まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

私はまだまだ走り続けていく

2022-01-10 21:27:00 | 日本での生活

昨日が終わる直前にアップした

今でもよく思い出す子どもたちのクラス

 
 
で匂わせたが、私はけっこう曲がったことが嫌いである。
 
昨晩の『必殺仕事人2022』で見せてくれた岸優太氏と西畑大吾氏の好演。
そしていつも酷い扱い(?)で描かれる知念侑李氏にはではあるが、今回は貫禄を感じた。
 
中でも唸りたくなるぐらい素晴らしかったのが岸さんであった。
 
その姿(真っすぐさが災いして、道を外れていく演技)は私に対する警告であるような気がした。
もう少し心ゆったりと生活しようと思う。
 
ちなみに、この渡辺小五郎の新シリーズが始まった頃、次世代への伝承が意識されていることが顕著であったが、今回もそれを感じさせられた。
 
さて、本日は2022年1月10日(月)成人の日。
仕事をしたいのに、休むしかなかった…。
まあ、仕事で成人式には出ていない私は「遅れた式」だと思うことにした。
 
家の用事もなかったので、久しぶりに愛・地球博記念公園までウォーキングに行こうと出かけた。
 
ただし、行きは思いっきり遠回りした。
帰国後、高速道路&バイパス利用の通勤をしたことがある。
金曜日または土曜日の週最後の帰りはあえて下道で帰ることが多かった。
それはとても楽しかった。
本日、その一部を逆に走ってみた。
当時は軽自動車であったので、何も感じなかったが、少しだけサイズの大きな小型車では対向車とのすれ違いが大変なところがあった。
これも新たな発見であった。
 
また、その当時通っていたところから、5kmも離れていないところに2年電車通勤をしたことがあるのだが、月に一度は金曜日または土曜出勤時に車で通うことがあった。
バイパスの片側2車線がインターチェンジひとつ伸びただけで、通勤時間がかなり短縮されることを知った。
そこからの帰りで月に3回は歩きで駅まで行っていた。
そのように、常に自分で楽しみを作り出していた。
大好きな職場であった。
父親の調子が悪くなければ、異動願いを出すこともなく、通勤で睡眠時間が不足しても、もう1、2年は通ったかもしれない。
 
そして14時半にやっと目的地に。
駐車場に入るのにしばらく並んだこともあり、1時間しか歩けなかった。
ここはかなり好きである。
ただ、2019年の5月に来てから、本日までの2年半の間に来たのは一度ぐらいであったと思う。
約2年前に父親が旅立ったのだが、その頃既に新型コロナウイルスが流行し出しており、なかなか遠出が出来なかったので仕方がない。
 
それでも、今年はウイルスによる制限の中、少しずつ行動半径を戻していこうと思っている。
 
この3年弱、地元付近ばかりにいる。
改めて地元を知ったことはありがたい。
だが、自分を小さな世界だけに縛りつけておくのも良くない。
せっかく帰国後に仕事などで行動範囲が広がったのであるから。
行動範囲が広がると、多くの方に出会う。
それは私の成長にもなる。
今年、四捨五入ではアラカンになるのだが、人生百年の時代であり、私はまだまだ走り続けていきたい。
 
 
 
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