食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代インドの菜食主義-古代インド(3)

2020-09-19 17:30:05 | 第二章 古代文明の食の革命
古代インドの菜食主義-古代インド(3)
現代のインドでは国民の40%程度が菜食主義者と言われている。インドで菜食主義が広がるきっかけになったのが紀元前5~6世紀頃に誕生した仏教とジャイナ教だ。今回は、インドで菜食主義が生まれた様子を見ていきたいと思う。



仏教とジャイナ教が生まれた頃は都市国家間の争いが続いており、また、パンジャーブ地方にはイラン人が侵攻するなど社会的な不安が高まっていた。そして、このような社会情勢の下で、武士階級のクシャトリアや商人階級のヴァイシャが力をつけていた。これがカースト制やバラモン教を否定する仏教とジャイナ教を生み出す原動力になったと言われている。

日本人になじみが深い仏教は釈迦(仏陀もしくは釈尊と呼ばれる、本名はガウダマ・シッダールタ)によって興された。釈迦は紀元前5世紀頃に北インドの小国シャカの王子として生まれたクシャトリアである。シャカ国は当時の領域国家だったコーサラ国の属国で、後にコーサラ国によって滅ぼされる。

一方、同じ頃にジャイナ教がマハーヴィーラ(本名はヴァルダマーナ)によって生み出される。マハーヴィーラもガンジス川中流域で活動していたナータ族の王子で、クシャトリアであった。

仏教もジャイナ教も輪廻転生から抜け出すこと(解脱すること)を第一の目標としていた。

元々インドに住んでいた人たち(ドラヴィダ人)の間には、人が死ぬとその魂が動物や植物に生まれ変わるという思想があった。ここにアーリヤ人の思想が組み合わされて、善い行いをした者は再び人間に生まれ変わり、悪い行いをした者は獣などの人以外のものに生まれ変わるという輪廻転生の思想が形作られて行った。そしてバラモン教においては、宇宙の根源であるブラフマン(梵)と人間の本体であるアートマン(我)は同一であるということを理解すれば(梵我一如(ぼんがいちにょ))、この輪廻転生から抜け出すことができる(解脱できる)としたウパニシャッド哲学が成立した。

このような聖職者階級を中心とするバラモン教とカースト制を釈迦とマハーヴィーラは否定した。そして、儀礼や身分にとらわれずに正しい行いをすることによって輪廻転生から抜け出して解脱できると説いたのである。そこで重要な教義になったのが「不殺生」だ。

アーリヤ人は遊牧民であったことから肉をよく食べていた。そしてバラモン教の祭りでは神に生贄として必ずウシをささげていたのだが、釈迦とマハーヴィーラはバラモンの神は存在しないとして、生贄などで人間のために動物の命を奪うことを禁じた。特にジャイナ教では、虫や植物を含めていかなる命を奪うことは罪であると考えられ、僧侶にいたっては野菜の場合は生命の源とされる大根やカブのような根菜を食べないし、虫を吸いこんだりしないように口には大きなマスクをする徹底ぶりだ。一方、釈迦自身は肉食を禁じなかったが、死後になって次第に仏教徒の間では肉食がタブーになって行った。

仏教やジャイナ教の広がりを受けてバラモン教でも肉食を禁じるようになって行った。バラモン教は新しい神々を取り入れるなどして現在のヒンドゥー教へと変貌して行くのだが、それにともなって菜食主義思想が強まった。バラモンなどの上位のカーストが厳格に菜食を守った結果、次第に菜食主義者は尊敬される存在になって行ったのである。

ところで、仏教は中国を経て日本にも伝えられるが、日本人は魚を多く食べていたことから魚は食べても良いことになり、菜食主義は広がらなかった。日本における最初の食肉禁止令は678年に天武天皇によって出された詔で「ウシ・ウマ・イヌ・サル・ニワトリ・イノシシ」を食べることが禁じられた。このような食肉のタブーは明治維新まで続くことになる。


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