城ぶら「彦根城」!徳川四天王・井伊直政の系譜を継ぐ大坂を睨む戦う城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。
今日の夢中は、城ぶら「彦根城」!徳川四天王・井伊直政の系譜を継ぐ大坂を睨む戦う城です。

■家康を辿る物語

関ヶ原の戦いの後、石田三成が治めていた近江の地に入ったのは、徳川四天王の一人・井伊直政でした。
直政ははじめ佐和山城に入城しますが、その古い縄張りや三成の居城であったことを嫌って、琵琶湖岸に居城を移すことを計画します。

しかし直政は、関ヶ原で負った傷が癒えずに間もなく死去。家督を継いだ井伊直継と家臣らが直政の遺志を継いで、琵琶湖に面した彦根山に彦根城の築城を開始しました。
築城にあたっては、大津城や佐和山城など近江の諸城を破却または移築し、城の建設物に使用したとされます。

直政の死から20年を経た元和8年(1622年)、ついに彦根城は完成しました。
この彦根城を領する井伊家はのちも加増を重ねて、譜代大名では最高の禄を得る重臣となりました。

彦根城は、その後も井伊家14代の居城として幕末まで存続。
明治期に入っても天守や櫓の保存が許され、今にその威容を伝えることとなりました。

■彦根城

井伊家14代の居城・彦根城は、日本100名城のひとつに数えられる名城。
天守が現存する12城のうちのひとつです。近江国彦根、現在の滋賀県彦根市に城はあります。

最大の見どころは、なんと言っても現存する天守。3階3重の荘厳美麗な佇まいです。
切妻破風、入母屋破風、唐破風など様々な造りの屋根を配しているのが特徴。高層の華頭窓や高欄付きの廻縁も特徴的で、多様で変化に富んだ姿を今に見せています。

この天守を支えているのが、「牛蒡(ごぼう)積み」と言われる石垣。石垣ファンにはたまりませんね…。
なお、この天守の建築材を調査したところ移築の痕跡が見られたため、史書などから大津城の天守を移築した可能性が指摘されています。

さらに周囲をぐるりと廻ると、石垣ファンにはたまらない「登り石垣」などの遺構が残っています。
もともと彦根城は対大阪城という意図で築城されたので、攻め寄せる敵兵を阻止するための工夫が随所に施されています。

櫓や桝形虎口なども、そうした工夫の一つ。仮想敵・大坂を見据えていたのでしょうね。そうした築城の意図を想像するのも城ファンの楽しみの一つです。
なお、彦根藩2代藩主・井伊直孝(直政の次男)は、後の大坂夏の陣で、豊臣秀頼・淀殿母子を包囲し発砲して自害に追い込みました。彦根城の対大阪というDNAが刻まれていたのかもしれませんね…。

(二ノ丸佐和口多聞櫓)

なお、井伊家繁栄の礎を築いたといえる井伊直政の像がJR彦根駅前にあります。
徳川四天王のひとり、家康の天下取りを支えた功臣。その率いる精鋭兵は「井伊の赤備え」として、その名を轟かせました。

今日の城ぶらは、城ぶら「彦根城」!徳川四天王・井伊直政の系譜を継ぐ大坂を睨む戦う城でした。
ありがとう、彦根城! ありがとう、井伊直政!

■基本情報

名称:彦根城
住所:滋賀県彦根市金亀町1−1
アクセス:彦根駅から徒歩15分
営業時間:8:30~17:00

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