宇良神社、参拝してみた【今年の梅雨は如何か】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

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ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

こんばんは、私です。

 

なんか梅雨入り雨が平年より遅い的なこと言われてますが、

 

平年ていつやねん・・・

 

って感じですよね。あんまり梅雨入りとか気にしてないですけど。

 

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というより梅雨っていうほど雨が降った覚えがないというか・・・雷雷

 

ひとまずは地元の水不足と、近年では梅雨明けの大豪雨災害が気掛かりです。

 

何事もない夏を迎えられることを祈りますガーン

 

 

というわけで今回の神社へ行きましょうか。

 

みなさんも昔から知っているとある物語に関連する神社でございます。

 

では行ってみましょう!!!!

 

  郷社 宇良神社

 

神社鎮座地:京都府与謝郡伊根町本庄浜

 

神社御祭神:浦嶋子

 

神社旧社格:国幣小社(延喜式)右矢印郷社(明治)

 

神社御朱印:ありキラキラ

 

ということで今回は京都府・・・?かな。宇良神社です。

 

世間一般では浦嶋神社の名で知られているのではないかと思います。

 

え、知らない??そんなことないやろ〜笑い

 

まぁ京都府とはいえど、住所の通り与謝郡、京丹後の方に鎮座しており、

 

そのなかでも伊根町は日本海側の半島の端のようなところにあり、

 

京都といいつつ京都市からはどえらく遠いところです。

 

 

御祭神が浦嶋子という聞き慣れない方を祀っていますが、

 

この方は『日本書紀』には名前が出てきますが神様ではありません。

 

元々は『丹後国風土記』に載っていた伝承に登場する方で、

 

なんと常世の国に渡ってから約300年後に帰ってきたんだそうですハッ

 

これを聞いた淳和天皇様が小野篁さんに命じて創建されたのが当社と言われています。

 

そういえば篁さんにもよく似た逸話がありましたよね。

 

あの方の場合、行き先は地獄でしたが・・・

 

そしてこの浦嶋子さんの神隠し伝説、これが後世にて「浦島太郎」の物語の元ネタとなり、

 

各地にある浦島太郎伝説の中でも最古のものとされています波波波

 

手水舎は柄杓ありで水が常時流れています。

 

なんかこういう甕型の手水舎だと湧き出てるみたいでいいですよね波波波波

 

帆船の模型もありました。

 

この帆船は「北前船」と呼ばれるもので、戦国時代以降に利用されていました。

 

北陸や奥羽地方などの所謂西廻りの航路を通じて瀬戸内海まで行ってたそうな。

 

地図で見たらめちゃくちゃ広い範囲ですね・・・

 

もちろんこの丹後地方にも逗留しており、

 

この船の模型も海上安全、豊漁祈願、家運隆祥、家内安全を願って奉納されたそうです。

 

この神社が航海士、漁師などの船乗りからの信仰が篤かった証拠ですねびっくり

 

 

こちらが拝殿です。

 

拝殿ではありますがどちらかというと外拝殿のように板間は高く、

 

1番奥が階段で本殿につながっています。

 

 

こちらの拝殿と本殿は明治十年(1864)に再建されたもので、

 

現在は国の有形文化財に指定されています。

 

というか登録されたの結構最近ですね。

 

 

賽銭箱のそばには芳名帳があり、墨と筆が用意されていました。

 

このご時世、自分の名前も筆で書くことなかなかないですから、

 

描き終わって下手くそでなんか凹みました笑い泣き

 

ほんとに、書道は習っといたほうがよかったなぁと思いました。

 

拝殿内部です。扁額には「宇良神社」と書かれていますね。

 

ちなみに浦嶋神社はあくまで浦島太郎を由来にした俗称で、

 

宗教法人上は宇良神社と思われます。神社庁にもその名前で登録されています。

 

そしてこの拝殿、真ん中がつながっていますが、両側に欄干がついています。

 

真ん中に舞台でつながっていますが割拝殿の形をしています。

 

あとから取り付けられたのでしょうか?

 

というかこの真ん中の舞台みたいなところ、ここから割拝殿ではなく

 

中殿という建物になるみたいですね。

 

 

そして割拝殿左側上部には亀の甲羅が…まさか…  

 

亀さん!!???

 

そんな姿になってしまったんですか…アセアセ

 

多分そんなことないんでしょうが。

 

というか、この浦嶋子さんの伝説では亀出てこないんですよね。

 

だからおそらく竜宮城伝説側に亀さんはいるのでしょう。

 

 

コチラが本殿です。立派な神明造ですね。

 

本殿も明治に再建されたものですが、再建前からこの形式なのでしょうか。

 

伊勢神宮がメインになり始めた時代ですから影響を受けた可能性もあります。

 

 

 

そしてこの社殿全体もどうやら大改修の予定があるようです。

 

具体的には御鎮座1200年にあたる令和7年に12回目の遷宮を行う予定で、

 

奉賛金を募っていました。

 

この神社もかつては66年ごとに遷宮をおこなっていたようです。

 

地図で見たわかるとおり鎮座地は丹後地方の半島の先のようなところにあり、

 

人家もそれなりにありますが、やはり他地方と同じく過疎化が進んでいるようで、

 

なかなか予定通りに予算が集まっていないご様子。

 

しかしこの綺麗になった御社殿も見てみたい・・・

 

さらば諭吉ィびっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマーク

 

 

 

意外にも末社はこの一社のみ。

 

他に縁のある神様がいないのか、それともこの地域は浦嶋神社への信仰のみが強かったのか、

 

あとは神仏習合が薄かったのかもしれませんね。

 

割と神仏習合が強かった神社はお稲荷さんや金比羅さんなどがあったりします。

 

その社殿の左手には社務所兼授与所があります。

 

かなりこじんまりとしていて個人的に好きですね。

 

お正月にはここに集中されるんでしょうか?

 

 

授与品はこんな感じ。お守りやお札は普通にあるつつ、

 

やはり目につくのは・・・わかめ!!!!!!びっくり

 

この近くの浜で獲れた地元の名産品のようです。

 

というかむしろ浦嶋伝説あるが故に授与品として出してて違和感がないですOK

 

なんならこれ使って先導の亀さん呼べそうですし。

 

 

そしてこちらが見開きの書き置き御朱印です。

 

右側が通常の御朱印で、左側に当社の由緒を載せています。

 

 個人的にはこの形式の御朱印はとてもありがたいことで、

 

神社によっては由緒書きがないところがあったりする中で、

 

こうして御朱印とともにちゃんと由緒を知ってもらうことができる、

 

御朱印目当ての人は社寺本体に興味持ってくれなかったりしますからね…ガーン

 

ちなみに御朱印には「丹後浦嶋」と「宇良神社」のハンコ、

 

そして「水乃江里吉野宮」と書かれています。

 

水乃江里はこの鎮座地である庄浜の昔の呼び名で、

 

吉野宮はこの浦嶋神社の古い名前だそうです。

 

 

 

神社の右手には「蓬山の庭」と呼ばれる庭園?鎮守の杜?があり、

 

『丹後国風土記』の中に書かれている浦嶋子さんが行った常世の国の様子を絵巻などを参照に再現したものなんだそうです。

 

ちなみに宇良神社に伝わっている伝承では浦嶋子さんは347年の間常世の国に行っていたそうです。

 

事実にしろ逸話にしろ、神隠しに遭っていた期間が具体的に記録されているというのがすごいですよね。

 

実際のところ、この浦嶋子さんの素性はというと、この庄浜のあたりの領主だった日下部首という人たちの先祖だったそうで、

 

つまりはこの浦嶋子さんも領主かその家族だった可能性が高いです。

 

だからこそちゃんと神隠しに遭ったこと自体が記録されていたのでしょうね電球

 

ちなみにその祖先はというと、なんと月読命さまなんだそうです…!!!!!!

 

ちなみに浦島太郎は先述したとおり各地にある伝承を1つの物語にまとめたもので、

 

全国にその舞台の地が存在します。

 

香川県の三豊市とかもそうですね。

 

この神社はその常世の国へ渡った伝説と、

 

神社の宝物に玉手箱があるそうです。

 

そして竜宮城なのですが、なんと同じ日本海側にありました。

 

ちょっと遠いですかね。拡大してみましょう。

 

小さな島に建物が見えますね。

 

 この東屋の構えられた島は後ヶ島と呼ばれており、

 

兵庫県豊岡市津居山の沖にあります。

 

この場所で竜宮城から帰ってきた浦嶋さんが玉手箱を開けたと言われ、

 

近隣の浦嶋伝承では結末が違い、浦嶋さんは永遠の命を与えられ、

 

乙姫さまと再会して幸せに暮らしたんだそうです。

 

まさに素晴らしくハッピーエンドなわけですね!!!!

 

この場合、玉手箱の中身が永遠の命だった、ということでしょうか。

 

という伝承のおかげで、この近くの岬はラブラブ恋人の聖地ラブラブとなってるそうですラブラブラブラブラブラブ

 

え、わたしですか?1人で行きましたけど??

 

 

浦嶋神社の表さんん道の先、の右手にはこの浦嶋館という建物があります。

 

看板を見る限り、どうやら土産屋さんのようですが、

 

定休日だったのか開店していませんでした。

 

それどころか中を覗いても店らしいものがありません。

 

閉館してしまったのでしょうか・・・ガーン

 

 
その浦嶋館の前に箱のようなオブジェが。
 
両側にある人のオブジェはシルエットからして
 
浦島太郎(写真手前)と乙姫(写真奥)でしょう。
 
そして問題はその間にある穴、これが常世の国の扉でしょうか。
 
このリングを通って浦嶋さんは行ってしまった、といったところでしょうか。
 
さてこの穴は今もどこかで開いているのでしょうか。
 
ちなみに我々が知っている浦島太郎の物語ですが、
 
自歳浦嶋さんは何年ごしに元の世界に帰ってきたか知っていますか????
 
おそらく文献によって差異はあるのでしょうが、
 
およそ700年経っていたらしいですよガーンガーンガーンガーン
 
つまりは元寇のあった鎌倉時代中期に竜宮城へ行った浦嶋さんが、
 
今この時間軸に帰ってきたことになります。
 
浦嶋さんからみた我々は外国人どころか・・・
 
下手したら宇宙人に見えるかもしれませんね・・・
 
まぁ逆にリアル『テルマエ・ロマエ』というべきか・・・
 
アフターストーリー、スピンオフとしては筆が走りそうな設定ではありますてへぺろてへぺろ
 

 

んで、御朱印待っていたら木切っていた総代さんらしき人に宮司さん呼んでいただいたのですが、

 

この蓬山の庭の奥の方を整理していました。

 

なんでも、このあたりを整理して浦嶋神社旧社地にある滝を遥拝できるようにするためだとか・・・

 

ほう・・・滝があるのかね。

 

行ってみるしかねぇよなぁびっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマーク

 

 

つーこって行ってきました。

 

神社の西を走る県道178号線に「布引の滝展望公園」というものがあり、

 

そこから西へ抜けていく道を進むとこのようにバス停と猟獣区域の柵があります。

 

その先には獣道のような登山道があります。

 

ちゃんと由緒書きもありました。

 

それによると浦嶋神社の旧鎮座地、というよりは、

 

浦嶋子さんの住居がこの奥の滝のそばにあったそうです。

 

浦島太郎では漁師の街に住んでるのに、

 

元ネタの方はまさかの山の麓に住んでいたとは・・・

 

 

道中のお地蔵さんはなんかカラフルです。

 

掘られて再現されている衣装に合わせた彩色をされているので、

 

ちゃんと意味があるようです。

 

 

ということで、滝を目指していざ出発です(この時点で午後3時)

 

 

実際こんな感じで本当に山道です。

 

祖父の家の裏山を犬の散歩で登っていなければ私も行けなかったでしょう・・・あせる

 

今年の夏は実家帰りましょうかね・・・キョロキョロ

 

元々この山中にも集落があり、

 

この登山道が学生たちが学校に行くための通り道だったそうです。

 

登校下校過酷だなぁ・・・魂

 

そして山中ながら放牧地だったそうです。

 

今は見る影もなく森オブ森ですがね。

 

とりあえずどんどん先へ登っていきましょう。

 

もうかなりゼーハーです。

 

健脚ではありますが体力の低下を感じますドクロ

 

道中にまた看板が。

 

この右に見えるものがミイヤ地蔵尊というもので、

 

この参道整備の際に偶然発見されたんだそうです。

 

先述したとおりここは住人たちの生活道だったので、

 

道祖神として祀られていたものなのでしょうね。

 

迷わずに滝につけますように・・・お願い

 

どうにかからがら上がってみると別れ道が。

 

右がこの山の頂上に、左が滝の真下に着くそうで、

 

もう足と気力と時間が限界だった私は左の道に進むことにしました。

 

 

 

 

広めの半湿地帯みたいなところに出ます。

 

そしてやはり湿地帯なのも意味があったようで、

 

昭和まではここに水田があったようです。

 

・・・正直ここから先道っぽい道もないのですが、

 

ひとまず看板があるのでこの先に何かはあると予想しつつ、

 

木の間を進んでいくと・・・

 

 

 

 

ありましたびっくりマークびっくりマークびっくりマーク滝ですびっくりマークびっくりマークびっくりマーク

 

大瀑布という感じではないですが、ちゃんと水が上から下に流れています。

 

ちょろちょろという感じではなく、見た目の割に水量があり、

 

滝らしくザーッという音が聞こえてました。

 

布引きの滝についての説明もありました。

 

どうやらこの場所で常世の国から帰ってきた浦嶋子さんが

 

この場所でもらった玉手箱を開けると白い煙が立ち上り、

 

この滝になったんだそうです。

 

 

ちなみに先程の2つに分かれた右側の道にいくとこの滝の上に着くようです。
 
上行ってから下行くには時間がなかったですね・・・

 

下矢印インスタ用に動画撮っていたので載せときますね。

 

さて、この辺でこの浦嶋神社のネタも終わりたいのですが、

 

というか終わったのですが、

 

実は宇良神社にはこの浦嶋神社のほかにもう一社論社が存在しました。

 

なのでそちらも紹介しておきます拍手拍手

  ​浦宮神社

 

神社鎮座地:宮津市中津宮ノ谷

 

神社御祭神:少童命

 

神社旧社格:国幣小社(延喜式)右矢印村社(明治)

 

神社御朱印:不明

 

こちらも宇良神社の論社としてあげられている神社ですが、

 

浦嶋神社と比べるとかなり距離があります。

 

ここで難しいのが『延喜式』神名帳には国と郡しか鎮座地については書いておらず、

 

宇良神社も与謝郡にあることしかわかりません。

 

そして当時の与謝郡には現在の与謝郡である伊根町、与謝野町だけでなく、

 

宮津市の大部分も含まれていました。

 

 先程の社号碑の横の道を突き当たりまで進むと、

 

鳥居があります。

 

集落の奥の方にあるタイプの神社ですね。

 

 

 手水舎には柄杓が置かれていますが、

 

水は出ている様子はありません。

 

コロナ禍だから、というわけではなさそうです。

 

 そして表参道は急な階段が現れます。

 

やはり地元の方々も登るのが辛いのが分かっているのか、

 

獅子さんの横、写真の右側に遥拝のため賽銭箱と鈴の緒が設置されています。

 

なんというか「浦」が海に関係するはずなのに山に近いのはなぜなのか…

 

まぁそもそもこの沿岸部が山と海がすごく違いというのもありますが。

 

 

 

コチラが外拝殿です。

 

後ろに本殿はありますがあまりスペースがあるわけではないので、

 

ここが拝殿として鈴の緒がつけられています。

 

真ん中が中央に向かって階段になって上がれるようになっているのが特徴的ですね。

 

よくあるのが中央に向かって階段ができているのですが、

 

ここはその階段が左右に向かってついています。

 

 

 

本殿はこんな感じ。一間社流造です。

 

一応祀られている神様は少童命さまということで海の神様でありますが、

 

残念なことにこの神社に関しては正式な由緒が不明なようで、

 

宇良神社の論社に挙げられてはいますが、説としては弱いとのこと。

 

単純に港町を守る神様として「浦の宮」という社として成立した可能性も高いわけですね。

 

 

 

 

 

末社もちらほらと。ただやはり由緒がわからないのでどなたが祀られているかは不明です。

 

逆にここまで不明なのが外部向けでない、

 

本当に地元の神様として認識されている証左ですね二重丸

 

​あ と が き

 という感じでいかがだったでしょうか。

 

今回の浦嶋神社はどのルートから行ってもかなり遠く、

 

何度か色んな神社巡拝の道すがら行こうと思い、

 

時間の都合で足が伸びずに断念したため、

 

今回メインに据えてやっといくことができたことと、

 

辺境でありながらかなりの情報量を持つ神社だったことがかなり印象的でした。

 

ここ最近はあまり見かけなくなりましたが(わたしがそんなテレビ見てないのもありますが)、

 

某a●uさんが三太郎でCMをやっていたのもあって、

 

話題性とまではいかずともなんとなく頭に残るイメージだったのではないでしょうかキューン

 

みなさんもぜひ浦嶋神社、そして浦宮神社参拝してみてください。

 

特に浦嶋神社は宮司さんが講演会を開いたり、

 

別口で浦嶋伝承の本を出版したりと

 

かなり教化活動に尽力されている方なので、

 

いろいろ聞くと快く教えてくださいます飛び出すハート

 

これもまた愛故のワザですね…

 

というところでわたしの左腕が唸りを上げてきたのでこの辺で筆を置きたいと思います。

 

それではみなさんまた来週くるくるお願いキラキラ