ご訪問ありがとうございます。
昨年四柱推命鑑定を受けました。
私は偏財(へんざい)という星があります。
周りに何となく人が集まるようです。
思い当たることがあります。
・国内海外一人旅をすると旅先で助けてくれる人が現れる
・シベリア鉄道7泊8日の旅でロシア人の友人ができて何かと楽だった
・高校の卒業文集によるとクラスで一目置かれていた
・東京一人暮らしは「東京砂漠」どころか気持ちよい距離感で付き合える友だちができた
そんな私ですが、小学校6年間を通じて友だちは見事にゼロ
永遠のゼロ
恐らく理由は大きく2つ
1.同級生の振る舞いが強いストレス
2.私自身のトラウマと感受性の高さにより恐怖や不安を感じやすい状態だった
同級生のふるまいが強いストレス
両親は神奈川県育ちで都内の難関大学卒業です。
父の仕事の都合で1970年頃滋賀県に引っ越してきました。
約50年前、実家の辺りはど田舎
大卒女性なんて、ツチノコのような存在です。
母は地元女性に相当いびられたようです。
攻撃は最大の防御ですからね。ひえっ
琵琶湖の水鳥
同級生の家庭環境は我が家のそれとは全然違います。
我が家では標準語で話ました。
その口調は、「〇〇ちゃん(自分の名前)かっぱえびせんいただく」という感じです。
同級生には「取り澄ましたやつ」に見えたと思います。
あの人たちにどれぐらい悪意があったかはわかりません。
悪意がなくても、距離をぐいぐい詰めてくることと関西弁(滋賀弁)の強烈なインパクトが合わさって、私は恐怖に凍りつきました。
国語の音読の時間が苦痛でした。
周りでクスクス笑う声が聞こえて硬直しました。
小学校1年と2年の担任は優しい女の先生だったのが唯一の救いでした。
トラウマと感受性の高さにより恐怖や不安を感じやすい状態だった
母は妊娠中ストレスでいっぱいの環境で、胎内の私に影響があったようです。
そこに幼少期の家庭環境の過酷さが加わり、小学校に入学するころには、トラウマが積もり積もって身動きが取れない状態だったと思います。
人付き合いできる状態ではないのに「みんな仲良く」しないといけません。
社交的な母は「学校では楽しく友だちと交わる」のが当たり前で、私にも同じものを期待しました。
プレッシャーを全身に感じましたが、できないものはできません。
親の期待に応えられないことに深いコンプレックスを感じました。
ゴリゴリ神経を削られる日々。
ご想像の通り、これはトラウマを悪化させます。
良く生きてるな、私
恐怖や不安は子どもの感受性によって違います。
妹は学校が「嫌いだったけど怖くはなかった」そうです。
へー、びっくり
私にとっては戦争や災害並みの恐怖を感じる場所でした。
あるとき妹が学校の友だちを家に連れてきました。
偏差値90!!
ちなみに私は四人姉妹の長女です。
子どもがたくさん、もうたくさん
空気の読めない父がボソッと一言。
「〇〇(私の名前)は友だちを連れてくるとかしないだろうな」
私をどん底に突き落としました。
馬鹿な親。
今ならわかります。
閉鎖的な環境、限られた人間関係で強いストレスを受ければ、友だちどころじゃないことが。
入学まで健やかに育ち、
先生と同級生の組み合わせが「当たり」でクラスの雰囲気がいい
など、条件がそろえば友だちをつくるゆとりがあると思います。
私は何もかもハズレました。
教室で友だちができなくても、その場所が合わないだけで、よそならのびのび社交できる子はいます。
近所の年上の子とは秘密基地を作って遊びました。
教室に友達がいないことを両親がやたらと心配するので、ながらく自分は出来損ないだと思いました。
どんなに成績優秀でも休み時間に遊ぶ子がいなかったから就活も失敗して社会不適応
みたいなストーリーに苦しめられました。
あれは親の心配を取り込んでしまったのですね。
高校進学を機に人生が好転した
気楽な世界に引っ越したら、友だちは勝手にできました。
高校以降、友だちがいるいない問題は消え失せました。
まとめ
小学校の教室で友だちがいなくても「一生独りぼっち」とは限りません。
閉鎖的な環境の限られた人間関係のなかでがんばろうとするより、外に目を転じた方がいい。