まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

忙しさの中で感じる縁

2024-04-14 21:45:47 | 日本での生活

年を重ねたせいなのか。

例えば、テレビ、ラジオ、新聞などのニュース。

目にすること、耳にすることで縁を感じることがある。

縁と記したが、良い意味での縁もあれば、悪い意味での縁もある。

そのどちらも本人たちが知らない力が作用しているのかもしれないと考えると、己の生活態度を見直したくもなる。

 

さて、このブログ。

某ランキングサイトでOUTが減っている。

当然のことであるが、それだけ魅力のある記事を書いていないことになる。

(いつもこのブログからランキングサイトに入り、INを稼いでくださる誠に貴重な読者様、ありがとうございます。)

 

いやぁ、本当に忙し過ぎて、日本語や中国に関することを記せない。

ただ、これでも毎日多少はかかわって生きていることだけはお伝えしておきたい。

 

もっとも日本語に関しては「教える」ことよりも「覚える」や「比較する」、「研究する」のほうが多くなっているが・・・。

 

それでも時々思う。

「こんなに忙しいのに、何が私を言語の世界に駆り立てるのであろうか」と。

 

それも縁なのかもしれない。

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悩めるお年頃・・・

2024-04-07 22:07:46 | 行動計画 & 積極的思考

(2024年)4月に入り、少しだけ仕事量も減り、けっこう早めに帰宅した1週間であった。

ただ、この先を考えると、やることの膨大さに気が滅入っている。

まあ、健康こそ大切なので、無理は避けたい。

 

さて、2月にこっそり受けた試験。

けっこう書類に追われているさなかの受検であり、昨年の秋よりも大変であった。

元々興味があったものであるが、現在の己の実力を試すためでもあった。

昨年まであれば、マイカーで行ける試験地も存在していた。

20年以上前から場所も把握していたし、付近の時間貸し駐車場もだいたい把握している。

また、そうであれば、帰りも楽であった。

気軽にラジオも聴けたし、外国語の聴解練習もできたし、3時のおやつも気軽に買えた。

それ以前に遅い昼ごはんを慌てて食べなくても良かった。

まあ、そうは言っても、2月に行った試験地も帰国後けっこう出かけている方面であり、まったく知らない場所でもなかったことは幸いであった。

 

試験を受けてみて感じたのは、「俺ってまだまだだなぁ・・・・・・」であった。

そして、結果通知を受け取ったとき、自分が期待したランクではなく、その次のランクにいることを知って、大きなため息ひとつ。

さらには認定番号を見て、自分が何番目にいるのかがはっきりと理解できた。

 

(2回目の→)さて、今年の晩秋にとある試験が行われる。

今年それを受けるとすると、今まで以上にハードになるかと思う。

ただ、今現在日本で教える時間的金銭的余裕などない。

それを考えると、とりあえずは受けてみて出題内容を把握しておくのも手なのかもしれない。

悩む・・・・・・。

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夢も大事だが、体も大事にしたい

2024-03-30 22:31:07 | 行動計画 & 積極的思考

なんとか間に合った。

というよりは間に合わせた。

仕事はまだまだ続くけれど・・・。

 

こんな拙い文章ではあるが、文を作ったりすることが好きである。

それは企画書や計画書に活かせる。

それだけでなく、PC仕事全般が嫌いではないので、何でもかんでもやっている。

外に行かなければならないのに、部屋の中にいるほうが多い。

だが、別に管理職ではない。

それを望まないことを伝えて途中入社している。

ただ、単なる技術屋ではないことは記しても差し支えはない。

 

そんな私であるが、今年になってからずっと無理して仕事をしてきた。

もっとも、昨年の秋もそうであったけれど。

 

ただ、2024年4月からの各業種に対する働き方改革を考えると、以降は無理であろう。

 

帰国した直後の数年は80時間の規制ぎりぎりの残業を続けていたし、それを上回ったときもあった。

だが、7年前から40時間までとなり、この5年ほどは20時間までとなった。そのおかげか多くても月の残業は30時間程度であった。

ところが、特にこの3か月はそれを大きく超えている。

今月の3月はかなりの時間数となった。

土曜日3回に加え、日曜日にも数時間働いた週があった。

できるだけ早く帰宅したいので、早出残業も繰り返していたのに、それでは間に合わなく、夜も1時間から2時間は残業していた。

80時間まではいっていないが、ちょっとここに記せない。

(今でも様々な業種で月80時間以上残業している方は多いけど。)

ただ、家のことがありながらも、よくここまでできたものだと思う。

 

さて、このブログの紹介欄に意味深なことを記してあった。

<日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?

旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)>

だが、今年は無理であろう。

残業の規制はかかっても、仕事の忙しさは変わらない。

体を大切にしたい。

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またまたWifiの無い生活を体験

2024-03-28 22:01:00 | 日本での生活

2021年1月に据え置き型のWifiが壊れた。

そこの対応が良くなかったこともあり、乗り換えキャンペーンをやっていた他社に乗り換え3年使用した。

お金を払うどころか、今までより支払いが少なくなる状態で機器を5G型に取り替えたのが今年2024年2月半ば。

ところが、3月25日(月)の夜につながらないことを知った。

 

前夜までは普通に使えていたのだが・・・。

電源を切り、再び入れること数回でも駄目。

コンセントを抜いてしばらく待ち、再接続しても駄目。

SIMを確認しても、一度抜いて入れ直しても駄目。

 

翌日電話をしたら、SMSにURLが届き、そこでやり取りしたのだが、結局は電話を受ける日時の予約をしなければならなかった・・・。

 

だが、そんな複雑であっても、数分もしないうちに、新しい端末と交換する話になった。

 

月曜日に電話をして、本日木曜の夜には再びネットが使えるようになった。

 

2021年1月に他社のものが壊れたときは、やりとりに数日かかった。

上述に匂わせたが、挙句の果てに対応が悪く、「スパッ」と他社に切り替えた。

約10日Wifi無しの生活となった。

 

今回は3日。

2021年1月同様にワイモバイル契約のiPhoneのデザリングで過ごした。
(仕事用のau契約のGalaxyを使うほうが高速なのだが、さすがにそれは・・・。)

今やインターネットは無くてはならないもの。

SoftBankのこの迅速対応には拍手である。

 

ちなみに、私が通信端末とモデム一体型のWifiを好むのは、何か有事の際に異動が簡単になるからである。

まあ、現在使っているタイプは設置個所が決められているので、その移動の申請をすることになるのだが、新たに契約するよりは早いに違いない。

また、工事をする必要がないのもありがたい。

 

実は仕事でも出張所では専門業者のWifiを使うことが多い。

もちろん本社だとか、支店、営業所では高速光インターネットである。

ただ、1年未満の設置であれば、コンセントに接続するだけの機器のほうが(設置が)早いし、撤去時も楽である。

 

もっとも今の職場には1年前からいるし、この先1年いることになるかと思う。

それでも月末に回線スピードが落ちる以外はあまり問題がない。

(とはいえ今回のように、幾つかの機関や客先で異動ラッシュがあると、期日までにあれこれデータのやり取りをすることになるので、ドキドキハラハラものであった・・・・・・。)

 

さて、我が社も異動の時期である。

今年はまだまだ複数仕事を抱えているので難しいが、(もし、1年後も会社に残るのであれば)来年は本社に帰りたいものである。

最近は朝晩本社に寄っても、ただマイカーと社用車の乗り換えばかりで、自分の机には週に合計30分も座っていない。

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偶然は必然

2024-03-23 21:56:39 | 行動計画 & 積極的思考

特にこの10年。

ブログでほとんど写真やイラストを用いていない。

教育のみならず、人材の採用を考えても、長ったらしい文章だけではやっていけない。

それでも私が文章にこだわる。

その理由は「読む方々が自由にイメージできる」から。

 

もっとも長ったらしい文章のせいか、まったく理解していない方々も現れる・・・。

「どうしたらそんな解釈ができるのぉ・・・・・・」とため息ひとつ、ふたつの時代もあった。

まあ、文章を書ける割にはそのセオリーがわかっていないので仕方がない。

力技一本で勝負している。

そして話はあちこち飛ぶ。

まだまだ勉強しなければならない。

 

まあ、それはともかくとして・・・。

 

昔の私は口下手であった。

おまけに作文も苦手かつ苦痛であった。

小学4年生の頃の夏休みの宿題の作文で同じ文章を延々と書いた。

担任も「なんじゃこりゃ」と記したぐらい・・・。

書けないもどかしさから、あれこれ考えた。

すると、書けるようになる。

 

口下手。

それもいつしか克服できた。

人前で話しているときに、突然何も口から出て来なくなったことがあった。

そのことにショックを受け、にどっぷり落ち込んだ。

そこからだったと思う。

話せるようになったのは。

 

高卒後、上の学校への夢が広がった。

高校生の頃から、将来チャンスがあれば、行こうと思っていた。

ある日、突然その想いが抑えられなくなった。

お金のことも考えずにチャレンジを始めた。

だが、駄目であった。

しかし、1年後にやはり大学に行きたくなった。

それはチャンスがやってきたからであった。

 

大学に行き、勉強したかったことを学んだ。

それが念願の海外生活につながった。

その海外生活を掴んだのが、憧れであった教師という仕事であった。

なぜ教師に憧れたのか。

それは愛知県という外国人が多い場所柄も関係していた。

 

親の仕事の都合により、5歳で愛知県にやってきたこと。

それは決して偶然ではなかったのだと思う。

 

おっちゃんとなった今の自分の様々な交友関係は愛知県に住んでいたことから始まっている。

他地域の方や海外の方々とのつながり(それは海外で知り合った方々を含む)も、愛知県に住んでいたからこそ。

(出生地の静岡県とのつながりもあるけれど。)

 

以前も記したが、私の人生はけっこう上手くできているようである。

この話、いつか続きが書けるかな。

と、話を濁しておく。

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