週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。


おはようございます、私です。

 

大変お久しゅうございます。

 

なかなか時間とやる気とが上手く噛み合いませんで、

 

かなり空いてしまいました。

 

空いてるうちに季節は12月。今年ももう終わろうとしております。

 

皆さんにとって今年は…はまだ早いか。

 

どの業界も繁忙期、掻き入れ時ですからお忙しいと思いますが、

 

どうか皆さんで頑張っていきましょう。

 

 

ということで今回はこちらです。

 

  ​村社 万九千社/立虫神社

 

神社鎮座地:島根県出雲市斐川町併川

 

神社御祭神:万九千社:櫛御気奴命、大穴牟遅命、少彦名命、八百萬神

立虫神社:五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命

 

神社旧社格:国幣小社(延喜式)右矢印村社(明治)

 

神社御朱印:ありキラキラ

 

はい、ということで今回は出雲市の万九千社です。

 

一般的には万九千神社(まんくせんじんじゃ)と(公式も)言ってますが、

 

本来は万九千社(まくせのやしろ)と読むようです。

 

出雲大社が出雲大社(いずものおおやしろ)を本呼称とするのと同じようなもの…ですかね?

 

上のように参道がすごく広いわけではなく、

 

住宅街の間を縫うように細く道が続き、注連縄で仕切られています。

 

鳥居潜ってすぐ右側に玉垣に区切られた樹木がありまして、

 

祓戸かと思ったら「馬繋荒神」と書かれています。

 

三宝荒神さんのように見えますし、瀬戸内に見られる自然神系統の荒神さんにも見えますね。

 

ちなみに参道の両側の広場は殆ど駐車場になってます。

 

横切る道路の向こうに境内が見えますね。

 

わざわざ参道ですよと言わんばかりに、

 

道路の中心が赤く色分けされています。

 

歩行者多いでしょうからね。

 

二の鳥居の両側には2社分の社号碑と由緒書きがあり、

 

右側は万九千社側の由緒となっています。

 

御祭神は熊野大社、出雲大社の祭神、そして国造りを手伝った少彦名命さまと八百万の神様を祀ります。

 

鎮座地が熊野大社と出雲大社両方の神領地だったということで、

 

交通の要衝だったことが両陣営を祀った由縁かと思われます。

 

ちなみにですが出雲地方は意外にも少彦名命さまを主祭神として祀る神社は少ない傾向にあります。

 

国造りの相棒であるため相殿神となっているところは見えるんですけどね。

 

やはりこれは出雲自体が少彦名命さまと共に国造りを行った大己貴命としての信仰ではなく、

 

この地方での最高神、大国主神としての信仰が強いからではないかと思われます。

 

国造りはどちらかというと日本全国各地の伝承と言った感じでしょうか。

 

 

そしてこの万九千社の大きな役割、それは神在祭で集まった全国の神様を各地にお送りすることです。

 

出雲における旧暦10月、神在祭は全国の八百万の神様が集い、会議をすると伝えられています。

 

その間、神様たちは出雲大社や佐太神社などを転々としながら会議を行い、

 

最終地点としてこの万九千社にやってきます。

 

そしてこちらで行われる神等去出神事を最後に自分たちの国へ帰っていきます。

 

 

そしてもう一つの社号碑、こちらには立虫神社とあります。

 

実は知名度的にも、何ならwebとか見てもこちらは万九千社となっていますが、

 

実は宗教法人上では立虫神社となっています。

 

立虫神社は出雲国出雲郡鎮座として載っている式内社で、

 

これが由来なのか社号碑には「特別神社」とあります。

 

 

 

 

境内はいるといたるところに・・・見えますかね??

 

ネズミたちが宴会したり遊んでたりしてます。

 

ちゃんと由来もありまして、

 

ネズミは大国主、大黒さんの神使とされており、

 

 当社ではその側面が色濃く現れているらしく、いろんなところにネズミの像があります。

 

中央には立虫神社の拝殿があります。

 

先ほど宗教法人上は立虫神社ということでしたが、

 

公式が万九千社を推しているのは神在祭だからという理由だけではありません。

 

なんとこの鎮座地には万九千社が最初に鎮座しており、

 

後世に立虫神社が遷座してきました。

 

というのも立虫神社は斐伊川の上流に五十猛命たち兄妹が降り立ち、

 

植林を行ったことに由来して建てられ、後になぜか斐伊川の中州に遷座します。

 

そしてまたその後斐伊川の大洪水によって流されてしまい、

 

万九千社の境内に遷座し再興しました。

 

 いやまぁまず思うのは…なぜ中洲に遷座したし。


絶対流されるの分かるやん!!


と言いたいところですが、あの熊野本宮大社もかつては中洲にありましたし、


現在も大きめの中洲に神社がある例は存在します。


ただ、熊野本宮も流されて現在地に遷座しています魂

 

 

 そしてこちらが万九千社です。


立虫神社から見て右側に鎮座しており、


建築様式自体は基本的に変わらず、こちらはシンメトリーが保たれています。



 

 そして拝殿内部ですが扁額が2種類あり、


中央には「神代神社」という名前で掲げられています。


これは出雲郡鎮座として『延喜式』神名帳、『出雲国風土記』に記載されている神代神社が、


万九千社に名前を変えたという記録が来ているものです。


そしてその横に式内社とこっそり書かれた万九千神社の扁額がありますが、


万九千社自体は式内社ではなく、神代神社の論社とされた影響でしょう。



そして拝殿裏は立虫神社と違って本殿はなく、

玉垣と榊の木に囲まれた石碑があるだけです。

これは万九千社という建物、ひいては神社自体が重要なのではなく、

鎮座している土地が重要であることを示しています。

そのためこの地名は「神々が発(た)つ」ことを意味するように「神立」となっています。


ちなみに万九千社の拝殿は明らかに人が2人以上座れるスペースが最中にないので、


祈祷などはどうしているのかというと、


立虫神社の拝殿から遥拝のような形で執り行ってました。


右と左で横幅の長さが違うのはそういう理由があるようですね。


 

 

 こちらの境内社は従来の末社のような小さな社の形式ではなく、


色々な形の石柱に神名を刻んで注連縄を巻いたり、御幣を立てたりしています。


より古い形式のようにも感じますね。

 

 

 そして引き続きネズミも多くいらっしゃいます。


ここで本当に疑問というか謎というのが、


大己貴命、ひいては大国主命さまは神社によって多くの神使があるなと感じますね。


出雲大社においては全国の神々を送り迎えする海蛇


そしてウサギも神使として扱われており、


大黒さんとしての側面からはネズミという、3種類のお使いがあるわけです。


それぞれが大国主/大己貴/大黒天という別の側面があるという象徴ともいえますね。

 

お稲荷さんは祠の形式ですがやはりそこは出雲地方。


大社造を想起させるような妻入りの屋根となってますね。




そしてこの時期は旧暦において完全な神在祭だったこともあり、


この直前に行った出雲大社は多くの参拝者で溢れており、


その9.5割くらいは日本人という圧倒的純国民笑い


あ、先に人種差別しているわけではないことを申し添えておきます。


ただ、明治神宮や伏見稲荷大社でも同レベルくらいの参拝者の数が見受けられる中で、


上記の割合で日本人がいるというのが何よりも驚きです。


なにより駐車場が停められなさすぎてえっぐいことになってましたからね…ガーン

 もちろん授与所も多くの方が代わる代わる訪れ、


祈祷を申し込み、授与品を受けておりました。


駐車されている車のナンバーをちらっと見る限りでも関西圏や東海圏などの遠くから走らせて来ているのが見てとれましたね。

 

 

 さぁということでやはりこの神社のメインというのが先述したこの「神等去出神事」なのですが、


これがまた面白く、やはり普通に考えるなら出雲大社が掲げる神在祭の時期の終盤が帰る時期となりますが、


この神社は少し違っており、出雲大社の規定する神在祭が終わったタイミングで、


万九千社が規定する神在祭の時期に入ります。


具体的には出雲大社は10/10〜17を神在祭とし、


万九千社は10/17〜26を神在祭としています。


なので17日は出雲大社を発つ日、そしてこの26日が出雲を発つ日と、


まるで人の旅行計画、出張先の計画のようにそれぞれの神社での滞在期間が決まっているわけです。


そして万九千社の神等去出神事は新暦でいうと12/8に行われていたはずで、


今この投稿を読んでいる段階では、皆さんの各地域に神様方はお帰りになられているということです。


…本当なら8日に投稿して、


今まさに!!万九千社では神等去出神事かまやってます!!


今日帰りますからね!!


みたいに書きたかったんですが、残念ながら間に合いませんでしたガーン


  あ と が き

 さぁということでいかがだったでしょうか。


終盤で述べた通り、留守神以外の神様は先日から皆さんの各地域にお帰りになられてます。


近場の人も、それでいて超遠方からの大出張となった神様もいらっしゃることでしょう。


ぜひ今日日曜ですから、各氏神さん、産土神さん方に


「出張、お疲れ様でしたぁぁ!!」と労っていただけると幸いです。


さぁ今年の神議りでまたこれから先の、ひいては来年のことについて話し合われたと思います。


どのような年にしようという話になったかは定かではありませんが、


来年も良き年となるといいですね。


今年もまぁ、世間的に見たら大混乱ですからね…


どうであれマシな年に見えればベターかもしれません。


というところで今回は筆を置きたいと思います。


それではまた次回!!!!バイバイバイバイバイバイ



神社・お寺巡りランキング
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ