「負けに不思議の負け無し を受け入れなきゃ」^^
そゆとこだよね、多分 ^^
って昨晩プライムニュースを見て思った私。
ゲストの方々は 野党さんのエライさん。
立憲民主党、共産党、維新の会から。
そのコメントを聴いて わかった。
私のこのブログ ジャイアンツファンだからその応援も載せている、偏りは勿論ある ( ー`дー´)キリッ
ジャイアンツファンのブログなんだから(笑)
は、置いといて 勝負をする、共有、共感を得る という意味においては政治にも重なる部分もある。時に 生きることにも繋がる、かな? ^^
たまに引用させて頂いてるのが 故野村克也監督の言葉。
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負け無し」
実はこの言葉 故野村克也監督が使って有名になったが 心形刀流、松浦静山さんの『常静子剣談』に収められている一文。
その観点から考えるなら 自民党の勝ちは不思議な勝ち、とも言えないだろうか。
他方 負けた野党さんには 負けた理由は不思議なものではなくて 負けるべくして負けたんだと感じる。
で そこに対するコメントが 野党共闘をやらなければ もっと負けていた❨立憲民主党サイド❩とか 方向性に間違いはなかった❨共産党サイド❩とか。
選ばれなかった、議席を減らした、っていう結果は既に出ている。 で、あるとするなら そこに出すべきコメントは 正しかった、けど・・・ じゃなくない?
この主張の根底にある「モノ」 それを感じていたから民意は嫌った、そういうことなんじゃないかな? と思う。
負けた時にこそ 学べることは山程ある。これは一つの真理。
何となく勝った、そこから学べることは意外に少ない。
その原因は、要因はよくわからない。たまたま、とかラッキーなんていう不確定要素が混ざる可能性だって否定できない。
が、負けた時❨失敗した時❩には それだけの理由がある。浮かび上がる。
そこにどう向き合うか、で器は決まる。未来が決まる。
基本は 「総てを」正当化しないこと。 これ!!
総てを疑うことから始める。その大前提から。
あれは悪かったけど、これは良かったんじゃない、という自分を正当化しようとする総てを疑ってかかる。
だから 負けたんだし、でも 負けたんだから。
そこに正当性を考えちゃ❨創り出しちゃ❩前にいけないし 本質が見えなくなる。
隠されかねないし、誰かの共感は得られない。
何言い訳してんの、にしか映らない。
タイミングが悪かった、とか 運がなかった、とか社会が悪い、なんてのは論外。
それを読みきれなかったのも自分である。作りきれなかったのも自分であり 自分でしかない。
誰かに転化出来るものでもない。しちゃいけない。
誰かに転化するのは楽だが 為にはならないから。
いつでも 誰かに転化する人生に、幸せなんてのはやってこない。経験値も積めない。
それが自然の摂理だから ^^
努力は時に時間をおいてやってくるモノだけど、そんな簡単な逃げをうつ方に神様は微笑まない。 はず(笑)
負けを謙虚に受け止め、正面から向き合った時にチャンスは訪れる。
生まれ変わるチャンス。再生への道は開かれる。
例えば 立憲民主党 代表選が行われるらしい。
良いこと、だと思う。
どんな論戦が戦わされるのか。私なんかは楽しみになった。
どんな方が、どう変わる、どう変える立憲民主党の未来を、語るのか。
面白そうじゃない?
減ったにしても そこは野党第一党。
劇的に組織(自分)を変える良いタイミングが 負けた時(失敗した時)。 周りの見る目も変わることを期待しているから、内部も変えなきゃの意識があるから、がその理由。
が、問われるのは、その方向性。
分析、総括、反省から創り出す次なる「新しい形❨姿勢❩」
変わったよね、期待できるよね、を見せなきゃならない、という責務を背負った ってこと。党の未来はここから。
期待を数字に、期待を確かな方向に向けて さて見せてもらいますか。 な、私 ^^
と、気をつけなきゃな 私も。
何かって言うなら やってるかもね、下手な言い訳(笑)
言いたい正当化 ここは良かったはずなんだが・・・
爺だから 頭カテ〜し 中々素直になれなくて 退場? しゃ〜ないな、それは(笑)
また ^^
良い祝日を 良い天気だし
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