何でもない日々246
「あー、さむさむさむ。」
朝7時、バイクに跨り誰にともなく呟いた。つくづく焼きが回ってしまったようで、最近独り言が多くなった。
数か月前、カブを知人に譲りバイクを乗り換えた。ジクサー150SFという単気筒の普通二輪だ。それに伴って、通勤も電車からバイクですることにした。
エンジンの暖気を兼ねてしばらくゆっくり走っていると、信号待ちでエンジンから熱気が立ち上りスーツ越しに足を焦がした。エンジンが温まり、調子が出てきた合図だ。私は空冷エンジンが好きだ。正直で、誤魔化しがない気がする。
思い切りスロットルを回し、周りの車を追い抜いていく。80km/h、100km/h、120km/h……。
ふと路傍を見ると、「国道246」と書かれた青い三角形の道路標識が立っていた。
3月13日の金曜日、彼女が誕生日を迎える4日前に私はH子と落ちあい、翌14日に彼女は死んだ。
「13日の金曜日なんて、呪われていて私たちらしいよね。」
そう言ってH子は嗤っていた。あれから246日経とうとしていた。
親友が死んだ日から、日を数える気色の悪さに我ながら笑いが込み上げてきた。
私が毎日通勤の為に国道246を走ることと、あの日から246日経つことには何の関係も無い。だけど思わず色んなことを結びつけてしまう。
その日は、11月13日の金曜日。私の誕生日の4日前だった。
「13日の金曜日なんて、呪われていて私たちらしいよね。」
彼女の声が聞こえるようで、背筋が少し寒くなり、「いけない。」と思い私はバイクの速度を落とした。
私は、彼女より数か月だけ年下だった。
そして心を同じくしていたと思った彼女が死に、私が生き残った。
その運命を分った何かが、この数か月にもしかしたらあるんじゃないか、彼女には見えていて私には見えない景色があったんじゃないかって、少しだけ期待していた。
けれど結論からいえば、何もありはしなかった。
そもそも彼女は女性で私は男性で、生まれた土地も生きてきた人生もまるで違うんだ。だから高々数か月で何かが見えたり、解ったりするようなことがあるわけない。当たり前の話だ。
それで、新しい死ぬ理由は、見つからなかった。
「じゃあ、もう少し生きてても良いかな。まだ死ぬ日じゃないと思うんだよね。」
誰にともなく呟いた。本当に焼きが回ってしまったんだと思った。
長い信号に捕まり、ふと見上げると、マンションのベランダから部屋着の若い女がタバコを吸っていた。あれは世界だなぁ、と思った。
彼女が私に気付くことはないだろう。H子が生きていようが、私が死のうが、今日この日、彼女はあそこでベランダに出て、部屋着でタバコを吸っていたに相違ない。
この世界に生きていようが死んでしまおうがこんなにも無関係なのに、どうしてH子はあんなに苦しんでいたんだろう。そんなことで、涙が出るのを止められなかった。
涙の蒸気でメガネが曇った。前見て運転しなきゃいけないのに何て厄介なんだ、泣いてる場合じゃないだろうと思った。
私たちは何でもかんでも、色んなことを深刻に考えすぎてしまう。
意味のないことに意味を見出したり、見出した意味を見なかったことにしたりする、みんなが無意識でできてしまうそういうことのバランス感覚が、私は、私たちは、絶望的なくらいうまくなかった。
その日の仕事が終わり、夜の東京をバイクに乗って走り回っていた。やがてメーターの時刻表示が、23:59から、00:00に変わった。
「オレ、君より年上になることにしたよ。」
誰にともなく呟いた。
13日の金曜日、私が死ぬことはなかった。夜を越え、その先に進んでいく。
色んなことに折り合いをつけたりつけられなかったり、どっちにしてももう先は長くないんだから折り合いなんて今更つける必要もないのかな、なんて思ったりして、今日もバイクを駐車場に停めた。
私たちは一体どこまで行けるんだろう。
それじゃ、また明日。