いつも思うのだけれど、この種の事故の話をする際、「ながらスマホ」以前の根本的な原因を模索する必要があると思う。ある種の人格否定を伴うかもしれないが、事故後の双方の苦痛を考えれば、物の数ではない筈だ。
 今回の例も、事故が起きた根本原因は「運転中のスマホ操作」それ自体よりも、「当時スマホ運転のことが問題になっていた」の言葉でも分かるように、それを自分に当てはめ「教訓化」して考えるということができない、そういう精神構造にあるのではないだろうか。
 たしかに最近の車は楽に運転ができる。MT車なら変速のために常に事前予測をしなくてはならないから、市街地ではこんなことは困難だろう。冒頭のトラックの例は論外だけれど。
 ハインリヒの法則というのがある。「同じ人間が起こした330件の災害のうち、1件は重い災害(死亡や手足の切断等の大事故のみではない。)があったとすると、29回の軽傷(応急手当だけですむかすり傷)、傷害のない事故(傷害や物損の可能性があるもの)を300回起こしている。」というもの。これをよく、「ヒヤリハットの件数が多い人は重大事故を起こしやすい」という結論に結びつける免許更新講習の講師は多いけれど、自分はいつもその話には首をかしげている。この種の危険感受性の鈍い人は、ヒヤリハット自体が起きないからだ。
 各種講習で聴き、新聞等で読むこの種の話は全て自分にとっての教訓、そのくらいで丁度いいと思う。
 ちなみに自分は日蓮正宗の信徒なので、
無事故を貫く理由に「抜苦与楽、衆生救済の法を持つ者は、凶器で人を傷つけるようなことや、人命を損なわせるようなことがあってはならない」という根源的な一点を据えています。