こんにちは、わたしです。
本日もありがとうございます。
クリックしてくださると早く帰れるかもしれない
新たな週が始まりましたね。
私も普通に土日休みなので、月曜は辛いです
まぁちゃんと働くからこそ休みが輝くってことですからね。
今週も頑張っていきましょう
いつも通り企画の概要はこちらに
鎮座地:乙訓郡大山崎町大山崎西谷
御祭神:菅原道真
旧社格:末社
御朱印:なし
えーまぁ今回再三言ってるとおり、道真さんに由緒深い25の神社を紹介するわけですが、
これを12月中毎日投稿すると、31日に対して25で終わってしまうため、
6日分余ってしまいます
「いや終わったらええやん」というのもごもっともですが、
ちょうどよく双六内には札所の番号が振られていないマスが存在し、
これを番外として紹介しようと思います
上述したとおり、この腰掛天神社さんは今までの天満宮のようにメインのお社ではなく、末社です。
本社としているのは大山崎の離宮八幡宮で、
本殿の左手奥に摂末社がたくさん並んでいます。
その一番奥にあります。
休石というのがこの腰掛け石なんでしょうね
この場所は太宰府に左遷が決まった道真さんが、
宮中から出発して南方へ向かうときに休憩された場所として伝承されています。
太宰府までの道のりはご存知の通りめっちゃくちゃ長いです
平安時代なので新幹線とかあるわけなく、
牛車は…どうなんだろ、一応役人としての赴任だから乗ってたんでしょうか。
どっちにしろ、長くガタガタ揺れる中乗ってたらケツが死にます。
御付きもいますし、休みは必要ですよね、うん
とはいえ、製作者である武四郎さんよく知ってましたよね。
道真さんに対しての深い知識と崇敬心を感じます。
また、この巡礼が元々双六なので、お馴染みの「一回休み」マスみたいな立ち位置だったかもしれませんね。
さて、今回はここまでといきたいのですが、
まだ続きます
鎮座地:京都市伏見区醍醐伽藍町
御祭神:菅原道真公、大己貴命、須佐男命
旧社格:村社
御朱印:あり
えーまぁ休石天神だけで終わっても良かったですけど、
まぁ離宮八幡宮の末社だし、これだけで終わるのもなぁと思ったのでこちらを紹介します。
地名でお察しの通り、伏見区の醍醐寺の裏山の麓に鎮座しており、
醍醐の氏神さんとして崇敬されています。
もともとは平安初期に醍醐寺を開山した聖宝さんが、
太宰府に左遷される前の道真さんとお会いし、鎮座地である長尾を墓所とする約束を交わしました。
そして道真さんが亡くなったあと、聖宝さんの弟子である観賢さんにより墓所が建てられました。
その後、宮中が天災に見舞われたとき、醍醐寺によくしていたのちの醍醐天皇さまが、
慰霊の目的で道真さんを祀るよう勅命を出したのが創建となります。
参道を登っていくと、「頼政道跡」とあります。
これは源平合戦時に活躍しておられた源頼政のことであり、
源氏でありながら平氏側につき、宮中内が平氏だらけになる中、
唯一源氏の長老として残っていました。
そして安徳天皇さま即位に反対した後白河上皇の皇子である以仁王さまとともに反旗を翻し、
全国の源氏と大寺社に挙兵の令旨を出します。
これが源平合戦の始まりになりましたが、この2人の反逆は早期に平氏側にバレ、
宇治に闘争する途中にこの場所を通ったと言われています。
またもう一つあった立て札には、この場所に琵琶湖からの用水路が引かれていたと書かれています。
しかも引用元が京都市水道局と書かれていますからホントなんでしょうね。
先ほどの階段を登り切ると道が左右と前方の3つに分かれますが、
右の道にはこのような宝塔のようなものが立ってます。
これが観賢さんの建てた道真さんの墓所です。
しかしみなさんご存知の通り、道真さんは太宰府天満宮で眠っておられます。
ではここは霊廟的な信仰対象なのかといえばそれとも違います。
実はこれ、「衣装塚」と呼ばれるもので、道真さんが生前着ていた衣装や遺品を太宰府から持ち帰り、
この場所に埋葬したといわれています。
結局道真さんは太宰府に左遷されたあとに、墓は九州にと仰られていましたが、
これはいつか無実が証明され、宮中に呼び戻してくれるという希望をもっていたからこそ聖宝さんと約束してたのかもしれません。
しかし結局亡くなるまで無実は証明されず、戻ることが叶わなかったから仕方なく九州での葬送をお願いするという結末かもですね。
でもこうして聖宝・観賢さんの約束をちゃんと守ったというのは道真さん的にはありがたかったかもしれません
階段からまっすぐ進むと末社の皇大神宮があり、
内宮と外宮の両宮が祀られています。
左に進むと本社の方に進みます。
珍しく外拝殿がありました。いつもこのブログ見てる人たちは見慣れてるかもしれませんね。
もちろん牛さんもいます。堂々としてますね。
外拝殿と神饌所?的なものを繋いでいる廊下に何やら不可思議な紋様が。
横に立て札もあります。「歌」と言いつつ絵のようです。
確かによく見ると、説明にある四獣は描かれてました。
なんと達筆な…(多分)力強い筆遣いから勝ちへの強い意欲を感じますね(恐らく)
時期的に、やはり勝つとしたら新型コロナとそれに伴う不景気に、でしょうか。
いやもうほんとに、早く終わってほしいです
ガソリン高すぎるんですよマジで…
こちらが本殿です🙏
狛犬さんが入り口と拝殿上にもおりますね。
近くで見るとほんとに古めかしさがマックスでして、
側面に彫られ取り付けられている装飾もとても細かく、
より時代背景と篤信の高さを窺えますね。
また、近代改修の神社と違って拝殿がなく、
外拝殿が神饌所のような建物と繋がっていたところを見ると、
吹きっさらしの本殿前でない限りは
祈祷などは外拝殿で執り行っている可能性があります
摂末社は本殿前の両側に。
乗っている石段共々、改修されたのかきれいですね。
そして唯一朱色に塗られて特別感を感じるお稲荷さん
番外ですが皆勤賞です
いつもお世話になっておりm(🤛
社務所には神職さんが常駐しており、祈祷をはじめ、
御朱印、各種授与品が受けられます。
しかし醍醐寺を自らの祈願寺とし、手厚い庇護と莫大な資金を費やしてお堂などを建立させた醍醐天皇さまですが、
その自分の大好きなお寺の方と自ら左遷させてしまった道真さんがそんな約束をしていたのはなんともまぁ因果というかなんというか…
お子さんの相次いだ夭折、宮中への落雷などの災害、
こうした不幸の連続は天皇自身への神威が下げることにも繋がるので、
心労はかなり大変だったと思います。
それほどに、道真さんの祟りがやばかったということですね
という感じでいかがだったでしょうか。
今回は少し変化球な流れとなりましたが、
こういうことは度々やりますので、
コース内にない神社、何が出てくるのか楽しみにしていただければと。
ただ、みなさんのご存じの由緒深い天神さんが出てこない可能性の方が高いので、
どうかそこはご容赦いただければと思います。
逆に紹介されなかった天神さん、コメントで教えてくれると嬉しいですね。
そんな感じで本日は筆を置こうと思います。
ほんだらまた明日〜