オワコンの意味を考えてみる [社会]
夲日、8月27日!
実際にやりたいことと、因果の法則。
最近、ある計画を試していましたが、その計画は完全にボロボロになりました。そのための環境が揃わないどころか、揃えようとすると余計なものが入ってしまうんです。
しかし、社会の在り方を考える中で、保守していたものが全壊してもおかしくない状況。そんなことで、考えるべきこと。
オワコンって何ぞ?
この「オワコン」という表現に違和感を持ったのは自分だけでしょうか。
物事が終わるのには、時代の流れなどと言い訳してあるべきものが無くなることと、魂の進化により不要なものが消えることの2つの型があります。
もし、この状況で「別に惡影響を及ぼさないし、そのまま續けても良い」ものを「オワコン」などと言って捨てようとするのなら、もう一度胸に手を当てて考えてください。自分の好みを、流行や常識の基準で決めることは愚かな発想です。
しかし、魂の進化により不要になり、確実に消えてしまうものもあります。それらは流行とは関係ありません。手放せるものは手放しましょう。
ホームページはネットの基盤なので、ホームページは持ちます。
個人商店は自由意志の尊重なので、個人商店は續けるべきです。
「交換」の概念が諸問題の根源なので、世界におカネのシステムは不要です。
競爭社会は間違っているので、学力テストやスコア稼ぎゲームは不要です。
そういった明確な理由が必要であり、オワコンだの時代の流れだのという妄言で何でも決めつけてはならない。
まあ、今回のK-Flameの計画は、オワコン連呼犯による強制衰退でシステムが滅茶苦茶になったのと、もう競爭社会は終わったのだから無駄な計画だと判断したという、ダブルパンチですね。
まあ、なんていうか・・・樂園主義は、自由と共認の社会・・・だよな。
コメント 0