外国帰り。
帰国子女でも、留学でもなく、仕事で住んでいた。
それも、出張ではなく、自分から渡っている。
そして現在違う仕事をしている。
私だけに限らず、多くの方が経験していることであろう。
外国帰りであることへの批判めいた疑問。
別に外国で遊んでいたわけではなく、必死に働いていたのだが・・・。
今の仕事は一応自分の専門ではあるし、日本語教育の経歴よりも長い。
それでも、ごくたまにではあるが、外国帰りであることが気に入らない方がいたりする。
さらに、時々定時で上がったり、フライングでオフィスを出ることも気に入らない古い時代の方もいらっしゃるらしい。
フライングとは記したが、私の職種はそちらのほうが定時であったりする。
普段は仕事内容から他の方々の定時に合わせているだけ。
また、定時やフライングで退勤する理由のほとんどは親の扶養とつながっている。
ただ、社会人としては人より早く出社して仕事に取り掛かり、普段は休憩も取らず、必死に仕事をこなしている。
なるべく早く帰れるように。
まあ、人にはそれぞれ大事なものの価値が違うのだから、あえて向きムキになって反論するつもりもない。
それに、逆の立場になれば、私の行動はさぞや目に付くに違いないであろう。
特に親の扶養など関係がない方々には。
関係があっても、兄弟姉妹や親戚にまかせっきりであったり、普段は頭にない方々にも。
「男の仕事」
ある観点からすれば、古い表現である。
だが、私もその手の表現を使っていたことがある。
それは「男の夢」。
「男の仕事」も「男の夢」も決して女性蔑視だけが現れているわけでもない。
まずは前者。
以前は男が働いて妻や子ども、親を食べさせることが主流であった。
自分が悪くもないことで頭を下げ、休日もなく懸命に働いた。
みんなを食べさせるために。
さだまさしさんの歌ではないが、「仕事もできない男に家庭を守れるはずなどない」のである。
「男の夢」
私の行動により、その方に気があるような誤解を与えてしまった女性の前でのお断り表現として使ったことがある。
さぞやその女性は傷ついたことであろう。
とても残酷な言い訳であったと思う。
だが、私はその夢にすべてを賭けていた。
それが昔、良い年になっても結婚しない理由のひとつであった。
結婚して、子どももいる状態で、仕事を辞めて海外に行くなんてことはしたくないので。
そこまでして手に入れた外国での生活。
そして大好きであった日本語教師という職業。
しつこいようであるが、逆の立場で考えると、わからないものでもない。
であるから、普段から言動には注意してる。
必要以外、必要以上には外国帰りであることを自分からは言わない。
まかり間違っても、自分からは「教師をしていた」などとは言わない。
そしてこれもしつこいようではあるが、ムキになって反論することもない。
さらっと流しておけばよい。
例えば、多くのアスリートが海外に出て行く。
それについて、応援する方もいれば、「わざわざ外国なんか行かずに、日本で続ければいいだろ」と思う方もいる。
私は応援してしまう。
夢を叶えたい気持ちは良くわかるし、そのためにずっと努力を続けてきた方も多いに違いない。
また、外国に出て行くことを良く思わない方の中にはその選手を心配している場合もある。
例えば、大谷翔平選手。
怪我も手術もあったことであるし。
そして・・・。
こういうことを記すと、荒れるかもしれないのだが・・・。
外国でチャレンジすることを良く思わない方の中にはひがみがある場合もあれば、外国語や外国人へのコンプレックスがある方もいらっしゃる。
私は日本語教師でもある以前に、外国語学習者であるし、小学校高学年と中学生の頃、海外のラジオ放送を聴いていたこともある。
であるから、外国人に対して、「外人」という表現が大嫌いであるが、今でも結構多くの方々がその表現を使う。
知ってか、知らずか・・・。
それだけではなく、こんな表現はざらに聴く。
「俺は『外人』が嫌いだ」と。
それについて、わからない面がないわけでもない。
そのように思わせてしまう外国人の方々も外国出身の方々もそれなりにいらっしゃる。
別に日本に限った話ではない。
ただ、これからの日本が生き残っていくためには、このままではいけない。
もちろん、思想の自由はあるけれども。
そうですね。私も帰国して友人たちと会うと、遠回しながらこうした外国帰り(行き)を批判されることがあります。こうした偏見はとても根強いですね。
ただ、以前「北国の春」で見たのですが、老人が農業を捨てて都会に出る人に対して「お前たちの苦労はよくわかっているから誰にも批判はさせん。しかし、わしには言う権利がある。お前たちは逃げたんだ、わしたちを裏切って逃げたんだ、そう言う権利がある」と言っていたのを思い出します。
私たちは望んで外国へ行ったのであり、状況が違うとも言えますが、日本に残っている人たちの中には、こうした気持ちで日々頑張っている人たちもいるのかなと・・・。どちらかというと、生きることに真面目な人がこうした考えを持ちやすいのかなとも思います。そうした気持ちが、外国帰りの人を見ると思わずあふれ出てしまうのかなと想像したりします。
おっしゃる通りだと思います。
そして、出て行く方も必死であれば、当然残る方々も必死であることは間違いないことですね。
実に丁寧なコメントをいただきました。感謝しております。
私の周囲では逆に最近の若者が勉強や仕事で海外に出て行かないことに非常な危機感を感じていました。
例えば80年代、私が留学したスタンフォードでは日本人は中国人に次いで2番目に多い留学生でした。深夜、近くのスーパーに行けば日本語が聞こえてくるような状態でした。ところが今では十位以下で「その他」に分類されているそうです。今、中国では「海龟」が話題になっているようにIT企業の創始者は大抵欧米留学やステラやGoogle就職経験者。それが元で米中ハイテク緊張もあるとか。
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最初は『分野が違うからか?』と思っていましたが、1つ気がついた事があります。それは《海外での経験を今の生活に生かしていない》からではないかと?
別に仕事だけに限らず、例えばボランティアでもそうした経験を生かせば人の見る目も変わってくるはず。でないと、
『あいつ、長年米国に住んでいたらしいが、一体何やっていたんだか』
と同様に言われることになるのでは? それが原因ではないかと思いました。如何でしょう?
どのようにお返事しようかと考え続け、2週間が過ぎてしまいました。
《それは《海外での経験を今の生活に生かしていない》からではないかと?別に仕事だけに限らず、例えばボランティアでもそうした経験を生かせば人の見る目も変わってくるはず。 》
につきまして、 ボランティアに限らず、それだけの自分の時間を確保できるのであれば・・・としかお返事できません。ぶっきらぼうな表現ですが、別に悪意はございません。