たちのともしびは消されるからである。

十牛図

第一図:牛を尋ね探す「尋牛(じんぎゅう)」

(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

ある日、牛の一頭が逃げ出したため、牧人は牛を探すために山や川に一人で捜索に出かけます。ほんとうの自分を求めて旅立つことがテーマです。禅においては、俗世間を離れ、修行の道に入ることを表しています。

第二図:牛の足跡を見つける「見跡(けんぜき/けんせき)」


(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

牛は見つからないとあきらめかけたとき、牧人は牛の足跡を見つけます。牛の足跡とは、釈迦の教えである「自らを灯明とせよ(自分を拠りどころとせよ)」を表していると解釈されます。牛の足跡は、ほんとうの自分はどこにいるのかが表れかけていることを示しています。

第三図:牛を見つける「見牛(けんぎゅう)」


(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

牛の後ろ姿を牧人が発見します。ついにあるべき自分を発見しました。禅の修行でいえば、公案が解けた瞬間、つまり悟りに至る過程における直観的な智慧が得られた瞬間を表しています。

第四図:牛を捕まえる「得牛(とくぎゅう)」


(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

牧人は綱をつけて牛を捕らえました。逃げ出そうと暴れる牛と格闘が始まります。この場面は、心の汚れや迷いを取り除くための修行の過程を示しています。

第五図:牛を飼いならす「牧牛(ぼくぎゅう)」


(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

牧人は暴れる牛を綱と鞭でてなずけました。牛はおとなしくなり、牧人になついているように見えます。しかし綱をつけたままであるのは何故でしょうか。本当の自分とうまくつきあうには、まだコントロールが完璧にはできないようです。

第六図:牛に乗って家に帰る「騎牛帰家(きぎゅうきけ)」

(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

牧人はおとなしくなった牛に乗り、楽しげに横笛を吹きながら家路につきます。真の自己と自分自身が一体となることができたのです。真の自己は堂々と落ち着き払っています。

第七図:あるがままに生きる「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)」


(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

牧人はとうとう家に帰り着きました。牛を小屋に入れて庭でくつろいでいます。牛が消えたことで、最後に残った煩悩やエゴがなくなるという境地を表しています。

第八図:空白となる「人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)」

(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

誰もいなくなり、あるのは空白だけです。禅で言う「円相」の世界が描かれています。真の自分さえも消え去り、ゼロになったのです。

第九図:本源に還る「返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)」


(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

空の世界に自然が戻りました。牧人に根本的な変革が起こり、本源にたどり着いたことを表しています。牧人(人間)の本源とは、自然のように清浄で美しいということです。

第十図:人の世に生きる「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」


(出典:Wikimedia Commons User:MichaelMaggs)

町の中に入った牧人は、笑みを浮かべて何かを童子に与えています。童子は迷える人を表しており、牧人は迷える人(他者)を救う人になったのです。

Ray:牛は、陰の者、例えば〝牛頭天皇”など闇の世界ではサタンに匹敵するものです。つまり苦しみや困難に引かれてこそ悟りの境地に入ることが出来る意味の象徴です。インドで牛を聖なるものとして扱うのも人間の性(さが)を現わしています。

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