●ニューヨークの思い出

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日本の芸能界の仕事が比較的好調で、
人も羨む有名人に呼ばれて、ツァー
メンバーとして働いていた30代前半、
自分の本当にやりたい音楽と、仕事
としてやらなければいけない音楽の
板挟みになり、ある有名アーティスト
のツァーのリハーサル中に、話し合って、
脱退して、ニューヨークに遊学していた
のは、1989年の夏。
3ヶ月ちゃんと勤めれば数百万が手に
はいるのに、それを蹴って帰宅した亭主に、
怒り心頭の妻は言った。顔も見たくない
から、外国でも行ってらっしゃい。
めでたく外国へ行き、アメリカ音楽をまた
本場で学び直すことになった僕を、仕送り
で支えてくれた元妻には深く感謝しかない。
4ヶ月間だったが、ロングアイランドの、
クイーンズのForest hills にアパートを
借りて、日々、ジャズ、オペラ、美術館、
シャムセッションとアメリカ文化を学ぶ
日々を送った。僕の人生で一番贅沢な
日々といえるかもしれない。
お陰で、芸能界の下請け業者から、
ジャズ教育の分野へ転身できたきっかけ
になったのだ。
サックス奏者の、ジョージヤング氏に
教えを乞うも、ウォームアップの方法や、
ポーランド系移民の子孫である彼が、
少年時代、祖母に故郷の音楽である
ポルカを演奏してあげたら、涙を流す
祖母を見て、音楽家を志した話や、
一緒にいろいろな音楽家に出会うたび
に、英語の言い回しを学んだ。
ド●ッグを勧められそうになり、それは
遠慮したのも思い出す笑。
ヤング氏のつてで、ロシア系アメリカ人の、
サックス奏者ピートイエリンにも、大変お
世話になった。
彼は、ジャコパストリアスや、イエロー
ジャケッツとの共演で有名な、サックス
奏者、ボブミンツァーのビッグバンドの
リード奏者で、一緒にジャズ映画を
見たりいろいろHang outして学んだ。
彼の参加している、有名なラテン
パーカッションの、ティトプエンテの
バンドに参加させて貰い、フルート
を吹かせて貰ったことも。
ピートの自宅で、ピートと、ボブの
奥様同士が、ブレッカーブラザーズ
の、マイケルとランディは、どちらが
いい男かという話題で盛り上がって
いたのも思い出す。マイケルが夭逝
したのはとても残念。
さて、ビリージョエルの両親は、父が
アシュケナージ系ドイツ人で、スイス
経由でナチを逃れてアメリカへ渡った
人で、クラシックピアノの名手、母親は
イギリスで宝石商を営むユダヤ人だった
そうだ。
白人テナーの巨人スタンゲッツは、
ユダヤ系ウクライナ人で、クラリネットの
ベニーグッドマンなどもそうだが、ユダヤ
人は、優秀な人が多い。
日本人にも、ユダヤ人の血や文化が
入っている説も浮上し、興味は尽きない。
ゲッツの生い立ちを調べると、若いとき
1日何時間も練習していたのはさも
アリナムだが、楽譜を写真に撮ったような、
映像記憶に、優れていて、2日間でビッグ
バンドのレパートリーを記憶してしまった
そうな。
音楽家には、うらやましい能力だ。
道理で、いろいろな曲を時代時代に
暗譜して、素晴らしいソロを繰り出す
訳だ。
彼の生涯の最大のヒット曲イパネマ
の娘のレコードセースルは、100万枚
だった。
指揮者の優秀な人などもこの能力
に優れた人が多く、カラヤン、小澤
征爾なども、20段以上のシンフォニー
のスコアを何十ページ分も記憶して、
各自のパートの音を頭の中で鳴らし
ながら棒を振る訳だ。凄い能力。
また、コルトレーンの記録を調べると、
マイルスバンドに参加して、麻薬を止め
られず殴られて首になり、セロニアス
モンクに、拾われて、共演。長足の進歩
を遂げる。
このとき神の啓示を受けたという。
その後のコルトレーンは、吹っ切れ
たように、たどたどしさが、無くなり、
自信に溢れた素晴らしい演奏に
なってゆく。
こうして、音楽家が、修行を極めた
上で、上のステップに上がってゆく
話にはとても励まされる。
神の啓示を受けるまでは、人間と
して全力の努力があったに違いない
と思うから。
写真は孫の海仁(みと)。
サックス教室 フルート教室
アルバム 、DVD

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