源氏将軍の血を受け継いだ最後の女性…竹御所鞠子ゆかりの鎌倉史跡

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。
いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、源氏将軍の血を受け継いだ最後の女性…竹御所鞠子ゆかりの鎌倉史跡です。

■竹御所鞠子

竹御所(たけのごしょ)は鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府2代将軍・源頼家の娘です。
その名前は、鞠子(まりこ)あるいは媄子(よしこ)とされますが、定かではありません。

一幡や公暁の異母妹または同母妹で、彼らと同じく、源頼朝の嫡孫になります。
誕生の翌年に比企の乱がおこり、父頼家は将軍の座を追われ、まもなく暗殺されました。

15歳のときに、祖母・北条政子の命で、3代将軍・源実朝の御台所に謁見し、その猶子となります。
公暁をはじめ他の頼家の子が非業の死を遂げていく中で、彼女は政子の庇護のもと命をつなぎました。

29歳のときに、13歳の4代将軍・藤原頼経の妻となります。
その4年後に懐妊し、源氏の血を引く後継者誕生かと周囲は期待しますが、難産の末に死産…。本人も亡くなりました

それは、公暁が源実朝を惨殺、自らも討たれた雪の悲劇から15年後、ある夏の日のことでした…。
享年33歳。これにより、源頼朝の正嫡は途絶えました

■妙本寺

一般にはあまり知られていない人物ですよね、この「竹御所」というひとは。
でも、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ファンは知っておきたい人物です。源頼家の娘であり公暁の妹、源頼朝の孫という源氏嫡流の血筋ですから。

その母については諸説ありますが、比企能員の娘・若狭局であったという説が有力。
「竹御所」と呼ばれた邸は、その比企一族の住まいがあった比企ヶ谷にあったと伝わります。

現在は、鎌倉比企ヶ谷「妙本寺」となっている一帯。このどこかに「竹御所」があったのでしょう。
そんな風に思いながら当地を歩いてみると、あちこちに広がる竹林が気になりました。

(妙本寺境内の竹林)

ちなみに、ここは比企の乱のときに北条氏に攻められ、比企一族が滅亡した場所。母・若狭局と兄・一幡(当時6歳)も命を落としています。
そんな因縁の地に居を構えた竹御所の気持ちはいかなるものだったのでしょう…。

その心の内を知ることはできませんが、「吾妻鑑」に竹御所の名が頻出するようになるのは政子の死後から
このことから、政子の後を継いで源氏の血を引く竹御所が、東国武士をまとめる役割を果たしたものと推察されます。

(左:妙本寺本堂、右:祖師堂)

ときは、執権・北条泰時の治世。彼は、父・義時のような粛清を一切行わず、有力御家人との協調政策をとりました。
肉親すべてを粛清により失った竹御所にすれば、そうした悲劇を繰り返さないためにも、泰時に進んで協力したのかもしれませんね…。

しかし道半ばにして逝去…。その墓所は、ゆかりの地・妙本寺にあります。
祖師堂の左脇の小道を奥へ進んでいくと、竹御所の墓所があります。石碑には「源媄子」(みなもとよしこ)と記されていました。

(竹御所(源媄子)の墓所)

そうです。彼女は「源」姓を名乗っていい人物、最後の源氏将軍嫡流でした。
ここに、鎌倉幕府を開いた源頼朝の血筋は断絶したのです。

■基本情報

名称:竹御所/源媄子(よしこ)の墓 (妙本寺)
住所:神奈川県鎌倉市大町1丁目15
アクセス:JR鎌倉駅から徒歩8分


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