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2010年代にF1を撤退した11のコンストラクター

前回。前々回と1990年代、2000年代にF1を撤退したコンストラクターを紹介しましたが、今回は2010年代にF1を撤退(名称変更含む)した11のコンストラクターについて、その足跡とともに紹介します。

名称変更したコンストラクターも名前が消滅したという考えの下に、撤退として扱わせていただきました。

2011年を最後にF1を撤退したコンストラクター

DATA
  • ロータス(マレーシア)(2010-2011)
  • ヴァージン(2010-2011)

2011年はロータス(1994年まで参戦したチームロータスとは無関係)とヴァージンの2つのコンストラクターが撤退しました。

ロータス(マレーシア)(2010-2011)

2010年にバーニー・エクレストン主導で新規参戦をした3つのコンストラクターのひとつがロータスでした。

ちなみにロータスという名称ですが1994年まで参戦したコーリン・チャップマン率いるチームロータスではなく、その名称使用権を持つジェームス・ハントの弟と契約して使用したまったくの別チーム(チーム名はロータスレーシング)。

ロータスは3つの新規参入コンストラクターの中ではもっとも速さを見せ、時に既存のコンストラクターに迫るタイムを出すこともありました。

しかし2011年までにポイントを獲得する夢は叶わず、ロータスのブランド問題が勃発(詳しくは下記の記事を参照)。

結局2012年からチーム代表のトニー・フェルナンデスが所有したケータハムブランドに名称変更し、ロータスは2年間の参戦で終了しました。

ヴァージン(2010-2011)

ヴァージンもロータスと同様に2010年から参戦した新規参入コンストラクターのひとつでした。

このコンストラクターの前身はユーロF3に参戦していたマノーモータースポーツ。その後ヴァージングループがタイトルスポンサーになり、コンストラクター名をヴァージンとしてF1にエントリーしました。

空力がもっとも重要とされるF1に於いて風洞実験は非常に重要ですが、ヴァージン1年目のマシンはなんと風洞実験を一切使用せず、CFDによるシミュレーションのみでマシンを設計。

当然そんなマシンに戦闘力があるはずもなく、コンストラクター選手権の順位は最下位(速さではHRTよりもあった)でした。

2年目はさすがに風洞も使用するよう方針転換をしましたが、2年連続でコンストラクター選手権最下位。

その後ロシアの自動車メーカーマルシャに株式を売却し、翌年からはマルシャの名前で参戦。ヴァージンのF1参戦は2年間の短い期間で終了しました。

2012年を最後にF1を撤退したコンストラクター

DATA
  • HRT(2010-2012)

2012年はスペインに本拠を置くHRTが撤退をしています。

HRT(2010-2012)

HRT F110(2010)

HRTはロータスやヴァージンと同じく、2010年にF1参戦をしたコンストラクターでした。通称名のヒスパニアレーシングといった方が一般的ですね。

HRTの前身はF1直下のGP2に参戦していたカンポスレーシング。F1参戦前に創設者のエイドリアン・カンポス(元F1ドライバー)が代表を辞任し、ヒスパニアレーシングF1チームへ。そしてシーズン直前にHRTに変更されています。

急ピッチで製造された初年度のマシンは20kgも重く、さらにサスペンションは金属製(第2戦からカーボン製に変更)という代物で、開幕戦の予選ではトップチームよりも10秒遅れ。さらに新規参入チームよりも3秒以上遅いラップタイムでした。

ただ信頼性がそこそこ高かったこともあり、新規参入のヴァージンを抑えてコンストラクターズ11位で初年度を終えました。

その後2年目3年目もテールエンダーから脱することができず、2012年のシーズン終盤にチームの売却を発表し複数のオーナー候補と交渉を重ねるも、売却交渉はどれも破談に終わります。

2013年3月にFIAが発表したエントリーリストにHRTの名前は記載されておらず、HRTの解散が決定しました。

2014年を最後にF1を撤退したコンストラクター

DATA
  • ケータハム(2012-2014)

2013年にF1を撤退したコンストラクターはありませんでしたが、2014年はケータハムがF1から去っています。

ケータハム(2012-2014)

2011年にロータスのブランド問題が勃発し、2012年にロータスからケータハムに名称変更したマレーシア国籍のコンスタラクター。

実質3年目の参戦となる2012年シーズンはロータス時代よりも好調で、モナコグランプリでは初となる予選Q2に進出し、参戦以来のベストとなる予選13位を獲得します。

さらに最終戦ブラジルグランプリでは決勝でポイントまであと一歩と迫る11位でフィニッシュし、結局このシーズンはコンストラクターズ10位に入りました。

しかし2013年と2014年はともに低迷し、全コンストラクター中最下位の11位に沈みます。

結局2014年のシーズン中にチームはトニー・フェルナンデスからスイスと中東の投資家グループに売却されることを発表したが、その後論争が生まれて管財人の管理下に置かれることになります。

結局新たな買い手が見つからず、2015年のシーズン前にチームの資産売却が決まりました。

次のページでは、2015年以降にF1を撤退したコンストラクターを紹介します!

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。