ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

人を愛するのに必要なのは勇気だと結論づける話

暫定的な答えに達したとんぼである、ごきげんよう。

 

何となく指針は見えてきたのではないか。過去に同じ結論に至った??いや、ここまで深い考察はなされていないはず。

 

◆家族の紹介

自分が傷つかないために

結論から書けば、自分が傷つかないことが私にとって最大の目的であるようだ。

 

わかっちゃいたが、あらゆる場面で自分が傷つかないような選択をしてる……ことが多い。勇気を出す場面もあるものの、基本指針は変わらない。

 

傷つく心の痛みに耐えられないから、痛みから逃げるように生活してる。

 

子供たちに優しく接するのも無駄な軋轢を生んで傷つかないためだし、子供を尊敬し受け入れるアドラー的教育を行うのがそもそも傷つく痛みを恐れているからだ。

 

娘の相手を一生懸命してるのだって、妻や義母に認めてもらうためにやってる感すごい。

 

家族を優先してる最近の考えも、自分を殺してでも傷つきたくないと考えられる。家族が幸せじゃないと傷つくし。私が傷つかないためには家族が幸せでなきゃいかん。

 

ありとあらゆる行動が、傷つかないためにやっていると言っても過言ではない。傷つかないことの優先順位が高すぎて、無意識に嫌われないために行動してる。

 

傷ついたら一歩引くし、傷つきそうな場面では及び腰になるし、傷ついても構わないから突撃しようという勇気は持ち合わせていない。

 

傷つかない可能性が高いなら積極的にコミュニケーションをとるし、傷つかないなら愛情を示してもいいよ。できるだけ傷つかないように家族を支援するよ。

 

これが私。

 

だから妻にもなかなか本音を語れなかったんじゃないか?これとか我慢に我慢を重ねていた。

www.rabbitonbo.com

 

とにかく嫌われるのが怖いし役立たずだと思われるのが怖いし相手にしてもらえないのも怖いし価値がないものとして扱われるのも怖い。

 

怖い怖い怖い。私は傷つくのが怖い。

 

傷つくのが怖いから家族のための行動をしてるのであって、本当に家族を愛してはいない。私は私しか見ていない。

 

これが結論である。面白いね。いや、別に面白くはないな。

 

まぁ動機は不純であったとしても、少なからず私の行動は家族の幸せのためにやっている。悪いこっちゃないんだけどね。

 

生き方としてどうなんだって話ね。

痛みはある

傷つくのを恐れちゃダメだというじゃないか。嫌われる勇気も、他人から嫌われることこそが自由であると主張してる。

 

他人の思いはコントロールできない。コントロールできない部分は手放すしかないのだ。考えても仕方がない。

 

実に納得できる考え方だ。

 

しかしこの生き方が楽かといえば、そうじゃない。他人から拒絶されることは激しい痛みを伴う。

 

人類は群れを成したからこそ繁栄した種族であり、他人から拒絶されることは死に直結した。絶対にあってはならないことだ。

 

お前、このままじゃ死ぬぞ、何とかしろと本能が訴えてくる。

 

ある書籍では、拒絶される体験は分娩の痛みと同等と紹介してた。体と心ではまた違うとは思うが、壮絶な痛みが伴うのは間違いない。

 

孤独を感じたり、拒絶されたり、嫌われて深く傷つくのは人として仕方がないことなのだ。

 

つまりこの激しい痛みで地獄を味わいながらも前に進んでいかなきゃならんわけだ。

 

うーん。割と無理ゲーじゃないのか。だって痛いものは痛いんだから。

 

乗り越えるには、痛みを知りつつも前に進む勇気が必要なのだろう。

 

痛みは知ってる。相当な苦痛を伴うことも知ってる。それでも前に進む……まさに勇気としか言いようがないな。

 

つまりは勇気が足らん。

 

……なんだか定期的にブログで同じ結論を書いてる気がしてきた。面白いくらいに勇気ってくじかれるんだよね。すぐに逃げたくなるよね。

 

ただの臆病者じゃないか。

必要な痛みと不要な痛み

一つ救いになりそうな話を閃く。

 

心身の健康によってメンタルが強化されるという話はもちろんだが、認知行動療法が自らを守る防御壁として非常に有用っぽいのだ。

 

誰かから拒絶される、嫌われるなど、傷つく場面は多々ある。しかし傷つく必要がない場合も多いじゃないか。

 

例えば息子がだよ、

 

悪夢に悩まされて1週間ほとんど寝てなくて、部活で疲れ切ってて、お腹もすいてて、学校で親友と大げんかしてて、妻にも怒られた直後だとしよう。

 

そんな息子が私に暴言吐いてきたとして、傷つく必要ないじゃないか。だってここまで過酷な状況であれば、理性が吹っ飛ぶくらいの怒りに飲まれても仕方がない。

 

冷静に考えれば、傷つく必要がないことはとても多い。いや、ほとんどの出来事が傷つく必要がないと言えそうじゃないか??

 

相手から理不尽に嫌われたとしても、その人の心情や状況、性格的な問題、宗教的な問題、またタイミングが悪かったなど、私にはどうしようもできない要素を多分に含んでいる。

 

それなのに『私が嫌われた!!』と一つの場面だけを切り取って深く傷つくのは、論理的に考えておかしい。この人の怒りと私は何ら関係がない可能性がある。

 

しかも実際はどうかなんて私には確認のしようがない。わからないのだ。わからないのに、私が悪い、私が嫌われたと傷つくのはナンセンスでは?

 

ほう、つまり冷静にあらゆる可能性を冷静に探れるのならば、そもそも傷つく必要がないし痛みも発生しないということになる。嫌われて死に直結することもない。

 

……いやまぁ現実はそれなりの痛みは伴うかだろうが、総合的に判断して傷つく必要がないと自分で納得できるのならばかなり楽になりそう。

 

そうかそうか。認知行動療法で切り分ける。冷静で客観的な思考によってダメージを無効化する。さらにダメージを軽減させるために、心身の健康も保つ。

 

確かに、これなら机上の空論ではない嫌われる勇気が現実味を帯びるかもしれない。

頑張ろう

世界には同じように、苦しみながらの家族を愛そうと奮闘してる人が多くいるんだろう。見えないだけで、仲間はいっぱいいる。

 

子育てで孤独を感じること多いし、配偶者や他の家族、友人との不和で傷つくことも多い。ネット見てても傷つくことが多い。

 

それでも何とか前に進もうとしてる人がいると考えると、私も少し勇気が出る。

 

というわけで、私も頑張るよ。

 

よし、喧嘩してから一度も会ってない息子と勇気をだして話してくるよ。ではね。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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