https://news.yahoo.co.jp/articles/facdfb6a4d536b88d35e66b82fd08ac770f6fda7 

物語ごんぎつねで、鍋で何かを煮ている場面で、何を煮ているのかを答えさせる設問に、とんでもない回答があることに驚いていたが、驚愕することではあるまい。


正解は、もう少し読んでいけば解るか、あるいは想像させているのかいずれかだろうが、何れにせよ、日本語がもつ曖昧さ、または行間から察することを重要視する表現方法に起因することもあるのではないか。


おそらく英米人の書いた英語であれば、その文の中に何を煮ているか、はっきり書いていると思う。


話は変わるが、真珠湾攻撃の際に、攻撃の直前に米国に届けるはずだった宣戦布告書と呼ぶ文書を読んだことがある。在米日本大使館の解読が遅れ、真珠湾攻撃に間に合わなかったのだが、この文章を読むと、どこに宣戦を布告することが書いてあるのか、よく分からなかった。百歩譲って最後通牒ならまあ分かる。しかし、それなら、まだ話し合いの余地はあると、米国側に誤解を与える。どのみち、米国は怒ったであろう。


軍事と直結するからはっきり書かなかったのであろうが、日本側にはっきり書かなくて分かるだろうという甘えはなかったか。戦争相手は、イギリス、オランダでもあったのに、米国以外にこの文章を届けた話は聞いたことがないから、子供がダダをこねているかのようである。


さて、現代の若者の国語力に問題があるとする上記引用の文章の中で、好意を持っていることをセックスがOKだと勘違いして、トラブルを犯している例やも書かれていたが、近年行為そのものをしていいか否か女性に前もって聞かなくてした場合は犯罪になるようではある。しかし、犯罪になるのは国語力の問題ではなく、抵抗されても欲情を抑えきれなかったからではないか。


なるほどと思う部分もあったが、何でも国語力のなさにあるとするのはどうかなあ、と思う。それに、日本語そのものに、曖昧さがあることによる誤解も起こることも自覚すべきだ。