さて、「逃げる」には心が逃げる、身体が逃げるのふたつがあると、前回の最後にお伝えしました。

 身体が逃げるとは、その場の環境から逃げ出すことです。理不尽な環境、命の危険がある環境であれば、自分の身を護るために逃げることは恥ではなく、有効な選択肢のひとつです。

 では、心が逃げるとは。これは内面から湧き上がってくる心についての課題から逃げることです。心と向き合うことは有る意味現実を前にするよりも過酷なことが有ります。見たくない自分の醜さを正面から見る、認めたくない間違いを認める。 
 自分の内面を認め、赦すということは、さじ加減が本当に難しい。
 認められずに、誰かのせい・何かのせいにする人もいれば、全てが自分の責任として自らに絶望する人もいます。


 しかもこの課題、逃げても追ってきます。
 環境や人間関係を変えても、手を変え品を変え貴方の前に課題として現れるのです。

 仮に、貴方が理不尽な仕事やサービス残業をさせるブラック企業に勤めていたとしましょう。こんな仕事やりたくない、周りに言われて仕方なく入社した。。
 そうだとすると、もしその身を逃すべく退職し、次の仕事を探すにも、心の課題を解決しないといけません。
 ここでの課題は「自分の意思なく周りに言われるまま自分の人生を決めた」ことです。
 退職の機会にこの心の課題と向き合わない限り、新たな職場でも同じ様な不平不満を言うことになります。

 
 心の課題は向き合わない限り、手を変え品を変えやってきます。
それは、貴方を追い詰めるためではなく「向き合ってくれ、考えてくれ、認めてくれ、次のステージに進むために」そういうメッセージなのだと私は思います。
そして解決方法は至ってシンプル。「自分にはそういう面もあるのだな」と認めること。正当化する必要も、卑下する必要も有りません。

 逃げるは恥だが役に立つ。だが、心の課題からは逃げずに向き合うべし。
 貴方は、心の課題と向き合ってますか。