一週間がとても早い。
そして、気が付けば、「私が日本帰国について深く考えだした年から10年が過ぎた」状態。
もっとも2012年の終わり頃の話であるので、実質的には9年なのだが・・・。
ちなみに帰国したのは2014年の夏なのだが、それでもそろそろ8年前の出来事になろうとしている。
私のブログ記事は長い。
上手い下手はともかくとして、とにかく書く練習を兼ねているせいもある。
まあ、(本日は短く済ますつもりではいるが、調子に乗ってしまい)長くなる前に先に重要点を記せば、「定年までは日本語教師には戻れない」のである。
己の歳と(24の頃に描いた私がこの世を去る歳から今年誕生日を迎えたときの年齢を引いた)残りの50年の人生を考えれば、ここで5~10年は安定した収入を得続けていなければならないことがはっきりしている。
「定年までは日本語教師には戻れない」的なことはすでに5年前から記している。
夢が諦めきれずにどうしても日本語教師に戻りたかった私はある学校に合格した。
だが、教師の仕事だけでは親を養えない。
その無理を考え、泣く泣く辞退した。
「泣く泣く」と記したが、本当に泣いた。ボロボロと。
だが、当時はまだ微かな望みもあった。
また、日本語教師に限らず、国際的な仕事、講師業に就ける可能性も少しは残っていた。
しかし、現在の己の歳を考えると、もう下手な動きはできないのである。
すでに転職自体がとても難しい。
さらには、日本に居なかった9年弱年金保険料を払っていなかったことにより、自分の老後を考えることが重要になっている。
また、仮に転職するにしても、今仕事をしているランクより上は無理だと思う。
2017年の時点ではまだ引く手はあった。
ただ、私の気持ちはそこになかったし、ある部分自分の希望する(自分の特技が活かせる)職種とは違っていた。
だが、もう今となっては無理である。
以前採用の仕事をしたこともあるからこそ、肌でわかる。
かといって、今よりランクを下げることはしたくない。
それは親を養うための金銭的なことだけではない。
ある意味ランクを下げたほうが、収入は増える可能性が高い。
だが、ランクを下げてしまえば、己の知識の向上のためにならない。
自分自身が今より向上しなければ、ある夢が叶えられない。
今の私がへらへらと笑って暮らしていられるのも、いくつかの夢があるから。
昨年の夏に投げたボール。
今までも小さくは跳ね返っていた。
それがやっと大きく手元に返ってきた。
投げた時点で手ごたえはあった。
とはいえ今の世の中、何がどうなるかわからない。
それが順調に進むことを心から願っている。
もしそれが駄目であっても、今の世界から大きく動くことはない。
いや、上手く進んだとしても、極端に大きく変わるわけではない。
ただ、今よりは経済面で多少良くなるだけのこと。
まあ、決まってもいないので、これ以上は記せないけれども。
つい2年前までは将来ある国(中国ではない)に住もうと考えていた。
しかし、それはとある情勢により望みがなくなった。
(新型コロナウイルスのせいではない。)
その夢が途絶えたこともあり、私の心はふらふらとさまよっていた。
ただ、そこに住みたかったのは本当に私の本心であったのであろうか。
昔、行動計画を勉強したときにしつこいぐらいに見聞きしたのが、「それは本当に自分の本心なのか」ということであった。
わかりやすい例を挙げれば、「誰かのため」だったとしたら・・・。
そこに住みたかったのは嘘ではない。
昔からその付近の文化が好きであったことも事実である。
ただ、自分の心はもっと違う部分にあったのだとしたら・・・。
それを考えると、8年前の今頃から春先までを思い出すのである。
・ベトナムで仕事をしてみたい。
→妻が中国人だから難しい。
・インドで仕事をしてみたい。
→持病があるから無理。年齢的にも厳しい。
・日本で旧友たちとたまに遊ぶような暮らしをしたい。
→仕事が見つかりそうもない。
結局のところ、「心底から」やりたいのであれば、何もかも投げ出してやるはずなのであり、そうでないということは、「・・・たい」だけであって、「心の底からの欲求ではない」のかもしれません。実際のところ、中国に来るときは何もかも投げ出してきたわけだし(笑)。
お金の心配がなくて、趣味のような感覚でやられてましたね。
ちょっと羨ましかったです。
雨好きさん、察するに、あと10年後くらいでしょうか。
それまでの間、楽しみに待つのもよし。
ただ、文面から、すごく情熱を感じるので、時間を作ったり、体力的にも難しいとは思いますが、休みの日にオンラインや地域のボランティアで日本語を教えられたら、日本語学習者は、雨好き先生から日本語を習うことができて嬉しいんじゃないかなって、ふと、思いました。
すみません、余計なことを書いちゃましたm(_ _)m
おっしゃっていることはまったくそのとおりだと思います。
私自身、体の問題により寒い国や地域には住めそうもありません。
将来住みたかった東南アジアの国を諦めたのも、急にビザ取得のハードルが上がっただけでないのだと思えます。
そして、中国に渡る前も日本帰国時もは何もかも捨てましたし。
改めて考えさせられるようなコメントをありがとうございました。
おっしゃるとおり、定年後に教える場合、趣味のような感覚になる方もいらっしゃるでしょうね。ですが、ある意味そういう方々のお力で成り立っているのかもしれませんね。
中国に渡る前にボランティア教師をやっていました。
ただ、それも準備に時間がかかるので、最初のクールは体調を崩す原因になったことがありました。
なんといいますか、手を抜くことができない性分なのでしょうね。けっこういいかげんで大雑把な部分も多いのに。
オンラインで教えるのならば、部屋を別に借りることになりそうです。YouTubeでも同じことですね。もっとも、YouTubeの場合、覆面して登場することになりそうですが・・・。