35年間にわたってワクチン研究を続けてきた科学者として、私は科学が万能の力を発揮する喜びと、予期せぬ結果を生む悲しみの両方を目にしてきた。例えば、経口ポリオワクチンは西半球からポリオをなくし、今でも世界中で使われているが、ワクチン自体がポリオの感染を引き起こすことがある。このような副作用はまれだが、現実に起こっている。1998年から1999年にかけての10ヵ月間、米国の乳幼児に投与されていたロタウイルスワクチンは、まれに腸重積(訳注 腸管が重なった状態で引き起こされる腸閉塞症)を引き起こすことがあり、1人の子供が死亡したことによって中止された。ヨーロッパと北欧諸国で2009年に行われたブタインフルエンザの予防接種は、ナルコレプシー(居眠り病)と呼ばれる睡眠障害をまれに発症させることが判明した。発症すれば、影響は生涯にわたって続く。これらはどれも命にかかわる恐ろしい感染症から人々を守ろうとする素晴らしい発明だったが、少数ながらも悲劇が生まれてしまった。

 

 

アレとかソレとか色々と煮詰まった時の、ワタクシ的なお約束、「本の森」への逃避行です。

 

 

冒頭は、『禍の科学――正義が愚行に変わるとき』の「はじめに」から引用。

 

 

 

誰もが良いことをしているつもりだった。いったいどこで間違えたのか?

新たな科学の発想や発明が致命的な禍いをもたらすことがある。十分な検証がなされず科学の名に値しないまま世に出てしまったものはもちろん、科学としては輝かしい着想や発明であったにもかかわらず、人々を不幸に陥れることがあるのだ。過ちを犯してしまった科学が「なぜ」「どのような」経緯をたどってそこに至ったのかを、詳しくわかりやすい物語として紹介する、迫真の科学ドキュメンタリー。

 

 


という本です。

 

著者さんはポール・A・オフィットという方。巻末に・・・

 

フィラデルフィア小児病院ワクチン教育センター長、ペンシルヴァニア大学ペレルマン医学部のモーリス・R・ハイルマン・ワクチン学教授および小児科学教授。

 

とあり、また・・・

 

米疾病対策センター(CDC)が世界的な使用を推奨するロタウイルスワクチンであるロタテックの開発者の一人でもある。

 

とのこと。

 

決して「ワクチン懐疑派」ではありません。むしろワクチン開発者であって、科学の力を信じている人。ただ、ちゃんとその限界もわきまえていて、自省する心をお持ちのようです。

 

 

つまり今回記事は、例によって「権威の口を借りてモノを言う」のパターンでして。その辺、ひとつよろしくお願いいたします。

 

 

ちなみにこの本、日経ナショナルジオグラフィック社、2020年11月発行ですが、原書は2017年のようで、当然、今次新型コロナ禍については全く触れられていません。

 

 

さて内容はと言いますと・・・


はじめに
第1章 神の薬 アヘン
第2章 マーガリンの大誤算
第3章 化学肥料から始まった悲劇
第4章 人権を蹂躙した優生学
第5章 心を壊すロボトミー手術
第6章 『沈黙の春』の功罪
第7章 ノーベル賞受賞者の蹉跌
第8章 過去に学ぶ教訓
エピローグ
参考文献

 

という目次構成。

 

すなわち、第1章から第7章までが過去にあった科学による「禍」の事例。第8章をそれらから汲み取るべき教訓というか反省で「まとめ」ています。

 

 

なので、ここでは「第8章 過去に学ぶ教訓」の7節それぞれから、ワタクシ的に、ココ、という部分を紹介しつつ、ちょっとしたコメントを付していこうと思います。

 

 

 1.データがすべて。

   科学は2本の柱で支えられており、やや信頼できない柱としっかり信頼できる柱がある。最初の柱は査読だ。論文が掲載される前に、その分野の専門家が論文を読んで評価する。残念ながら、この仕組には欠点がああり、専門家の力不足で、ときには問題のあるデータが見過ごされることも起こりうる。そこで頼りになるのが2本目の柱である再現性だ。(MMRワクチンが自閉症をリスクを高めるといった)画期的な大発見を発表する論文が掲載されると、その後の研究で発表された結果が正しいかどうかを検証することになる。例えば、MMRワクチンが自閉症のリスクを高めるという論文が発表されると、すぐさまヨーロッパ、カナダ、米国で何百人もの研究者たちが結果を再現するための研究に取りかかった。結局、論文が主張する通りの結果を再現できた者はいなかった。数十万の子供たちを巻き込み、数千万ドルの費用をかけて明らかになったのは、MMRワクチンを受けた子供が自閉症になるリスクは、受けてない子供と変わらないという事実だった。これは優れた科学の勝利だ。

 

新型コロナウイルスは「無症状でも感染する」というのが一番の「ウリ」になっているわけですが、無症状感染の事例を示した論文は、実は片手で数えられるほどしかないようです。

 

つまり「再現性がない」のですね。むしろ、一定区域・一定期間内で無症状感染者はゼロでした、という論文があったりします。

 

初期報道によって植え付けられた印象に加え、PCR検査陽性を以て「感染」とするがゆえに、凄い勢いで無症状感染が広がっているような気がしているだけなのです。

 

ただ、ワタクシ個人的には無症状感染がゼロだとは思いません。むしろ、インフルエンザを含め、風邪症状を引き起こすウイルスは、広く一般に無症状感染していると考える方が色々辻褄が合うと思います。それでも、ほとんどの人は自然免疫・細胞性免疫によって撃退してしまい、いちいち「感染した」という捉え方をしていない(いなかった)だけなのではないでしょうか。

 

 

 

2.すべてのものには代償があり、ただ一つの問題はその代償の大きさだけだ。

   要するに、代償はどうしても避けられない。ここで難しいのは、特定の技術がその代償に値するかどうかを見極めることだ。そして数十年、数百年前から使われてきたというだけの理由で、特定の技術の見直しを一切行わないというのも避けるべきだ。あらゆる技術は、絶えず評価を繰り返さなくてはならない。それを示す最も良い例は、全身麻酔だろう。麻酔薬は150年以上前から使われてきたが、数年間にわたって注意力や記憶力を低下させる恐れがあることが明らかになったのは最近だ。「この麻酔薬なら安全と言える薬はない」とペンシルベニア大学麻酔学教授のロデリック・G・エッケンホフは言う。

 

ましてや、mRNAワクチンは、その長期間使われてきたという実績すらないわけで。有効率95%とかいう触れ込みをそのまま変更せずにいる、というのは、不誠実極まりないように思います。誰とは言いませんが。

 

 

3.時代の空気に流されるな。

   化学名がついたものを怖がる人間の性は、すぐには治らないだろう。数年前にコメディアンのペン&テラーがある実験をやった。彼らは一人の友人をカリフォルニアの催し物会場に送り込み、一酸化二水素(ジヒドロゲンモノオキシド)の禁止を訴える嘆願書への署名を呼びかけさせた。数百人の人々が、このいかにも体に悪そうな物質を禁止する嘆願書に署名した。一酸化二水素とは、2個の水素(H)原子と1個の酸素(O)原子が結合したもので、この化合物H2Oは水と呼ばれる。化学名を使うことで、ペン&テラーが差し向けた友人は水を地上からなくそうとする運動に数百人を加わらせることができた。

 

「新型コロナウイルス」が怖いのであれば、「mRNA:メッセンジャー・リボ核酸」とか「LNP :脂質ナノ粒子」とかいうのだって、十分に怖そうなんだけれども。

 

人間の恐怖心というのは、都合よく簡単に麻痺するものでもあるようで。つまるところ「新型ワクチン、みんなで打てば怖くない」ということなんでしょう。

 

 

4.手っ取り早い解決策には気をつけろ。

   実際にはありそうもないと思われるかもしれないが、こんな状況を想像してほしい。悪徳医師の集団が、スイスで自閉症の治療と称してロボトミー手術を行うクリニックを開院したとする。クリニックを運営する医師たちはこの手術をロボトミー手術ではなく(今さらこの名前は使えない)、例えば「人生のやり直し」手術とでもいった別の名前で呼んでいる。体裁の整ったクリニックのホームページには、自閉症の原因となっている脳の神経線維を切断する手術は所要時間わずか数分、入院も不要という説明が並び、この手術を受けて子供の言葉が大幅に増え、可能性が広がったという親の体験談もいくつか紹介されている。別の銀河からやってきた10億歳の神を自称する男が考え出した、児童虐待と変わらない治療法に人々が群がるなら、ヨーロッパのどこかのクリニックの医師たちが手っ取り早い外科手術で少なくとも同じくらいの成功を収めることは十分にあり得る。この話はフィクションだが、現実にならないという保証はどこにもない。治らない病気を治そうとするためにあらゆる手をつくすうちに、私たちは病気に苦しむ人をさらに苦しめ続けることになる。

 

PCR検査を可能な限り数こなせば、早期発見・早期隔離で感染を抑えられる、という話がまことしやかに語られていたし、検査自体もどんどん「手軽」なものが登場したりして。

 

でも「感染者」は抑制できるどころか、かえって増加する一方でした。

 

そして、その事実に関して反省の弁はどこからも聞こえてきません、それどころか何でもかんでもデルタ株のせいにして澄まし顔です。

 

 

5.量次第で薬は毒にもなる。

   レイチェル・カーソンが『沈黙の春』で書いた、人間の活動によって環境が破壊されるという彼女の予測は正しかった。現代の私たちが、地球に人間が与える影響をはっきり意識するようになったのは、レイチェル・カーソンのおかげだ。しかし残念ながら、カーソンはゼロ・トレランス(ゼロリスクの原則)という概念も誕生させた。濃度や量に関係なく有害物質は一切認めず、全面的に禁止すべきだという考え方だ。(農薬で使用されるような)大量のDDTが有害な可能性があるなら、(蚊に刺されないようにするための)ごく少量の使用もさけるべきだということになる。その結果、数百万の子供たちが本来なら防げたはずのマラリアで命を落とした。

 

感染・発症するかどうかは、一時に暴露するウイルス量次第。

 

他者に感染させるかどうかについても、やはり排出しているウイルス量次第。

 

なのに、我が国においてはCt値(PCR反応立ち上がりサイクル数)を考慮した話が少な過ぎます。

 

逆に(できもしない)「ゼロコロナ」を言う人は、政治家を含めかなりの数にのぼります。一体どうなっているのでしょう。票儲けと金儲けでしょうか。

 

 

ついでに言うと、「新型」ワクチンの成分であり、すぐに分解するという触れ込みのmRNAやLNPは、2回3回、あるいは、取り沙汰されているように6ヶ月に1回とか打ち続けて、本当に大丈夫なモノなんでしょうか。

 

 

6.用心することにも用心が必要。

  悪性のがんと害のないがんをはっきり区別できる遺伝子マーカーやバイオマーカーが見つかるまで、実体はがんでないがんの過剰診断と過剰治療に、私たちは今後も苦しめられることになる。そして、本当は私たちの命を救っているわけではない検診に、命を救われたと言い続けられるのだ。現在、毎年およそ7万人の女性が命にかかわらない乳がんにより、がんの診断を受けている。私たちは用心に用心を重ねすぎて、必要以上の恐怖や、不安を与えられ、体を痛めつける手術を招いている。

 

そう、発症する検査陽性と発症しない検査陽性があるのです。

 

同じく、人に感染させる検査陽性と人に感染させない検査陽性だってあるのです。

 

なのに「可能性はゼロではない」の呪文により、対策してます競争、させてます合戦が繰り広げられて、文字通りの息苦しさが続いてます。

 

プラスとマイナスしか判定できない(しかも、しばしば「偽」だったりする)検査なんて、アテにしてはいけないのです。ちゃんと症状を診て対処方針を決める・・・いい加減、医療の基本に帰りましょうよ、です。

 

 

7.カーテンの後ろにいる小男に注意しろ。

   今日、オズの魔法使い効果を利用して医学的・科学的なアドバイスをしてこようとする人々はちまたにあふれている。健康法のカリスマは、自分の人間的な魅力で根拠の弱さをごまかそうとする。そして、彼らは問い詰められることを嫌がる。カーテンの後ろに隠れていた小男の正体がばれると、彼らはたいてい、こんなことは不当だと叫ぶ。自分たちの説が間違っているわけではなく、悪の勢力が自分たちをやっつけようとしているのだと主張し始めるのだ。

 

「問い詰められることを嫌がる」人・・・

 

あー、(このご時勢だというのに)削除されない動画(!)をあげてるあの人とか、テレビにもしばしば登場するその人とか、いろんな顔が思い浮かびます。

 

でも、うっかり「カーテンの後ろ」の「小男」を話題にすると陰謀論認定され「悪の勢力」として社会的に葬られかねないですから、ちょっと厄介です。

 

 

 

 

「過去の失敗」から学ぶべき教訓とは?

 

ということで、最後に「エピローグ」から。

 

   〜〜〜あらゆる進歩には代償が伴う。その代償が高いものになり過ぎないかどうかを調べるのは、私たちに課せられた仕事だ。ワクチンや抗生物質、衛生管理プログラムのように、ごくわずかな代償で済む場合もある。だが、トランス脂肪やロボトミー手術、メガビタミン療法のように、ある場合には代償は非常に大きくなる。これらのケースについては、どれも計算は簡単だ。しかし、オピエート(アヘンアルカロイドの薬剤)や化学肥料のように、短期間のうちに得られた利益やメリットを長期的な損失が大幅に上回り、影響の大きさを簡単にははじき出せない場合も多い。

 

「新型」ワクチンが「ごくわずかな代償」で済めば良いと思います。何しろ、我が国においても既に6割以上の方が複数回接種してるっていうんですから。

 

ただですね、「短期間のうちに得られた利益やメリットを長期的な損失が大幅に上回り、影響の大きさを簡単にははじき出せない場合も多い」わけで。

 

「今からでも遅くない」ですから、そこは「分かりません」と言うだけの誠実さは持っていてほしいです。これまた、誰とは言いませんが。

 

  科学の力でより良い生活を実現できるという希望を私たちは持ち続けているが、科学のあらゆる進歩はしっかりと注意深く見守っていく必要がある。そして過去の失敗から学んだ教訓を生かし、ただ手をこまねいているばかりではいけないということが結論になるだろう。

 

さてさて、我が国政府の新型コロナウイルス感染症対策、そこそこ上手くやったのか、それとも、必要性がなく効果もないことをやって、ただやった気になっているだけなのか。

 

ワタクシとしては、何をしてもしなくても、「感染者」は勝手に増えて勝手に減っただけだろうと言いたいところですが。

 

 

いずれにせよ・・・

 

我が国の失敗の最たるものは、失敗を失敗として認定しないことだろうと思います。

 

マスクの着用はもちろん、時短営業とか、酒類提供禁止とか、そういうのは本当に効果が有ったのか無かったのか。

 

それを検証することなしに、今また“ワクチン・検査パッケージ”なる、それ自体矛盾と欺瞞に満ちた政策を実行していくのか。

 

海外情勢をほとんど知らせず、デマ防止という名目で自由な議論を封殺する。

 

これもまた、かつて我が国が陥った黒歴史でありながら、そっくりそのまま繰り返されようとしています。

 

 

私達は今・・・

 

軽くあしらっておけば良い相手(新型コロナウイルス)と全力で戦わされ、必要のない防具(マスク・ワクチン)で過剰防衛を強いられている。

 

・・・と言っても良い状態にあるのではないですか。

 

「自分はワクチン接種済みだし、別にどちらでも良いんじゃない?」という話ではありません。

 

断じて。

 

 

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/taisakusuisin/bunkakai/dai7/vaccine_nichijou.pdf

 

これこのとおり、政府分科会が自ら認めているように、ワクチン接種は自分の発症・重症化を(期間限定で)防ぐ以上の効果はないわけで。

 

ならば“ワクチン・検査パッケージ”に何の意味がある?

 

問い続けましょう。

 

たとえ相手が、どれほど嫌がっているとしても。

 

🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥

 

日本のオールドメディアはほとんど伝えてくれないので・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

        

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人口動態統計月報(概数)5月、謎の死亡者増(対前年比10,072人)について。

 

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/m2021/dl/all0305.pdf

 

 

これを、あくまでも「新型コロナとそれに伴う医療逼迫によるものだ」と言い張ってる人もいるようですが・・・

 

過去5年間5月に関して「死因簡単分類別」データを拾ってグラフにしてみました。

 

 

高齢化社会につき、基本的に増加傾向なのは当然のこととして・・・変動幅の大きいものだけ、さらに細かい分類と令和3年と2年の数字、差引増減を示しておきます。

 

総数増10,072人-コロナ増2,756人=7,316人・・・これが全部医療逼迫のせい?

 

皆さんそれぞれ数字とにらめっこして、ご自分なりの分析をされたら面白いと思います。いろんなことが見えたり見えなかったりするはずです。

 

総数

 

09000 循環器系の疾患

 

10000 呼吸器系の疾患

 

18000 症状、徴候及び異常臨床所見・異常検査所見で他に分類されないもの

 

22000 特殊目的用コード(「その他の特殊目的用コード」が新型コロナ)

 

 

全ての元数字はこちらから。

 

 

 

参考までにこちらも。

 

 

 

※資料2-7-1   副反応疑い報告の状況について

https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000838806.pdf

 

※第69回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、令和3年度第18回薬事・食品衛生審議会薬事分科会医薬品等安全対策部会安全対策調査会(合同開催) 資料 令和3年10月1日(金)

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000208910_00031.html

 

 

これを持ち出したことに、特に深い意味はありません(言うのも野暮ですが反語です)。因果関係を評価するのも止めましょう(再度言うのも野暮ですが反語です)。