うつ病予備軍?
私はメーカー勤務のサラリーマンです。
この2年は間接部門に勤務していますが、その前8年間は製造工場勤務でした。
この時のことを書きたいと思います。
「製造部門への異動」
それまで間接部門にて勤務していた私が、製造部門に管理職(課長職)として異動することになりました。製造部門なので従業員も多く、私の受け持つ課には部下が30名近くいました。
それまでは部下が2名の事務職だったので、それほど管理職であることを意識することもありませんでしたが、初めての製造部門に部下30人! 正直、「自分に勤まるだろうか?」と異動前は不安だったことを覚えています。
ただ、この異動のラッキーだったことは、製造部門の管理職が役職定年のための補充であり、私の異動先の前任者との引継ぎ期間も十分にあり、引継ぎ後、前任者が同じ工場の別の課に異動するものだったため、分からない事はいつでも前任者に確認が出来る状態だったことです。つまりは相談相手がいたので、異動後は比較的スムースに職務に慣れて行きました。
「始めの頃は良かったが…」
異動当初は工場の管理職(課長)は4名にて、業務にも比較的余裕があったように思います。管理職間のコミュニケーションも取れており、相談しながら業務を進めていくような感じだったように思います。
さすがに部下が30人近くいると、いろんな部下がいて労務管理面では大変でしたが、まあ何とかやっていました。
しかし、残念ながら工場部門の利益が思わしくなかったことより、経費節減の観点で管理職要員が減らされることとなります。最初に1名抜けて3人になり、最終的にはもう一人抜けて2名になりました。
課も2つが統合して1つの課となり、私の部下は50名以上となっていました…
「稼働時間も増えて行き…」
ふと振り返ってみると、製造部門での勤務の間は、いろんな事があったように思います。
生産性向上目的でのライン集約工事、この時は新しいラインの立ち上げ時に苦労しました。いわゆる備品類や付帯設備については自分たちで揃えていく必要があるのですが、部下は専ら生産業務対応のため、結局管理職が製造機械以外の備品類の準備等を行う必要があったのです。
またライン集約後には、一部のラインを2直生産体制とし稼働時間を伸ばしました。製造工場はラインを稼働させてナンボであり、5:00~22:00の間稼働させるようになりました。
時点で課長職は2名体制にて、私が朝6:30~19:00の間勤務、もう1名が13:00~22:00勤務にて対応していました。
「製造部門は現業職」
製造部門は事務職と違い、機械と対峙しながら業務を行います。安全は何を差し置いても優先される事項であり、優先順位は①安全、②品質、③生産性です。
しかし残念ながら、労災の発生は皆無にはならず、どうしても災害が発生してしまうことがあります。管理職として一番辛いのはやはり部下がケガをしてしまうことでした。
また、品質においても結構頭を悩ませます。工程内の不良、出荷後の不良(商品クレーム)等への対応は、相応に頭と労力を使います。
そして、生産性。企業は利潤を追及し、利益を上げることで従業員や社会に奉仕できます。そのための管理も当然ながら管理職の大きな業務となります。
現業職であることは、仕事の幅も広く、やりがいもありますが、肩にのしかかる責任も重く、かなりの心労があるのも事実です。
「勤務時間もそれなりに多く」
管理職なので、ルーチンワークはそれほど多くないはずなのですが、何かしら毎日、予定外のことが起き、その対応に追われていました。
結局、やる必要があってもやれていないこと等を休日に出勤して対応することになります。
なので、土曜日の午前中はよく出勤して仕事をしていました。月に2~3回は出ていたと思います。
結局、仕事ってどこまでやってもキリがありません。なので時間で区切るようにはしていました。土曜日は何があろうが、昼には帰るようにはしていました。平日も突発トラブル対応等が無い場合は、19時で帰るようにはしていました。際限がないからこそ、こういう区切りは絶対に必要だと、自分に言い聞かせていたように思います。
月の時間外は80h前後で推移していましたが、時間外が多い月が続くと、何度か産業医との面談をした記憶があります。まあ受け答えも問題無く、特に指摘等を受けることはありませんでしたが。
「心理的な負担も多く」
管理職(課長職)は当時2名でしたが、もう1名の方が2直シフトの方を対応してくれていました。基本的には22時に上がるようになっていたのですが、本人責任感が強い事もあり、たびたび22時を大きく超えて勤務していました。
本人、特段うつ症状等を呈していたわけではありませんが、やはり精神的負担も大きかったためか、カウンセリングのため、ずっと心療内科に通っていました。
やはり夜間の勤務の方が人も少なく心理的負担も大きく、私の方が楽をしているような気持ちになり、何となく申し訳ないという気持ちがありました。
部下が50名もいると、何が大変って、人間関係です。残念ながら優秀な部下ばかりというわけではなく、問題を起こす部下もいるため、注意や指導その他で、「こっちの方がどうかなりそうだ!」と思う事も2度や3度では無く…
ある時期から毎年、ストレスチェックが実施されるようになりました。まあ設問の内容から見て、相当精神的に追い込まれた状態でないと、ストレスチェックで異常の判定にはなりません。
ただ、製造部門の管理職の後半の2年のストレスチェックの評点は、正常判定ながら、かなり悪い数値ではありました…
「今の部署に異動して分かった事」
その後、今の間接部門に異動になりました。今の業務は従前から行っていた業務なので、異動に際してプレッシャー等はありませんでしたが、8年の時間は、すっかり実務を忘れており… まあ、それは良いのですが。
部下の数も少なく、業務も各人の分担的要素が強いので、管理職と言っても自分も実務を専ら行う事が多く、休日出勤も基本無くなり、時間的にも精神的にも楽になりました。
休日も予定を立てて出かけるようになりました。
そうして製造部門の管理職当時を振り返ってみると、かなり精神的には追い込まれていたんだなあと分かります。
- プライベートでの会社関係の付き合いは、極力避けていた… 飲み会等も理由を付けて断っていた…
- 今思えば、当時休日は何して過ごしていたのか? 結構、ビデオを借りてきては見ていることが多かったが、休日にリフレッシュが出来ていなかった(休みの予定も殆どなかった)
- 同僚の課長は自分以上に疲れており、よく二人で愚痴ばかり言っていたような… 相談相手等も周りにはおらず…
- 結局、精神的な余裕が全然なかったように思います。
「うつ病の手前」
自分なりには、勤務時間も区切りを入れ、精神的に追い込まれることの無い、少し余裕のある所で過ごしていたと思っていました。
実際、それはそうなのですが、部署が変わって気付いてい見ると、それでも結構追い込まていた心理状態だったのだと思います。
結局、精神的な不安定の一歩手前の所で落ち着いていたとしても、それがあと数年続いていたら、やはり心が折れていた可能性はあると思います。
そしてつくづく思うのは「その時は気付かない」」「渦中にいると気付きにくい」ということです。
今、精神的に余裕のある状態で周りが見れています。すると、同僚を見ていても「あっ、この人今追い込まれているのでは?」と感じ、気付くのですが、本人にそれとなく伝えようとしても、渦中の本人は全くそう感じていないんですね。
精神的な病というのは、(心理的負荷)×(時間)/本人の精神的なキャパ なのだと思います。負荷が大きいと、一気にうつ病になる場合もありますが、恐いのは、負荷が比較的低い状態でも、これが続くとやはり心が折れてしまうのだろうということ。
そしてその場合、本人が気付かない、気付きにくい側面があるのだろうと言うのが自分の体験からの実感です。
いわゆる心の黄色信号にどう気付くか? が大事なのですが、なかなか難しいようにも思います。
自分なりには、仕事一辺倒ではなく余暇を楽しめる事、逆に余暇が楽しめなくなったら黄色信号ではないかと考えています。
実際には、「自分の異常に気付く」事が一番難しい所なのかなとつくづく感じています。