「すげえなあ」
竹一は眼を丸くして感嘆しました。
「地獄の絵みたい」
「やっぱり、お化けかね」
「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」
あまりに人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪を確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷めつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼らは、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、
「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ」
と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。
(太宰治『人間失格』「第二の手記」より)
緑の人と日本医師会が結託して引き出した(と、そう見える)緊急事態宣言。
その対象地域は、あれよあれよと言う間に11都府県にまで広がり、さらに追加の気配もありです。
拙ブログを長く読んでくださっている方々はご承知のことと思いますが、ワタクシ自身は、新型コロナウイルスとそれが引き起こす感染症とに、そうですね、昨春、緊急事態宣言が出された辺りから一定の疑問を感じていました。
とはいえ、当時を振り返れば、確かに「新型」のウイルスに見えたのであり、多くの人が「未知」なる感染症に怯えたのも無理のないことだったと思います。
ワタクシにしても「誰もが感染しているかもしれないという前提で行動しましょう」くらいのことを書いた時期もあります。
確かに・・・
かの時は、それなりに前例のない「緊急事態」でした。
しかしながら・・・
現状は、予測不可能な「緊急事態」などではありません。
前回の「宣言」が昨年5月25日に全面解除されて以降12月末まで7ヶ月。その間、様々なことが分かってきました。
世界中で行われているPCR検査が、必ずしも同じ基準ではないこと。
故に、感染者数も、重傷者数も、死亡者数もアテにならないこと。
同じ理由で、無症状者が感染源になるという話が眉唾ものであること。
となれば「いつでもどこでもマスク」にも、あまり意味がないこと。
いずれについても、マスメディアが伝えることはほとんどありませんが、ほんの少し自ら知る努力をすれば、様々な発信に触れることができます。
さらに時間を使えば、公になっている一次情報をはじめ、確度の高いソースにアクセスしてウラを取ることも可能です。
もちろん、誰もがソレをする必要はありませんし、そういう暇もないでしょう。
とはいえ、本能的に、あるいは感覚的に、何かオカシイと考える人が少なからずいるようではあります。
実際、緊急事態を自分のこととして、危機感を持って受け止めている人は、案外少なく、自分の生活に(負の側面で)直結しないかぎり、どっちでも良いという人も数多く見受けられます。
ワタクシとしても、もう出てしまったものは仕方ないし、のらりくらり遣り過していくしかないね、くらいに考えているところです。
一方で「コロナ怖い」と言い続けている人も、まだまだいらっしゃいます。
それは、まあ良いでしょう。
ただ、だったら、この7ヶ月、アナタ達は一体何をしていたのか、何故準備をしてこなかったのか、という話になります。
彼らは、自ら為すべきことを為さず「お年寄りや体の弱い人を守りましょう」「疲弊している医師・看護師を救いましょう」といった、正面から反論するのが難しい言説を弄したりします。
実際「そういう人は、コロナでなくても死ぬよ」とか「耐えられないなら辞めれば良い」とか言ってしまえば、人間失格の烙印を押されかねません。
けれども、少し冷静に、立場を変えて考えてみたらどうでしょう。
ハイリスクな方々は、自身のために他の人々が不自由な暮らしをすることを望んでいるのでしょうか?
医師・看護師の方々は、自身が疲れ、辛く苦しいからと言って、健康な人々の心が削られていくことを望むものでしょうか?
「お化け」や「地獄の馬」を見たいのも、見続けていたいのも良いでしょう。
ただ、そういう人が、他者に対してまで「君もお化けを見なさい」「お前も地獄の馬を追うべきだ」と言うから世の中おかしくなる。
「誰も感染してはならない」「何をおしても感染予防に努めるべきだ」と言うのは良いけれども、その同じレベルを人に要請し、強制しようとするから間違える。
確かに「命」は大切。
失われたら取り戻せない。
けれど「如何に生きるか」も、同じように大切なのではないか。
今日この瞬間にしても、失われたら取り戻せないことに変わりはないのではないか。
人間として失ってはならないものがあるはずだ。
ただそれは、人それぞれに違っても良い。
私自身は・・・
感染して死んでもかまわないけれど、感染予防のために心を失いたくはない。
たとえ私を殺さないためだとしても、感染予防のために誰かの心が失われることを望まない。
ちょっとお待ちなさい、と言うしかないニュース。
新型コロナウイルスは現在、危険性が比較的高い1~3類などの措置ができる「指定感染症」とされているが、政府は、強い措置が講じられる「新型インフルエンザ等感染症」に分類変更する方針だと、共同通信や毎日新聞が報じた。
ここでは、その内容について詳しく書かないけれども、ともあれ「緊急事態」の最中に、その後も続く政策決定や法律改正をするべきではありません。
色々ともっともらしいことを言ってますが、お役人さんは、その本能として、少しでもできることを増やしたいだけなんですから。
7割のライブハウスやクラブで、音楽関連事業の収入が50%以上減少した。3割の俳優や劇作家、演出家などのアーティストが、「先が見えない」などの理由で「死にたいと思った」――。
記事の趣旨は「補償を」というところにあるわけですが・・・
そういう心情にある人々、コロナで亡くなった(とされる)人々、あるいはコロナで重症になっている(とされる)人々、そのケアに追われる人々・・・
種々諸々、バランスを今一度考えましょうよ、とそういう方向に、世の中、特にマスメディア界隈が行かないのは一体何故なんだろう。