彼女は、あくまでも一個人であって、車椅子ユーザーの代表ではない。まして障害者皆が彼女と同じであるはずはない。彼も、店舗の顔ではあったかもしれないけれど、健常者の代表ではない。まして社会そのものであるはずもない・・・

 

 

 

時折、此度のような障害者と健常者とのトラブルが報道される。

 

けれど、実際、何が起きたのか、肝心のところがボヤケている。

 

 

車椅子ユーザーが、映画の鑑賞後、スタッフから今後は別の劇場を利用するよう伝えられたという趣旨の投稿をしたところ、イオンシネマ側の対応を巡り議論を呼んでいた。

 

 

 

●魂は細部に宿る

 

悔しかったり、悲しかったりしたのは、事実だろう。

 

けれど、そう感じた側の記憶による「言い方」を云々しても、

 

あー、悔しかったんだね、悲しかったんだね、と言うしかない。

 

 

真に議論しなければならないのは、

 

彼女の望みが「合理的配慮」の範囲内なのか、

 

彼の対応が「不当な差別的取扱い」に当たるのか、

 

という部分だ。

 

 

何しろ、この4月に一部改正される「障害者差別解消法」自体が、

 

「合理的配慮」の内容は、障害特性やそれぞれの場面・状況に応じて異なります。

 

また、障害のある人への対応が「不当な差別的取扱い」に該当するかどうかも、個別の場面ごとに判断する必要があります。

 

としているのだから。

 

いつでも、どこでも、誰がしても(しなくても)、同じように不可・・・と決められないことを法律にしてしまう、というのも、ちょっと危険なことだと思うのだけれども、とりあえずソレは置いといて。

 

 

https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/pdf/gouriteki_hairyo2/print.pdf

 

令和3年に障害者差別解消法が改正され、事業者による障害のある人への合理的配慮の提供が義務化されました。このリーフレットは、改正法の施行について、事業者の皆様を始め、広く国民に周知を図るため、作成したものです。

 

 

 

●メディアは細部を避ける

 

ところが、話が個別具体的な細部に近づくと、

 

言葉が足りないとか、余計なことを言っているとか、

 

コミュニケーション不足とか、互いの思いがずれているとか、

 

 

毒にも薬にもならない一般論や、

 

敵も味方もつくらない綺麗事でお茶をにごしてしまう。

 

 

車いす利用者の“映画館の対応”めぐる投稿が議論に 「SNSで向けられる声は世の中と全く違うもの」過去に批判受けた当事者と考える“会話と手助け”

 

 

 

 

メデイアとして、個人攻撃だと謗られるのを恐れてのことだろう。

 

けれど、そもそも、個人の振る舞いが発端なのだ。

 

 

彼女のしたこと、言ったことについて、

 

車椅子ユーザー皆が「いいぞ!」という反応はしないだろう。

 

まして障害者すべてが共感するはずもない。

 

 

健常者にしても、その受け取り方は様々だ。

 

 

 

 

 

ワタクシ自身が色々探った範囲内で言えば、彼女の方が無茶振りであり、彼の言ってることは概ね穏当だろうと思いますが・・・

 

 

●その人に向けて

 

つまるところ、

 

それこそ、個別の場面で向き合う、

 

その人とその人とで「対話」をするしかないのだ。

 

 

その場で折り合いが付けられなかったことを、

 

感情に任せて公に晒すようなことをするから、ややこしくなる。

 

 

場合によっては、物事を集団でしか見られず、

 

ラクして横着に、性急に判断して終わらせたい人々に、

 

負のエネルギーを与えることになる。

 

 

そんなことを繰り返せば、世の中は、社会は、

 

良くなるどころか、ますます殺伐としたものになるだけだろう。

 

実際、そうなっているように思う。

 

 

「やり方次第では単なる迷惑客」、イオンシネマで車いす女性が介助を断られた事件で考える、国力減退時代の弱者保護

 

 

 

 

「配慮」を「義務」とするなら、

 

それは正直、「自粛」を「要請」されるのと同じくらい気持ち悪いことだけれども・・・

 

配慮(してもらうこと)を申し出る側も、

 

相手(申し出を受ける人)に対する配慮が必要だろう。

 

 

平等でないとしても、対等な者として、

 

その人とその人とが向かい合って、

 

その場で対話する以外にないではないか。

 

おっと、これも一般論にして綺麗事だろうか?

 

 

●その人を見て

 

そりゃ時には、折り合いがつかず決裂することもあるだろう。

 

ならば、静かに距離を取って、以後、近づかないようにする他ない。

 

 

障害者とか健常者とか関係なく、

 

気遣いできる人がいれば、横柄で傍若無人な人もいる。

 

 

ここ(この人)はムリ、他へ行こう、

 

となるのは、障害者だけではないよ。

 

 

という話である。

 

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(障害者と健常者との間で)対話が足りない、なんて嘆いて見せて、それで何かをまとめた気になる人も多いのだけれども(ワタクシもそうかも、ですが)・・・

 

そんなのは、健常者同士でも、ずっと以前から指摘されてきたことで・・・

 

 

ずっと前に出た本ですが、今読んでも、唸ります。

 

 

 「何か質問は?」―教師が語りかけても沈黙を続ける学生たち。街中に溢れる「アアしましょう、コウしてはいけません」という放送・看板etc.なぜ、この国の人々は、個人同士が正面から向き合う「対話」を避けるのか?そしてかくも無意味で暴力的な言葉の氾濫に耐えているのか?著者は、日本的思いやり・優しさこそが、「対話」を妨げていると指摘。誰からも言葉を奪うことのない、風通しよい社会の実現を願って、現代日本の精神風土の「根」に迫った一冊である。

 

 

 

 

 

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車椅子ユーザーへの配慮は、その見た目ほどに分かりやすくはない。

 

 

 

のだけれども・・・

 

 

車椅子利用の身体障がい者で、飲食店利用の際に一切事前予約しないスタイルでやってるのが私たちです! 

 

もっと障がい者や車椅子ユーザーに困りごとがないかなど、声をかけるのが当たり前の空気が生まれるといいですね。 

 

社会の方が変わってくださいよ!

 

 

 

と言われましてもね・・・

 

 

●弱者くっつき虫

 

明らかに困っている人を見れば、そりゃ声をかけますとも。

 

でも、本当に困っているかどうか、それは言ってくれなきゃ分かりませんから。

 

 

と言うか・・・

 

 

何で「一切事前予約しないスタイル」でやる必要があるんでしょうか。

 

 

健常者はいちいち予約しないから、とか、障害者だって健常者と同じように楽しみたいから、とか、しばしば聞くけれども。

 

いやいや、健常者にはできても、障害者にできないことが、現実としてあって。

 

だからこそ障害者には、健常者が得られない手当やサービスが用意されているんであって。

 

 

ちなみに、このポスト氏のプロフィール・・・

 

反自公維、反カルト。あらゆる性差別反対、反買春、反原発、辺野古移設反対、消費税反対。性暴力許さない。hide尊敬。好きな物:英語、独語、ロック、ジャズ、将棋、登山、映画、マンガ、ゲームなど。探究:哲学、現代思想、歴史、政治、セクシュアリティ、ジェンダー、記号。きゃりーらぶ代表、介護士。

 

・・・だそうで。

 

 

あー、って思います。

 

 

そりゃね、まだまだ不満かもしれないけれども、今日の障害福祉は「体制」が作り上げてきたものだし、福祉施設のほとんどは、直接の補助金や、障害者個人向けの障害者年金を回すことで成り立ってますからね。

 

「社会」に戦いを挑むなら、まず、その「社会」からの恩恵を返上してからにしてちょうだい。です。